
【元陸軍兵器補給廠守山分廠関係綴の索引②、③】
元陸軍兵器補給廠守山分廠関係綴の索引は全部で3ページにまとめられています。
ところがつぶさに見てゆきますと、その3ページがすべて補給廠関係のものではなく、
いわゆる旧軍関係というくくりであることがわかります。
例えばこんなタイトルが入っています。
索引番号20 昭和20年9月17日 建築物保管委託書 これなどはタイトルだけを見たのでは重要度が低いとしか思えないのですが、内容は大違いで、
かつて守山区に展開した高射砲陣地の建築物保管委託なのです。日付を見ていただくと、
8月15日の終戦から約1か月後の文書であることがわかります。
文書の内容としては、守山町の職員が県庁に呼ばれ、戦時中に守山区に展開していた
高射砲第125連隊の連隊長を務めていた大中正光氏が作成した「陣地要図」等をもとに
国の財産たる建築物などの保管を委託されるものとなっています。
私はこの資料を最大のよりどころとして守山郷土史研究会会報「もりやま」34号(2015)に
「守山区の高射砲陣地 -空中写真に見る守山の現代史-」と題して寄稿しております。
索引番号24 昭和21年6月8日 元名古屋造兵廠守山気球隊バラック建1棟(60坪)等 これは名古屋造兵廠に気象隊があり、守山に展開していたことを示唆する記述です。
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