配置図の部分拡大 先の「SMITH TOWN 配置図」の左上に、このスミスタウンの立地図がラフに書かれています。
これを拡大したのが上の画像です。文字情報としてそこに記されているのは「竜泉橋」、「白沢
バス停留所」、そして「水路」の三つです。
橋の名前が変わるのはままあることで、もしかしたら現在の「白沢橋」をむかしは、と言っても
昭和30年頃は「竜泉橋」といったのかも知れませんが、今のところは未確認です。
余談ですが、上の部分拡大図で白沢バス停留所から左に折れて、スミスタウンと白沢川を
横断する道路があります。ここに架かる橋は、現在は見返橋となっていますが、ここも
むかしは小坂橋といったそうです。小坂町の町名消失とともに見返橋に変わったものと
思います。
次に「白沢」バス停留所ですが、現在は図示の位置と思しきところには、名古屋市バスの
「緑ヶ丘住宅」バス停があります。時代は少し新しくなりますが、旧守山市発行の広報誌
「もりやま」名守合併記念1963年版によれば、この位置にあった国鉄のバス停は
「白沢口緑地公園前」になっています。
三つ目の「水路」は白沢川のことで間違いはないでしょう。
昭和34(1959)年の空中写真中央に不規則な湖岸のような形の白沢川が見られます。
ボートが浮かべられ、プールとしても使われていた頃でしょうか。
その貯水地の右側にスミスタウンが細長く連なっているのが見られます。
しかし昭和32年の第5空軍の撤退から2年が経過し、白沢川を挟んで北側の街区が消滅して
何やら整地されているようにも見られます。
(空中写真は国土地理院の国土変遷アーカイブスより)
つづく
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守山区のとなりの区の者です。
いつも楽しく拝読させて頂いております。
亡父が釣り好きで幼少より連れられて
守山区のほとんどの池に釣行しました。
その中でもいちばん気になっていたのは
見返り池の名の由来でした。
いろいろ調べてみたものの解答は得られませんでした。
以下は私が数十年思案した拙い推測です。
・著名人(たとえば弘法大師)が
この地を去るのに名残惜しそうに振り返った
・池の形が見返る人の姿に似ている
・借金か博打の見返りに池を貰った
真相をご存知でしたらご教示ください。
宜しくお願い致します。