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八ヶ村用水の取水口を考える(4)

取水口国土地理院KK593YZ19590525(昭34)
▲ 昭和34年の国土地理院による空中写真
米軍による空中写真で公開されているものは昭和24年撮影が最後で、次はこの国土地理院撮影の
昭和34年まで間隔が開いてしまいます。
前日のブログで使用した、昭和23年の米軍撮影による空中写真で確認された、八ヶ村用水の
取水口がかなり上流に移動した様子が、この昭和34年の空中写真でもはっきりと確認できます。

また旧取水口と新取水口の中間地点に、中切の堰堤が姿を現しています。
この堰堤の出現は、2016/2/15の拙ブログ「休日ウォーキング 下津尾の渡し跡(3)」で
お示しした次の写真と大変よく符合するものです。

今昔マップ下津尾の渡し1959-1960

さらに、よくよく見れば、八ヶ村用水の水路が地図中の①の右側を通り抜け、北上し、
空中写真と同様な位置にて庄内川より導水しているよう描かれているのもわかります。

こうした用水路や取水口の変遷には大きな理由がありました。
拙ブログの2012年8月23日「八ヶ村用水記念碑」にて引用した碑文を再掲載します。

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八ヶ村用水導水路は昭和二十五年八月庄内川
大出水のため殆んど壊滅に等しい被害を受け
た。時に関係者一同善後策研究の結果国費の
補助を得て恒久的復旧工事の実施を決意し八
ヶ村治水水利期成同盟会を結成市の委託工事
として翌二十六年三月着工した。尓来関係当
局及び地元民必死の努力により幾多の難関を
超え昭和二十九年九月竣工した。この間丹羽
兵助会長の絶大なる尽力の結果県直営の巨費
を投じ床止堰堤復旧工事の完成を見両者相俟
って用水取入の完璧を期することを得地元民
多年の宿望と幸福を達成したのである。
昭和三十五年三月建之
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従いまして、昭和23年撮影の米軍空中写真には無かった中切の堰堤は、
昭和25年の庄内川の大出水で壊滅的な被害を受けた後の、昭和26年に着工し、
昭和29年に竣工、その結果として1959-1960の国土地理院地図や空中写真に
載っていたわけです。
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[ 2016/03/04 22:44 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)
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