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東寺別院(1)

東寺別院20201003
【東寺別院】

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上の絵葉書には「蓬莱七福神 布袋尊天 喜多山 東寺別院」と書かれています。
現代国語とは逆向きに書かれているところに時代を感じますね。
蓬莱七福神は世の中の七福神ブームにあやかって、瀬戸電が沿線への利用客増加を狙った企画です。
昭和初期から太平洋戦争開戦までくらいの間が盛んでした。



20180303 スカイワードあさひ 戦前の瀬戸電沿線観光(5)
【当時の瀬戸電のパンフレット】
戦前の瀬戸電沿線観光 と題して書いた2018年3月3日の記事で使った画像を再掲します。
元々はスカイワードあさひ 戦前の瀬戸電沿線観光展で撮影した資料です。
これをよくご覧いただきますと、東寺別院が翠松園文化住宅の上(北の方角)に
描かれているのが見られます。そのわきに「布袋尊」と七福神の名称が添え書き
されています。
翠松園のどのあたりにあったのでしょうか?
なんとなく山の頂上に描かれていますね。
そして東寺別院から尾張三大弘法(御花弘法)へ向かう点線で描かれた山道もあります。



東寺別院位置1932年
【1932年の地形図】
1932(昭和7)年の地形図で翠松園のあたりを見たところ、お寺を現す地図記号「卍」が
ありました!喜多山からの道路はこの卍のところで終わっていて、卍の背後の稜線には
点線の山道があります。瀬戸電のパンフとよく似ていますね。
小幡緑地公園の池は当時も今もほぼ同じなので、赤い文字で池の名称を書いてみました。
さて、肝心の卍マークは今のどこなのでしょうか?
さすがに1932年の地図だけでは特定が難しいですね。



東寺別院位置今昔マップ
【今昔マップで重ね合わせ】
今昔マップを使って1932年の地図に現在の地図を重ね合わせてみました。
ちょっと見づらいのですが、金城学院大学の道を山頂まで登り切って左に曲がります。
すると91.6mの三角点があるようですが、その南側のようです。
これ以上細かく特定することは、昨今の個人情報保護などの観点からも、現在の
誰それさまのお宅あたりですになってしまいますので控えた方がいいですね。
ただ、この位置ってもしかしたら・・・
そうです!お地蔵さまがございますよね。

冒頭の絵葉書はおそらく、湯場の施設であろうと思います。
幅の広い道路は更に上に向かって延びています。
そして絵葉書の右上のかどにほんの少し写り込んでしまっている何となく大きそうな建物、
これが東寺別院なのでしょうか?その左側にある「吹き流し」は東寺別院の一部ではなくて、
もしかしたら小幡ヶ原射撃場で訓練に必要な風向を把握するための吹き流しなのかも
知れませんね。
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[ 2020/10/03 19:01 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)
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