
【瀬戸市・深川神社表参道】
招き猫ミュージアムさんへ行った帰りに、隣接の駐車場のチケットを少し多めに頂いて
時間があまったので、そこから歩いて行かれる深川神社様に1年ぶりに参拝。
この表参道はまるで昭和が取り残された佇まいを残していて個人的には好きです。
境内では昨今の世相を反映して「あまびえ」さんの人形があり、それ目当ての
参拝客が代わる代わる写真撮影を楽しんでいました。
丁度お昼時でもあって、往復とも鰻屋さんの煙と匂いがあたりに漂い、
いっそうレトロ感をかもしだしていました。

【廃業店舗】
深川神社さまから表参道を南下し川と街道を超えると、道路は様変わりし、中央植樹帯を
はさんでいわゆる八間もの広さとなります。
そこに面して末広商店街のアーケードの角に今となっては廃業されたパチンコホールと
映画館が残っていました。大きな神社というものは、昔は集客力が頭抜けていて、
表参道は言うに及ばず、界隈にはそれ目当ての商店や花街がたくさん集まっていました。
戦後はこのあたりの花街がまとまって新開地へ移転したと瀬戸市史にあります。
戦後、守山騎兵連隊に進駐軍が入営しました。
なにしろ若い兵隊さんが大多数を占めていたわけです。どこの市町村でも対応に苦慮し、
なるべく一般の日本人の目に触れないように進駐軍専門の花街を一か所に集めて、
対応をしたのでしょう。ここ瀬戸でも同様で、貴重な外貨獲得のための行政と、
戦時中抑えられていた花街の経営者との利害が一致したのかも知れません。
ここであれば瀬戸街道をジープで飛ばせば守山からは近いし、もしかしたら瀬戸電に
進駐軍専用の車両があったのかもしれないなと想像が膨らみます。
瀬戸の花街もご多分にもれず、進駐軍が守山から撤退し、日本という国も売春防止法を
施行して衰退の道をたどるわけです。経営者の多くは特殊なカフェ、パチンコ、映画館
などに店を変えて、昭和・平成の時代を大変苦労してこられたことと拝察します。
時代も世代も変わり、こうして廃業店舗を見るにつけ、しばしこの場に立ちすくみ、
昭和初期から現在までの変遷に思いを巡らせておりました。
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深川神社、昭和の佇まいが残る長い参道があるのですね。何年か前、神社へは行きましたが、その参道は通らなかったのかな?記憶にありません。初めて歩いた瀬戸の町は坂の多い印象でした。窯垣の道、竜宮城のような門の有るお寺へも行きました。あの町に、花街の歴史が有った事始めてしりました。