吉根ムラから見ると南の方角に、大森ムラを間にはさんで猪子石のムラがあります。
現在の名東区です。この名東区の旧猪子石地区で香流川地域センターの方々が編纂した
「猪子石今昔」という文献があります。
その中から、吉根の疫病除けのお札に類する記述をご紹介します。
新屋敷では現在、7月1日に「高〆」を行う。
これはしめ縄に御幣をつけたものを背の高い二本の竹の間に張り、
これを部落への入口の道路にわたして立てた。
四、五か所に立てて28日までおくが、トラックが通るようになって
邪魔だというので、戦後は片側だけ立てるようになった。
新田は7月11日に立てたが、整理事業後はやらなくなった。
以上「猪子石今昔」、昭和59年10月20日より
先日このブログで引用した次の文章が、今回の猪子石の文献で理解できました。
「ムラ境4ヶ所(→ムラの霊・神)に立てる。」
立てる位置は同じですが、猪子石の文献の表現「部落への入口」これが重要です。
部落外から入ってこようとする疫病を、入口で防ごうという目的が明確に
読み取れるからです。
「今は笹竹を道路の片側に寄せてあるが、もとは両側に笹竹を立てシメ縄を渡していた。」
これも両側から片側になった経緯がよく理解できます。
元々はバリケードのようにしていたのが、進入禁止の交通標識のようになったわけです。
時代とともに習俗も変化する面白い例です。
吉根、猪子石に限らず、広くこの風習が行われていたと思われます。
また他の地区の文献や実物を見つけたら、このブログでご紹介します。

スポンサーサイト