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外壕稲荷(3)

娯楽園を含めた瀬戸線の研究者的な視点からの記述を転載させていただきます。
守山郷土史研究会会報第28号
「瀬戸線あれこれ」 伊東重光さん
***
 本町と久屋の問に「娯楽園」(遊園地)があり、大正期に作られたが、開園の時期は特定できてない。
大正13年の沿線案内(注3・2頁)に「娯楽園停留所」の記載があり、「本町駅と久屋駅の中間で
娯楽園の中央」で、「瀬戸電鉄の経営にして電車の乗客慰安のため設備を為したもので、
運動器具から動物等まで飼育し(中略)休憩所もあり、それに観桜会、観藤会、納涼会、観菊会や
虫の声などと臨時余興を開催し、なお時々夜間開園をなす。市内北部第一の遊園地なり」
と自画自賛している。この区間の複線化に伴って休止されたが、正式廃止は外堀線の廃止時であった
(注11・31頁)とある。

 年表(注2・230頁)には、大正2年8月に土居下~堀川問の複線運転が
認可された(大曽根~土居下は8月14日)とあるが、実際は土居下・東大手・大津町・本町の
橋梁部分の拡張は軍の許可が得られなかったため、実質的に単線であるガントレット
(一見単線に見える部分的に重なり合う形の複線・狭窄線)が残っていた。
本町付近を除いて完全な複線とされたのは昭和18年12月(註10・968頁) なので、
複線化は娯楽園休止と時期的に整合しない。昭和4年に休止し、オーナーが
新舞子の開発に着手したことと関係あるかもしれないとする資料がある(注1・49頁)。

注1 「せとでん」やきものの街瀬戸と瀬戸電の歩み(瀬戸電開通90周年記念
   特別企画展図録)」瀬戸市歴史民俗資料館、1995年。
注2 伊藤正ほか「瀬戸線の90年」郷土出版社、1997年。
注3 「瀬戸電鉄沿線案内」瀬戸電気鉄道株式会社、大正13年。
注10 名古屋鉄道広報宣伝部「名古屋鉄道百年史」名古屋鉄道株式会社、平成6年。
注11 前島一慶「せとでんの歴史(名鉄瀬戸線史)」雑論グループ知神HERMES、1990年。

更に伊東先生による続稿によれば、
守山郷土史研究会会報第29号
「瀬戸線あれこれ(二)」 伊東重光さん
***
 現在の各駅の公式の開業日の資料によると「娯楽園」と「大津橋」は明治44年(1911年)
10月1日とあるので、共に開業日から存在していて「娯楽園」が途中から「大津橋」とな
ったらしいとのことであるが、大正10年11月2日から10日間、娯楽園で行われた外濠線
一周年記念の新聞記事(注16・大正元年10月30日)に、「築営中の本町娯楽園もこのほど
竣工せしかば、この落成を兼ね」とあるので娯楽園の開園は開通日までさかのぼれない
ように思われる(遊園地に先立って駅は開業していたか)。

 そして一周年の祝で瀬戸からの往復乗車券および市内回数券購入者に「豪華な賞品
(債券・箪笥・戸棚・長持・掛置時計・帯・雨傘等) の当たる福引券を贈呈」するとの記事があるが、
娯楽園は電車の利用者に限るとある。この取扱がこの行事の期間だけなのかは確認できていない。
この記事中に「堀川~大曽根聞の外濠線」とあるので、当時の御園橋東の終点を「堀川」と
呼んだ可能性が大きいと思われる。

注16  新愛知新聞社「新愛知」

つづく
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[ 2017/10/31 20:52 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)
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