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龍泉寺多宝塔の遷移(3/3)

名古屋市都市計画基本図S44-S47
名古屋市都市計画基本図S44-S47
 昭和31年の仁王門修理工事から、時代が十数年も新しくなった昭和45年頃の「名古屋市
都市計画基本図」に着目しました。インターネットで公開されている基本図を最大倍率で
拡大してもまだ判別しずらいので、電子的に拡大させたのが丸囲みの中です。
 これを見る限り、仁王門の右側に多宝塔の文字とともに四角に点のシンボルが
描かれています。つまり昭和40年代半ばには、まだ多宝塔は現在とは反対側にあったのです。



名古屋市都市計画基本図S48-S52
名古屋市都市計画基本図S48-S52
 多宝塔のシンボルマークは右側にありますが、左側にも四角のマークが見て取れます。
解釈に窮しますが、多宝塔遷移の過渡期的な状況とも思えます。



名古屋市都市計画基本図S53-S57
名古屋市都市計画基本図S53-S57
 多宝塔は完全に左側(西側)に描かれています。
過渡期的なところは不明確としても、昭和40年代後半から50年代初めには遷移があったものと
考えるのが無難でしょう。



龍泉寺多宝塔19760708
国土地理院空中写真 1976.7.8撮影
 更に範囲を狭めてゆきましょう。
上の写真は国土地理院の昭和51年7月8日撮影の空中写真です。
ちょっとわかりづらいかも知れませんが、多宝塔は左側に写って(移って)います。



龍泉寺多宝塔19740616
国土地理院空中写真 1974.6.16撮影
 上の写真は国土地理院の昭和49年6月16日撮影の空中写真です。
これまた判別が難しいのですが、右側にあるように見えます。



龍泉寺多宝塔19710516
国土地理院空中写真 1971.5.16撮影
 上の写真は国土地理院の昭和46年5月16日撮影の空中写真です。
これはハッキリとしています。まだ右側にありますね。
従いまして、昭和49(1974)年以降、昭和51(1976)年までの間に、多宝塔は仁王門に向かって
右側(東側)から左側(西側)へと遷移したものと考えます。

 最後にひとつ郷土史の先輩のエッセイを引用させていただきます。
守山郷土史研究会会報「もりやま」第3号 昭和59年月7日発行
「目を向けよう、守山の古建築」 松本政男さん

 ところで筆者は、以前から伽藍の配置が変わってきていることに数年前から気がついていました。
それは、多宝塔が仁王門の北東側にあったことを覚えています。(後略)
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[ 2017/04/28 21:06 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)
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