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吉根の古い絵はがき(6)

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徳田さんの記事 続き

観音寺や吉根の各家に分散して泊ったというが、工兵第三大隊の
全員というのは何名くらいだったのであろう。
その頃吉根の戸数は百数十戸で、観音寺には多勢泊ったというが、
本堂の面積は二六坪、庫裡三十坪の広さではそれほどの人数は泊まれまい。
とすると入りきれない兵隊は各家に強制的に割当られたことも考えられる。
河合鐱一氏(明治三七年生)の家は上島のバス停のすぐ前にあるが、
その時は工兵隊の事務所みたいになって、隊長やその世話をする
将校が泊っていたが、当時小学生であった鐱一氏の目には、設計器具
やら事務用具の色々が興味深かったそうである。工事のことで特にお
ぼえているのは、田圃の中に入る兵隊の足がわらじ履きであったこと
で、乾いた所にいた兵隊は靴をはいていたが、ぬかるみに足を踏み入
れる時はわらじに履きかえていたという。観音寺近くの茂八郎さんの
家は食事の支度をする場所になっていたそうだが、たった三日間とは
いえ大変なことであったと思う。
小林鈴太郎氏の記録では、吉根より旭村印場へ至る道路となっているが、
河合鐱一氏は吉根の山の上へ野砲の陣地をつくる演習だったの
ではなかろうかと言われる。

いずれにしても短期間に兵隊さんが吉根の山中のけもの道ていどの
細い道を、ある部分はそのままの位置で改修し、ある部分は少しはな
れた所を開さくしたり埋めたりして、リヤカーが通れるていどの道幅
にしたわけである。しかし軍隊が既成事実として道路はつくってしまったが、
事務上の手続きは未処理のままこれまで来てしまったというわけであろうか。
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[ 2016/06/27 23:55 ] 絵はがき | TB(0) | コメント(0)
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