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大元帥陛下御統監之跡

時代がまだ昭和だったころのお話です。それも戦争前の昭和2年11月。
即位されて間もない昭和天皇は、守山区大字川字東山の高台から陸軍の大演習を
統監されました。

場所は小幡緑地本園の北西、現在の喫茶ライトさんのところから住宅街に入り、
高台に着きあたるところです。

昭和天皇統監碑1


車のすれ違いも難しいような坂道の着きあたりに森が見えます。

昭和天皇統監碑2


坂道はこの石垣のところで頂上となり、ゆるくカーブを描きながら急な下り坂となって離れます。
この石垣に階段と手すりがあり、遠くから見えた森へと続いています。
今回ご紹介の「大元帥陛下御統監之跡」の石碑はもう道路から見えています。

昭和天皇統監碑3


石碑は演習地小幡ヶ原の方向を向いて、正面に「大元帥陛下御統監之跡」と書かれています。

昭和天皇統監碑4


まるでどこかの古代遺跡の柱状列石と心柱のような配列です。

昭和天皇統監碑5


裏側にこの石碑の由緒が書かれています。

昭和天皇統監碑51


昭和天皇が立たれたであろう御座所より小幡ヶ原方面を見ます。
下の写真の中央に、金城学院のトンガリ帽子がかろうじて写っています。
現在ではご覧の通り、たぶん何も見えませんが、昭和2年当時は民家や公共物はほとんどなく、
大演習は見えたのでしょう。

昭和天皇統監碑6


この一角は名古屋市の市有地として管理、保護されています。
傍らに(昭和)天皇傘寿記念樹の記念碑がありました。
左後ろに写っている松の木がそれでしょうか?
他にも「日本初ライフル銃弾遊泳射撃跡」、「西三河東山道路組合」の木柱が現認されました。
これは機会があれば別項でご報告します。

昭和天皇統監碑7


再び道路に降り立って、来た道を見ると、急な坂道らしく道路にはスリップ防止の加工が
見られ、道路はまっすぐに伸びていました。

昭和天皇統監碑8

石碑には次の通り刻まれています。
昭和二年十一月 大元帥陛下親シク陸軍特別大演習ヲ尾三ノ野ニ統ヘサセラレ十七日畏クモ
御馬ヲ吾カ守山町ニ進メ 大纛ヲ
此ノ地ニ樹テサセ給フ此ノ時豫備陸軍歩兵中尉小島克實ヲ召シテ長久手役ノ講演ヲ聴シ召サル
高松宮宣仁親王 久邇宮
邦彦王 東久邇宮稔彦王等陪従セラル是ノ日ヤ天睛レ氣淸ク濃尾ノ山川ハ爭フテ秀ヲ
御馬前ニ呈ス仰ケハ幾十ノ飛機ハ髙
碧空ニ羽翔シ俯セハ幾萬ノ貔貅ハ庄内川ヲ挟ンテ相搏チ天地為メニ震撼ス洵ニ空前ノ
盛事タリ 當時町民ハ颯爽タル英姿ヲ咫尺ニ拝シ奉リ齊シク感激措ク能ハス相謀リテ其ノ
栄ヲ石ニ勒シ後昆ニ傳フト云爾
 昭和三年九月六日 愛知縣知事正四位勲三等小幡豊治謹撰

守山郷土史研究会会誌「もりやま」第5号より解説引用
天皇統監の下に行われた陸軍の大演習は特別大演習と呼ばれ、昭和11年までに34回行われた。
本碑は昭和2年秋季大演習の際設けられた御野立所(野外統監部)に立つ碑である。
標高は66メートルの地。大演習の前後にその地方の天皇巡幸が行われるのが常であったので
該当の県市町村にとっては大事業であった。
演習参加の師団は第一、第三、第四の3個師団である。
その演習3日目11月17日の天皇の日程は次の通り。
「午前7.30大本営御出門(自動車)、途中瀬戸街道で守山尋高、龍泉寺街道では大森、
志段味東・西尋小の児童ら奉仰の熱意を受けさせられつつ、龍泉寺南方高地の下にて下車
それより徒歩にて丘の上の御野立所に御着
、演習の戦況を御覧あらせられ
午前10.00を御降り遊ばれた。」
龍泉寺街道が小幡駅前へ直接通ずる道へとかえられたのはこの大演習に備えてのことだった
北田用水は、そのため龍泉寺街道を伏越で渡るようになった。
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[ 2012/08/18 23:55 ] 石碑 | TB(0) | コメント(0)
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