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休日ウォーキング 下津尾の渡し跡(3)

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休日ウォーキング 下津尾の渡し跡(2)

前記事で滝本庄吾氏は、守山郷土史研究会会報「もりやま」第9号(1990年)
東春日井郡川村の郷(上)-大正時代の年中行事・生活点描-の中で
次のように述べておられます。
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中切村との村境近くに渡し場を持ち(堰堤より少し上流)、庄内川を渡ったあと、
川村山と龍泉寺山の境を上って龍泉寺にお参りしていた
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これをヒントに考察してみましょう。

今昔マップ下津尾の渡しマーカー
▲ 今昔マップで見た2014年の空中写真
最初に今昔マップで現在の状況を上空から確認します。
春日井市中切町の堰堤両端に1および2のマーキングをします。
ついで堤防道路から「下津尾の渡し趾」石碑で河川敷に降りるポイントにも3のマーカーを
落としました。今後今昔マップで時代を遡って堰堤が消えても、代わりに龍泉寺道の古道が
出現しても、このマーカーが変わらぬ位置を教えてくれます。


今昔マップ下津尾の渡し1959-1960
▲ 今昔マップで表示した1959-1960の地形図
この地図が堰堤の描かれている最古の地形図で、マーカーの位置にズレがないことを
念のため確認しています、逆に堤防道路から河川敷への降り口「3」には道路が描かれていません。


今昔マップ下津尾の渡し1888-98
▲ 今昔マップで表示した1888-98年の地形図
堰堤「1」はどうやら河岸段丘の南端に取り付けられたように見えます。
また、龍泉寺さんへのルートが複数描かれてもいます。


明治時代の地形図
▲ 1888-98年の地形図の原図を元に考察
今昔地図では少し見づらかったので、原図(モノクロ)を元に気が付いたことを書きます。

庄内川から龍泉寺さんへの登坂ルート
ここでふたたび冒頭の滝本庄吾氏の言を引用します。
庄内川を渡ったあと、 川村山と龍泉寺山の境を上って龍泉寺にお参りしていた
上に示した明治時代の地形図に描かれている、庄内川から龍泉寺さんへのルートは
二つあって、ともに「4」とマーキングしたくぼみより出発しています。
北よりのルートは、龍泉寺さんの本堂にほぼ真っ直ぐな、極めて急峻なルートで、
いまひとつ南よりのルートは現在の御嶽さんのあたりに繋がる折れ曲がったものです。
滝本さんの引用文はこの後者、あるいはもう少し南側のルートを指し示している
ような気がします。
現実的に高低差50m以上の急峻な斜面を、ほぼストレートに上り下りしたとは
いくら往時の人々が健脚であっても考えにくく、やはり南側のルートなのかと思います。
いずれにせよ、「4」とマーキングした場所が気になります。
また「5」とマーキングした場所は、当時、河川敷にあった船頭さん(林さん)のお宅かと
思います。


今昔マップ下津尾の渡しマーカー最終
▲ もう一度、現代の写真に戻ると・・・
最初に使った現代の空中写真に「4」登坂口と「5」林さん宅を透過表示させてみました。
「4」登坂口は龍泉寺霊園の西端、「5」林さん宅は河川敷農園の中になっています。
渡船ルートは「3」→「4」の最短コースだったのでしょうか?
庄内川の流路は大規模な増水、氾濫の繰り返しの歴史の中で、幾多も変貌しています。
したがって都度、船頭さんが最適なコースをとっていたと考えられます。

次回の記事に続きます
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[ 2016/02/15 15:30 ] | TB(0) | コメント(0)
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