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アメリカ村(SMITH TOWN) ②

スミスタウン配置図部分拡大
配置図の部分拡大
 先の「SMITH TOWN 配置図」の左上に、このスミスタウンの立地図がラフに書かれています。
これを拡大したのが上の画像です。文字情報としてそこに記されているのは「竜泉橋」、「白沢
バス停留所」、そして「水路」の三つです。

 橋の名前が変わるのはままあることで、もしかしたら現在の「白沢橋」をむかしは、と言っても
昭和30年頃は「竜泉橋」といったのかも知れませんが、今のところは未確認です。
余談ですが、上の部分拡大図で白沢バス停留所から左に折れて、スミスタウンと白沢川を
横断する道路があります。ここに架かる橋は、現在は見返橋となっていますが、ここも
むかしは小坂橋といったそうです。小坂町の町名消失とともに見返橋に変わったものと
思います。

 次に「白沢」バス停留所ですが、現在は図示の位置と思しきところには、名古屋市バスの
「緑ヶ丘住宅」バス停があります。時代は少し新しくなりますが、旧守山市発行の広報誌
「もりやま」名守合併記念1963年版によれば、この位置にあった国鉄のバス停は
「白沢口緑地公園前」になっています。

 三つ目の「水路」は白沢川のことで間違いはないでしょう。



スミスタウン航空写真19590525(昭34)
昭和34(1959)年の空中写真
中央に不規則な湖岸のような形の白沢川が見られます。
ボートが浮かべられ、プールとしても使われていた頃でしょうか。
その貯水地の右側にスミスタウンが細長く連なっているのが見られます。
しかし昭和32年の第5空軍の撤退から2年が経過し、白沢川を挟んで北側の街区が消滅して
何やら整地されているようにも見られます。
(空中写真は国土地理院の国土変遷アーカイブスより)

つづく

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[ 2017/08/15 09:52 ] 町並 | TB(0) | コメント(4)
見返り池
突然すみません。
守山区のとなりの区の者です。
いつも楽しく拝読させて頂いております。

亡父が釣り好きで幼少より連れられて
守山区のほとんどの池に釣行しました。
その中でもいちばん気になっていたのは
見返り池の名の由来でした。
いろいろ調べてみたものの解答は得られませんでした。

以下は私が数十年思案した拙い推測です。

・著名人(たとえば弘法大師)が
この地を去るのに名残惜しそうに振り返った

・池の形が見返る人の姿に似ている

・借金か博打の見返りに池を貰った

真相をご存知でしたらご教示ください。
宜しくお願い致します。

[ 2020/07/20 12:55 ] [ 編集 ]
re; 見返り池の由来
mag 様、
コメントありがとうございます。そういえば私も池の名称の由来については知りませんでした。守山探検隊で小幡緑地公園の中を通るコースを策定した時に、関連することをいろいろと調べました。そのときに「なるほど」と思ったのは、守山郷土史研究会会報「もりやま」No.5に掲載されていた「守山の石碑」の文章でした。その29ページに次のように書かれています。(要約)「明治35年、治水と灌漑を兼ねて三潴を大池とした」。三潴とは三つの湿地で、これに堰堤を造作して砂防池兼灌漑用貯水池にしたということです。このときになぜ見返り池にしたのかは伝わっていません。地元の人は最上流の緑が池のことを「大シャボ」、中央の見返り池のことを「小シャボ」と呼んだようです。シャボとは砂防が訛ったもののようです。私は「池の形が見返る人の姿に似ている」説に一票です!
[ 2020/07/20 20:19 ] [ 編集 ]
re;re; 見返り池の由来
管理人様
迅速なご回答ありがとうございます。

明治に湿地を灌漑したとは存じませんでした。
でしたら弘法大師はありえませんね(笑)

”見返り”と言うと知立市の見返り弘法が
いちばんに浮かぶくらい弘法大師が好きなので
この説は個人的には捨てがたいです。

・人の姿説
たしかに人の姿にも見えなくもないですね。
当時はもっと輪郭がはっきりしていたかもしれません。
切手で有名な見返り美人のような姿だったのでしょうか。

灌漑の以前に”見返り”に似た地名があったかもしれません。
坂を上ってきた旅人がこの辺りで小休止して麓を見返ったとか、、、

あれこれ想像するだけでも楽しいですが
何かいい手がかりがみつかるといいですね。

守山区は歴史遺産、戦跡がたくさん残っていて
興味が尽きません。

また面倒な質問をさせて頂くかもしれませんので
何卒宜しくお願い申し上げます。
[ 2020/07/21 09:02 ] [ 編集 ]
re;re; 見返り池の由来
mag様、こんばんは。
明治から遡ること元禄にも灌漑事業を行っているのですが、このときには貯水池とか堰堤とかまでは作っていなかったと思われます。また緑が丘とかの名称は昭和30年代からゴルフ場、高校に使いだしています。緑が池もそのころ貸しボートを始めるタイミングで命名したかも知れません。名古屋市の公文書館や法務局で古い公図や台帳を閲覧すれば、もしかしたらわかるかも知れません。
はい、どしどしとネタを投下してください。よろしくお願いいたします。
[ 2020/07/21 20:39 ] [ 編集 ]
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