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外壕稲荷(2)

外壕稲荷の話の前に、触れなければならない瀬戸電の歴史の一こまがあります。
それは名古屋城の外堀にあった瀬戸電経営による遊園地「娯楽園」です。
娯楽園についてはインターネット上の情報がほとんど無いため
守山郷土史研究会会報からご紹介します。

守山郷土史研究会会報第9号
「東春日井郡川村の郷(上)」 -大正時代の年中行事・生活点描- 滝本庄吾さん
***
久屋の公園とは現在の久屋公園ではなく、大正当時、名鉄瀬戸線が瀬戸電と呼ばれ、
名古屋城の外堀内を走っていて、まだ名鉄に吸収されていない時代、
瀬戸電が乗客の客寄せに作った公園であった。これを「娯楽園」という。
外堀内を走る電車道に沿った北側、久屋駅と本町駅間の細長い公園であった。
お堀の内であるため北側は石垣となっており、その上は「借行社」があって北に上ることは出来なかった。
(中略)
この娯楽園では夏になると盆踊り大会が聞かれ、各地から多くの組の参加申し込みがあった。
申込者は日程が割り当てられ、同じ日に何組かが一緒となるが順に踊って行く。
そこに川村からも毎年出場していた。先の谷口松三郎らに連れられた女の子達十五、六人は、
各自盆踊りの小道具(ザィ、花笠、扇子、手拭い等)を持ち、水道みちを通って廿軒家に出て、
連隊前駅で瀬戸電に乗った。
久屋駅で公園側(通常客は南側に下車)に下車し、降りた目の前が盆踊り会場であったという。
昭和初期、この娯楽園辺りも、完全複線化となったが、公園側に新しい線路を拡幅したため、
この公園は廃止された。


続けて娯楽園界隈を描写した手記を転載させていただきます。
守山郷土史研究会会報11号
「雀のささやき(二)」 田辺 爵さん
***
堀川のセト電終点は、大正時代には殆ど乗ったことがない。名古屋駅へ行くのも大ていは、
大津町で下車、市電に乗りかえた。広小路へ出るにも森下で乗りかえず、本町まで行き、
そこから歩いた。万葉辞典を求めたのもそのついでだった。
大正末期には、四年ほどいなかったので、殆ど利用したのは、大正12年以前のことである。
本町は、娯楽園の入口で、堀中の細長い沿線の空地を利用して、桜を植え、小動物をおいて、
桜のころには、夜も開園し、ニワカ万歳があり、川村の少女のさいはらいをもったおどりがあったりした。
桜のころは、夜桜がてりはえ、ぼんぼりに灯がつき、堀上の老松が星のまたたきをかくし、
往復の電車がいそがしげにチンチンとベルを鳴らしながら走った。いちど田楽をたべたかと思うが、
本町で下車、入場料をはらって(五銭?)大津町の東、久屋から電車でかえった。

以上は当時見聞きされた方々の手記でした。
娯楽園についてなんとなくイメージをつかまれたでしょうか?

つづく
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[ 2017/10/30 20:45 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)
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