
【土地宝典 昭和30年版】
土地の地積を確認するには正確には法務局へ行って地籍図を閲覧するわけですが、
案件の内容によっては店(会社)でぱらぱらっと開けば用事が済む場合も多く、各地区
ごとに土地宝典という地籍図集が刊行されていました。
上の画像は守山市の昭和30年版です。場所は元補給廠の西半分のあたりです。
中央に東西(左右)にのびる幅の広い道路と、左端の陸上競技のトラックのような
エリアをご記憶ください。
そして地名は、縦横がキレイに区画されたあたりは「元補」で、何がなんだか複雑に
入り組んでいる場所は森孝新田の乙(おつ)とか丙(へい)の町名になっているのが
わかります。
さてここでもう一度、先日ご紹介のわが恩師の著作を引用しましょう。
小林 元 著 「香流川物語」
-----------ここから引用-------------
戦後この兵器補給廠の跡地は払い下げられて開墾が進められ、今はその
ほとんどが住宅地になってしまいましたが、
昔の「甲、乙、丙」の地籍が
ここでは混乱してわからなくなってしまい、とうとう
新しい地籍を作って、「元補」と呼ぶことになりました。すなわち「元補」とは「元補給廠跡」のことで、あまり
ロマンチックな由来ではありません。
-----------ここまで引用-------------
小林先生がお書きになられていたのは、この土地宝典のような状態の
ことだったのです。どうして中央のあたりが乙とか丙のままだったのかって?
それは端的にいえば人家がほとんどなくて、戦後すぐに区画整理ができた
ところが元補になって、集落を抱えてなかなか区画整理の話がまとまらず、
とうとうこの昭和30年の段階で区画整理をしなかったところはそのまま
残ったことを意味しています。森孝には2020年の現代でも、なんとなく懐かしい
守山区の原風景を感じる場所が残されていますが、そんな場所ですね。
ちなみに守山探検隊の森孝コースのときには畑や野菜の無人販売所が
あってとても癒されたという感想をいただきました。
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