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バスガール

  帰りのマイカーの中では、いつも青春歌謡を聴いています。
 戦後から本当の自分の青春までの何十年間のCDをカーナビに
 メモリーカードで持ち込んで聞いているのです。

  今日の帰りは戦後編(5)昭和31年~32年版を聞いていて、
 たまたま流れたコロムビアローズの「東京のバスガール」で
 思い出したことを書いてみます。

  昭和30年代、私は豊橋市で生まれ育ちました。
 私は耳から気管支にかけての病気になりやすかったようで、
 近くに耳鼻咽喉科がなかったため、母は自転車に私を乗せて
 二川の駅から国鉄バスで豊橋の駅前まで行きました。

  当時のバスは運転手さんと車掌さんの二人乗務が当たり前で、
 ワンマンカーになったのはずっと後になってからでした。

車掌さんはほとんどが女性で、バスに乗るとすぐに母は車掌さんから切符を買いました。

 今になって思うと不思議なのですが、母は行き先を告げるときに「豊橋駅まで」とは
決して言わないで、ただ「駅まで」と言うのです。確かに国鉄の二川駅から豊橋駅の
間には駅は存在しないので、「駅まで」で通用しそうなものですが、これはずっと後に
名古屋に転居してからも、名古屋駅に出るのに「駅まで」と言っていたように思います。

 「東京のバスガール」は、国鉄バスのような路線バスではなくて、「はとバス」の
ガイド嬢がモデルのようです。当時の国鉄バスの車掌さんは、随分大きくて頑丈な
ガマグチのようなカバンをぶら下げて、でこぼこな路面もなんのそので、切符を
切っていたように思います。

 そうそう、バスはボンネット式で、方向指示器はランプの点滅ではなくて、腕木が
車体からぱこんと直角に倒れるやり方でした。東海道本線は新幹線が「夢の超特急」
として開通した反面、蒸気機関車がまだ残っていた、今で思うと不思議な時代でした。
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[ 2018/01/22 20:14 ] 思い出 | TB(0) | コメント(3)
東海道の宿場町として有名な二川で誕生されたのですね。当時、夢の超特急と蒸気機関車が走っている事に、幼心が違和感を覚えたのでしょうか?。私の幼児期(昭和20年代中頃)は馬車とボンネットバスが・・・のどかな時代でした。「観光バスガール」、当時は女性の憧れの職業だったと思います。
[ 2018/01/24 10:41 ] [ 編集 ]
馬車とボンネットバスですか、たしかにのどかな情景が目に浮かびます。いま同じ道を歩くと、よくもこんな狭い道をバスが通っていたもんだと思うことがよくあります。そういえば東龍酒造に隣接する旧道もバス道だったそうです。亡き小島会長が戦前に春日井の坂下行きのバスに乗って、ご親戚の家までお使いをしたと言ってみえました。
[ 2018/01/24 12:49 ] [ 編集 ]
こんにちは
一度皆様と歩いたその道は随分狭かったですよね。当時は行きかう車も少く細い道でも良かったのでしょうかね~。それにしても、ここ数十年、世の中随分かわりました。「ここは、ああだったのに、あすこは、こうだったのに」と、今昔物語が生まれる訳ですよね。難しい事はわかりませんが、こんな話大好きです。
[ 2018/01/25 14:38 ] [ 編集 ]
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