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天王社(守山下町) その2

元屋根神20120817-7
下町の天王社さんって・・・
天王社(守山下町)で献灯に「下町一同」と刻まれていることをご紹介しました。
じゃあ「下町」ってどこなの?という疑問は当然のこととして湧いてきます。
現在も、守山市、守山町の時ですら下町という字名はありませんでした。



下町20121124-3
矢田川物語を見ていたら・・・
こんな村絵図が掲載されていました。
図中の赤丸囲みのところが、おそらく下町の天王社さんだと思います。
赤丸の瀬戸街道を挟んで西側に「下町(しもまち)嶋」と書いてあるのがわかります。
「下町」を見つけた思いです。



守山商店街拡大2
明治末年 守山商店街推定図
名古屋区市シリーズ「守山区の歴史」に、田辺爵氏の書かれた地図が掲載されています。
同書によれば「今も残る守山の鍛冶屋は畑中氏である。鍛冶屋の南の天王社は屋根神となり、
今は瀬戸街道と旧道の角に移っている。」この文章がこの地図に見事書きこまれているのに
気が付きました。
地図の中の赤囲みの箇所が、鍛冶屋の畑中さん宅、その南に神社の鳥居マークがあります。



下町20121124-1
現在地はこのあたりでしょうか
畑中さん宅をお伺いしました。現在のご当主は昭和初年のお生まれで、この経緯をよく覚えて
おいででした。ご当主の代までは鍛冶屋さんを営んでいらしたそうです。区画整理までは
畑中さん宅は瀬戸街道に面していて屋根神さまがいらしたそうですが、整理を機会に少し
引っ込んだ場所に移動されたとか。
畑中家はもともと鍛冶屋集団の町、知多大野にあって尾張藩の仕事を多くしていたのが、
維新になって藩の仕事が無くなり、ここ守山に移転してきたのが嚆矢だとか。
ご幼少のころ、梯子を掛けて屋根上にある神様のお世話をされたご記憶もおありです。
そのころの瀬戸街道の両側は畑や田んぼばかりだったそうです。
この近在の畑中姓は同時に大野から出てきた親戚や、こちらに来てからの従兄弟で
やはり鍛冶屋を営み、屋根神様は守山区でもあちらこちらで見られたそうです。




下町20121124-2
1970年代の下町の天王社さん
どんどん庵の向かい側の天王社の写真が矢田川物語にありました。
左側の歴史的な町並みは姿を消し、駐車場になっていたと思います。

下町(しもまち)の天王社さんの調査はこの程度にしておきます。
貴重なお話をしてくださいました最後の鍛冶屋さんには、まだまだお元気にくらして
頂きたいと思います。
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[ 2012/11/25 06:42 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)
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