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餘慶之碑(よけいのひ)

松坂町御岳20120815-6

松坂町の御嶽神社さんに立っている「餘慶之碑」をご紹介します。
石碑の裏側に次の通り刻まれていました。

安藤忠三郎氏ハ守山町川ノ人嘉永五年八月ノ産長シテ御用係戸長等ノ公職ヲ務メ
テ令名アリキ明治九年戸長梅村伊三郎氏ノ後援ニヨリテ官有地畧六十町歩ノ拂下
ヲ受ケ郷黨享福ノ資ニ供セシガ明治丗年誤ツテ公有林ニ編入サレ町村管理トナル
ヤ川村民ハ特權ヲ喪ヘリ明治丗七年十一月同氏死去以来ナス所ナカリシガ大正六
年ニ至リ谷口貞治同正治岡田伊三郎ヲ委員トシ安藤源治郎安藤房輔三浦金三郎安
藤亀三郎谷口吉治郎ヲ顧問トシ商量奔走遂ニ七年五月名義変更許サレテ復タ志ヲ
貫澈スル事トナル茲ニ於テ諸氏ハ忠三郎氏當年ノ遺圖ヲ継承シ東山共有土地定欵
ヲ作リテ川百丗戸ノ為メ永遠繁栄ノ基礎ヲ立タリ川村民ヨク其定欵ヲ墨守シ勤勉
努力自彊息ムナクシバ時流ニ超越シ長ヘニ幸福ヲ享受セシ吾輩諸氏ト相識ル故ニ
後卋諸氏ノ子孫ガ餘慶ニ忸レテ報恩ノ勤行ナク遺圖ニ飽キテ感謝ノ勤業ナキノ獘
ニ陥ルフナキヲ切ニ希フテ茲處ニ共有地ノ由来ヲ記スフトセリ矣
大正九年十月愛知縣立農林學校長正五位勲四等山﨑延吉撰書

もしかしたら、拾い間違いがあるかもしれませんので、
お気づきになられましたらご教示をお願いします。

この碑文の解説を守山郷土史研究会会報「もりやま」第5号より転載させていただきます。
問題となっている「官有地六十町歩」とは川村の東山甲、乙にまたがる山林のことである。
東山甲は現在緑地公園内、東はゴルフ場に接する(人文字塔が立つ)山、東山乙は住宅地に
変わったが、西へ張り出した先端の山を余慶山といい、戦前白沢遊園地として賑わったところ。
麓に白沢池があった。


この記事のタイトル「餘慶之碑」ですが、餘慶すなわち新字体で「余慶」は
次のように説明されています。

なごや史跡探訪守山の旧街道と水屋めぐり
村人のためにつくした人の功績を称えて建てられた碑で、易経、坤文言伝にある
積善之必有余慶にのっとり命名されたという。


名古屋市:史跡・伝統的風習(守山区)
余(餘)慶とは、先祖の善行の積み重ねのお蔭で子孫が幸福になれることを意味しているという。
出典:易経「積善之家必有余慶」


川嶋(かわしま)神社
創祀の地は通称余慶山と呼ばれ、今も飛地の社地が残る。牛離レ松遺跡、
川東山古墳郡が存在する丘陵地である。


また、白沢川にかかる橋「余慶橋」もこの故事にならって命名されたものと思います。
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[ 2012/08/17 15:06 ] 石碑 | TB(0) | コメント(0)
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