▲ 再び明治時代の地形図ここで再び明治時代の地形図を引っ張り出して、より精細に検討してみます。
等高線と道路を慎重に見極めて、あらためて赤いラインで描いてみました。
▲ 渡し舟からの裏参道想像図龍泉寺霊園が昭和50年に開園する前までの、いわば渡し舟からの裏参道がどうで
あったかを赤いラインで示しました。
渡し舟で川砂の堆積した洲に渡してもらい、そこを最短距離で横切り、もしかしたら
大昔の川湊であったかも知れない河岸段丘の窪みに到着します。
そこから明治時代の地形図では二つのルートが描かれていて、一つは①と付した東の
ルート、いまひとつは②と付した南に向かうルートになります。

▲ 龍泉寺霊園の西の端 竜神井戸おそらくこの辺りが「河岸段丘の窪み」だったのではないかと思います。
ここから東に本堂の方へ向かう急斜面のルートと、南に向かうルートの2本の参詣道が
あったのか、もうすでに墓地見取図に答えが出ていますが、自分の目で確認してみました。
▲ 垣根の向こうに竜神井戸の屋根、その延長上に本殿に向かう階段道なるほど、なるほど、この階段道が古道とは限りませんが、こんなイメージだとしたら
さほど急峻な坂道ともいえないかもしれませんね。
▲ 南回りのルート霊園の西の端、ガードレール沿いに上り坂があります。
正確には霊園の区域外になります。階段道は竹や樹木の間伐材でも使ったような、
いかにも昔の雰囲気を残したつくりになっています。
▲ 先ほどの写真をもう一度見ると・・・垣根や石垣の向こう側が斜面地になっているのがわかると思います。
これが階段道です。
▲ ガードレールの終わりから階段道を見上げたところ
▲ 階段道の途中で、庄内川方向を振り返り
▲ 坂道の途中にある小祠傍らの石碑には「大泉龍王」と刻まれています。これは私にとって久しぶりの小祠発見と
なりました。石碑と反対側の傍らには泉がありました。
▲ 坂道はさらに続いています前方に竹林がひろがり、その隙間から車道のガードレールが見えました。
おそらくこれが昔の南ルートなんだろうかと思います。
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