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開運七福神

開運七福神スタンプ

【大名古屋七七福神 開運七福神】

大名古屋七七福神スタンプ帖の右上筆頭は決まって開運七福神のスタンプに
なっていました。名古屋におけるコースもほぼ中心部を担っていて、もしかしたら
七七福神のなかではもっとも早くにコース設定されていたのかも知れませんね。

スタンプは大名古屋七七福神の中では極めて異色の小判型をしていて、意匠は
中心部を長方形に窓開けしたところに七福神の代表的な全体像をあしらっています。

弁財天のスタンプは原色は緑色っぽく、かなり薄く、かつ、かすれていたので
私のウデではこれが精いっぱいの復元です。

現在の名古屋には「なごや七福神」が真言宗のお寺さんで構成されていますが、
「開運七福神」はそこには一つも入ってはいません。
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[ 2020/10/31 12:40 ] 七福神巡り | TB(0) | コメント(0)

大名古屋七七福神(8)

大名古屋七七福神スタンプ展 寿老人

【大名古屋七七福神 寿老人】

このスタンプ帖の最終ページは寿老人です。
このページもよく見るとスタンプの押し間違いがあるようです。本来なら見開きページの
左端は蓬莱七福神のスタンプなのですが、なぜかそこには主催者印のようなスタンプが
押されています。

それでは順番に見てゆきましょう。

・開運七福神 八角堂法蔵寺 中区水主町→現、中村区名駅南二丁目3番18号
・東郊七福神 太平寺 中区広路町川名→現、昭和区川名本町4丁目24−7
・宝生七福神 スタンプなし
・熱田七福神 実相院 中道→現、熱田区伝馬1丁目4−16、ただし宝船
・呼続七福神 龍泉寺 南区瑞穂町井戸田→現、瑞穂区井戸田町4丁目90番
・金城七福神 成福寺 下飯田町→現、北区 瑠璃光町1丁目8
・蓬莱七福神 スタンプなし

スタンプが無いのは蓬莱七福神だけかと思っていたら、宝生七福神も押印されて
いませんでした。さらに熱田七福神は寿老人のスタンプが無い代わりに番外
別格宝船のスタンプになっています。
まあ、いろいろとあったのでしょうね。
[ 2020/10/29 20:42 ] 七福神巡り | TB(0) | コメント(0)

大名古屋七七福神(7)

大名古屋七七福神スタンプ展 布袋和尚

【大名古屋七七福神 布袋天】

この大名古屋七七福神シリーズの記事を立ち上げるきっかけとなったのは、
蓬莱七福神の布袋尊天・東寺別院の記事からでした。
インターネットで検索する範囲内では大名古屋七七福神の情報が得られな
かったので、私の手持ちの資料でご紹介しようと思い立ちました。

・開運七福神 福泉寺 西区桶屋町→現、中区錦2丁目9
・東郊七福神 善昌寺 中区広路町石仏→現、昭和区石仏町1-80-2
・宝生七福神 長円寺 中村町→現、中村区中村町加藤屋敷3
・熱田七福神 福寿院 田中町→現、熱田区白鳥3丁目6−8
・呼続七福神 成道寺 南区呼続町→現、南区鳥栖2丁目15−22
・金城七福神 六通寺 東大曽根町→現、北区大曽根1丁目30−26
・蓬莱七福神 東寺名古屋別院→現、所在なし

スタンプ帖の真ん中の赤い布袋様は、呼続七福神の芳樹山成道寺さまなのですが、
そのようにはまったく読めなくて苦労しました。山号の「芳」は大丈夫でしたが
二文字目の「樹」に相当する文字は公文書館の学芸員さんに助けていただきました。
寺名の「成」「道」もてんで歯が立ちませんでした。
学芸員さん、ありがとうございました。
[ 2020/10/28 19:50 ] 七福神巡り | TB(0) | コメント(0)

大名古屋七七福神(6)

大名古屋七七福神スタンプ展 弁財天

【大名古屋七七福神 弁財天】

七福神巡りも後半に入りました。
本日は弁財天さまです。スタンプを見ると、お持物である琵琶が3か所と最も多く、
ついで琵琶を弾かれているいるお姿が2か所と、例の小判型のスタンプもたぶん
同じかも知れません。にこやかなお顔は熱田七福神に共通のスタンプなのだと
わかってきました。

それでは、七七福神を見てゆきましょう。

・開運七福神 七寺 名古屋市門前町→現、中区大須2丁目28
・東郊七福神 不動院 東区千種町中道→現、不明
・宝生七福神 龍潭寺 野田町→現、中川区野田3丁目187
・熱田七福神 弥ろく院 幡屋町菖蒲池→現、熱田区旗屋2丁目25−13 弥勒院
・呼続七福神 白毫寺 南区呼続町→現、南区岩戸町7−19
・金城七福神 西来寺 西区田幡町→現、北区金城3丁目9-33
・蓬莱七福神 観音寺 松河戸→現、春日井市松河戸町824 東風記念館のところ

東郊七福神の不動院さまはわかりませんでした。
東区千種町中道は現在の千種三丁目にすっぽりと入るそうで、そこに現存する
寺院は吹上寺さまと永昌院さまなのですが、決め手に欠きました。

蓬莱七福神の観音寺さまは、松河戸なので瀬戸電の沿線事業と考えると
現代の感覚だと随分距離がありますね。むしろ、勝川からのほうが近いような
気もしますが。
[ 2020/10/27 21:23 ] 七福神巡り | TB(0) | コメント(0)

大名古屋七七福神(5)

大名古屋七七福神スタンプ展 福禄寿

【大名古屋七七福神 福禄寿】

スタンプ帖の次のページに進みます。
今回は福禄寿さまです。
何回かにわたって眺めていると、七福神巡りのコースによって、スタンプの統一性が
見えてきました。とくに開運七福神コースのスタンプは縦長小判型は見事に統一
されていますね。

それでは福禄寿に相当するお寺をいつものように見てゆきましょう。

・開運七福神 高顕寺 中区下日置町→現、中区橘1-3-23
・東郊七福神 弁財天様のスタンプが押してありますが正しくは
       浄元寺 中区御器所町→現、昭和区村雲町14−17
・宝生七福神 観音堂 東宿→現、中村区東宿町2丁目 観音禅寺
・熱田七福神 蓮花院 大瀬子町中瀬子→現、瑞穂区前田町1-20
・呼続七福神 法泉寺 南区呼続町→現、南区呼続2丁目1−21
・金城七福神 乗円寺 萩野下中切→現、北区中切町2丁目61
・蓬莱七福神 法輪寺 大森→現、守山区大森3丁目

今回は東郊七福神で思いもよらないことに弁天様のスタンプが押してありました。
もしかしたらと思って翌日予定の弁天様のページをめくりましたが、
まったく同じスタンプでした。東郊七福神の福禄寿スタンプは幻となりました。
[ 2020/10/26 21:20 ] 七福神巡り | TB(0) | コメント(0)

大名古屋七七福神(4)

大名古屋七七福神スタンプ展 毘沙門天

【大名古屋七七福神 毘沙門天】

スタンプ帖の次のページは毘沙門天さまになっています。
毘沙門天さまは古代インドの仏神で、別名多聞天さまのほうが通りがよいかも知れません。
私たちがよく目にするお姿は片手に仏塔を持っていらっしゃる形で、この仏塔の中には
高僧が何人かいらっしゃって、毘沙門天さまに意見を具申されるとか聞きました。
ゆえに独断専行ではなく、多くの意見を聞く天の神さまで多聞天さまなのだとか。

今回のページから読み取れる毘沙門天さまに対比されるお寺さんは次の通りです。

・開運七福神 法応寺 中区白川町→現、千種区青柳町6丁目25
・東郊七福神 松林寺 東区田代町→現、千種区丸山町1丁目38番地 
・宝生七福神 弘法堂 横井山→現、中村区横井山緑地公園山頂
・熱田七福神 喜見寺 曽福女→現、熱田区神宮2丁目7−2
・呼続七福神 笠覆寺 南区笠寺町→現、南区笠寺町上新町83(笠寺観音)
・金城七福神 新福寺 庄内町→現、西区名塚町2丁目60番地
・蓬莱七福神 宝勝寺 尾張国守山→現、守山区市場4

他のお寺さんと同様に戦前と現在とでは、お寺さんの所在地が変わることが
ままあるようです。戦災、伊勢湾台風、区画整理などでしょうか。

毘沙門天さまのスタンプはシンボルである宝塔をあしらったものと、
お姿を描いたものがともに3件で、残り1件がお顔となっています。
また開運七福神コースはほかと同様に縦長の小判型となっています。
多く、
[ 2020/10/25 12:05 ] 七福神巡り | TB(0) | コメント(0)

大名古屋七七福神(3)

大名古屋七七福神スタンプ展 大黒天
【大名古屋七七福神 大黒天】

序列の二位は大黒天さまだそうです。
昔むかし歌った「大黒様」は調べてみると、明治38年の文部省唱歌なのですね。

大黒様のページにも7か所のスタンプが押されています。
右上の開運七福神は前回ご紹介の恵比寿様と同じで小判型をしています。
それでは七七福神を詳細に読み取ってゆきましょう。

・開運七福神 本遠寺別院 東区桜町3丁目→現、中区錦3丁目(ただし、所在なし)
・東郊七福神 光正院 東区千種町元古井→現、千種区今池1丁目5−26
・宝生七福神 観音堂 中区牧野町→現、中村区太閤5丁目2−10
・熱田七福神 大薬師 熱田区高蔵町→現、熱田区高蔵町
・呼続七福神 清水閣 南区呼続町→現、南区呼続4丁目13−18 長楽寺
・金城七福神 大黒殿 西志賀町→現、北区元志賀町2丁目127 霊源寺
・蓬莱七福神 長慶寺 小幡→現、守山区小幡中2-24-45

スタンプの意匠は、俵の上に乗った代表的な二つ、大黒様のシンボル的な
お持物である打ち出の小づちが4、ニコヤカなお顔が一つとなっています。

今回の大黒様に相当するお寺は、すでにその場に無かったり、スタンプの寺名と
異なっていましたので、少し不正確なところがあるかも知れません。
[ 2020/10/22 21:01 ] 七福神巡り | TB(0) | コメント(0)

大名古屋七七福神(2)

大名古屋七七福神スタンプ展 恵比寿
【大名古屋七七福神 恵比寿】

大名古屋七七福神スタンプ展のスタンプ帖の表紙をめくると、最初の七福神様は恵比寿さまから
始まっています。七福神の神々の並び順は諸説があるようですが、現代版の七福神でも恵比寿天を
序列一位にしているケースが多くあります。

それぞれの七福神巡りで恵比寿天に対比させているのは次のお寺です。

・開運七福神 蔵福寺(ぞうふくじ)南区熱田市場町→現、熱田区神宮2丁目11−12
・東郊七福神 龍興寺(りゅうこうじ)中区御器所町→現、昭和区御器所3丁目1−29
・宝生七福神 光明寺(こうみょうじ)中村区岩塚町→現、中村区岩塚町郷中90
・熱田七福神 等覚院(とうかくいん)熱田区大瀬子町→現、熱田区大瀬子町820
・呼続七福神 東宝寺(とうほうじ)南区西桜町→現、南区西桜町98
・金城七福神 松音寺(しょうおんじ)萩野村→現、北区光音寺町2丁目93
・蓬莱七福神 良福寺(りょうふくじ)印場→現、尾張旭市印場元町1丁目15−19

スタンプのデザインを見比べますと、恵比寿さまはタイを釣っている座像が多いことから、
スタンプにも鯛をあしらったものが3点と一番多く、次いでニコヤカなお顔が2点、
座像に近いものが2点となっています。
[ 2020/10/21 22:34 ] 七福神巡り | TB(0) | コメント(0)

大名古屋七七福神(1)

大名古屋七七福神スタンプ展 表紙

大名古屋七七福神スタンプ展 寿老人


【大名古屋七七福神スタンプ展スタンプ帖】

関連記事 [ 蓬莱七福神 ] を含む記事

前記事である「東寺別院」にて蓬莱七福神について触れましたが、昭和初期から戦前までの間
交通網の発達と、その沿線への集客増加を狙って、手軽な庶民信仰的な娯楽である七福神巡りが
各地で流行したようです。

今回は瀬戸電の沿線での蓬莱七福神巡りから少し視野を拡げ、当時の名古屋市における七福神巡りを
眺めてみたいと思います。

上の画像は当時の「大名古屋七七福神」のスタンプ帖です。
どのページ、つまりどの七福神からご紹介すべきなのか迷いましたが、今回は表紙と最終ページを
掲載いたします。

まず名称から。
単に七福神ではなくて「七七福神スタンプ帖」であることにご注目ください。
つまり七福神巡りのコースが当時の名古屋に七つあったことに由来します。
瀬戸電沿線の蓬莱七福神巡りはその一つだったのですね。

スタンプ帖全体から読み取れる七福神巡りの七コースは次の通りです。
上の画像で右から、
・開運七福神
・東郊七福神
・宝生七福神
・熱田七福神
・呼続七福神
・金城七福神
・蓬莱七福神
このページだけでは読み取れませんので、他のページを併せて判読しました。
またこのページに限っては蓬莱七福神のスタンプがないのも引っ掛かります。


大名古屋七七福神スタンプ展主催の印

【主催のスタンプ】
今のところこのスタンプ帖の出所、由来はわかりませんが、大名古屋七七福神スタンプ展
という名称の入ったスタンプが最終ページの寿老人に押印されていることから、たとえば
松坂屋あたりでそういう催事があり、そこでの即売品として頒布されていた可能性もあると
思います。

主催者のスタンプには反時計回りで文字が入っていて、前述の「大名古屋七七福神
スタンプ展」に加えて、少し小さな文字で「名古屋趣味のスタンプ会」と彫られているのが
読み取れます。
次回からはほかのページを順次眺めてみたいと思います。

文中の文字はすべて新字体に置き換えてあります。

[ 2020/10/18 10:31 ] 七福神巡り | TB(0) | コメント(0)

東寺別院(3)

東寺名古屋別院絵葉書愛知県図書館蔵
【東寺別院の絵葉書】
正確には京都東寺の名古屋別院という位置づけです。
もちろん当時はまだ東春日井郡なのですが、小幡別院とか守山別院では「どこ、それ?」に
なってしまいますので、名古屋近郊にある別院ということで名古屋別院と言われていた
ようです。

瀬戸電が配布していたパンフレットから、東寺別院についての記述を抜粋してみます。

喜多山案内
瀬戸電氣鐡道株式會社

真言宗総本山京都の東寺名古屋別院(喜多山より十三丁)
東寺の名古屋別院は20か年の継続事業として七堂伽藍完成の目的を達すべき予定にて
着々計画せられ地鎮祭も立派に松永管長猊下御親修あらせられ古法に基づき最も厳粛に
執行せられ仮堂の建築が出来ました。

此処には蓬莱七福神布袋尊天を祭る御縁日は毎月7日で春季大祭は4月7日、秋季大祭は
10月7日である。(中略)

此の地は眺望と風致に富み名古屋近郊に比すべき場所もない。東には猿投の朝霞に、
南は長久手、猪子石、覚王山の翠岱から熱田の沖も見え、近くは白布を展べた矢田の
清流あり、西には模糊たる雲烟の間に金鯱は夕陽に輝き、勝川の清流には満帆の舟も見ゆ。
北は龍泉寺の多宝塔を隔てて小牧山、本宮山、尾張富士、遠くは江州の伊吹、加賀の
白山、木曾の御嶽に濃飛の山々も見ゆる高台である。

(中略)

東寺を知らざる人あるを遺憾とし、今回世潮人心の傾向に鑑み120万円余の予算を定め
別院を名古屋に近い俗界解脱の翠松園分譲地域内に定められ、広く十方信者の浄財を
求め目的の達成に努力を払うこととなったものである。

なお東寺には昔から特殊の浴室がある。これは天長年間弘法大師の御創建で垢穢浄除
身心保健を目的とし、蒸風呂、薬風呂、浄湯の三種あり今もそのまま毎日午前6時から
午後の6時まで衆人の入浴に供せらるるが、現在にては風紀上男女隔日にここを参籠して
入浴することとなり居れり、浴室付属の洗心寮は建坪200坪有余でいずれは別院にも
これらの御法湯の分湯もできるし、なおまた尾張三大弘法大師建設の準備中なり。

別のパンフレットには次のように書かれています。

蓬莱七福神御案内
瀬戸電氣鐡道株式會社

東寺名古屋別院は昭和2年5月地鎮祭を執行せられ、続いて昭和4年仮堂を建設せられ
たるものなるが(中略)

境内は喜多山一帯の翠松園文化住宅経営地内に属し、(後略)
引用終わり

ということで、昭和2年5月に地鎮祭を執り行い、20年計画で建設を始めたわけですが、
いくらもしないうちに世相が悪化し、計画は立ち行かなくなったものと思われます。

むしろ逆にこの立地は高射砲陣地、照空隊部隊から至近なため、危険極まりなく、
もしかしたら戦時中は陸軍に建物が徴用されていたかも知れませんね。
[ 2020/10/05 20:54 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

東寺別院(2)

大森陣地要図トレース版
【大森陣地要図トレース】
 東寺別院のお話の続きに入る前に、戦時中の大森八龍のあたりを
眺めてみましょう。この図は私が守山郷土史研究会会報「もりやま」に寄稿するに
あたって作図した、高射砲第125連隊第4大隊第17中隊(大森照空隊)の布陣を
現在の地図にトレースしたものです。照空隊とは、文字どおり夜間、サーチライトで
天空を照らす部隊のことです。矢田、大幸の三菱発動機工場への夜間爆撃に
対する防衛網の最前線の役割を果たしていました。
現在の金城学院大学のあたりに関連施設がたくさん集まっていました。
このトレース図は戦後の米軍による空中写真と、これら国有資産の保全を
委託された守山町の資料から作成したものです。


大森陣地要図原図
【大森附近陣地敷地要図】
 これが冒頭のトレース図の元になった陣地要図です。
これは戦後まもなく、これら国有資産が奪略されないよう、国(財務局)が守山町に
対して保全を委託した時に、守山町の担当者が財務局で書き写してきたものです。
この書き写し地図の中で表題のすぐ下に「卍」の文字がありますが
わかるでしょうか?敷地という文字の間あたりの下になります。
これが東寺別院あるいは、湯場ではないかと思います。


大森陣地米軍空中写真20201004
【翠松園、大森附近の陣地展開図】
 この写真は、戦後まもなく米軍によって撮影された空中写真から翠松園、大森に
展開していた高射砲、照空の部隊を解析したものです。
敷地要図で記されていた「卍」はB~Cを結んだあたりやや上に写り込んでいます。
上の空中写真をダブルクリックして大きくしてご覧になられてください。
民家にしては大きすぎる建物がわかりますか?

喜多山で瀬戸電を降りて、二つ池の間の道を通り抜け、坂道をてくてくと歩きます。
道なりにしばらく歩くと、やがて道路は大きな建物で三叉路となっていますね。
昭和初期の瀬戸電のパンフで道が東寺別院まで通じているように描かれていたことと
よく合致しています。


東寺別院20201003
【蓬莱七福神の絵葉書】
 再び絵葉書に戻りましょう。
偶然なのか絵葉書の右上に写り込んでしまった東寺別院らしき建物の一部と、
たぶんそこへ向かって伸びているであろう広い坂道が見られますね。
さらに細かく見ますと、中央で人々が集まっている広場から左上に向けて階段道が
あるようです。それとこの広場から、幅の広い坂道を挟んで反対側にも道があるようです。
つまりこの広場と湯場は坂道と交差する道路の角に立地しているようにも見えます。
このあたりを手掛かりに、先ほどの米軍空中写真を眺めてみますと、たしかにB-C間に
坂道と交差する道があって、その北西角に建物がありますし、その建物から上(北)に
向かって狭い道まで写っています。



東寺別院米軍空中写真検討図20201004
【絵葉書の撮影ポイント】
 もう一度米軍空中写真と絵葉書を並べて検討をしてみます。
まず絵葉書の右上に写り込んでいた大きな建物の左端から、坂道にある交差点まで
赤い線を引きます。ついで絵葉書の湯場と思われる建物の角が手前になって、かつ
湯場が画面中央やや左になるように2番目の赤い線を引きます。その線が交わるあたり、
かなり大雑把ですが、そのあたりが撮影ポイントだと思われます。
[ 2020/10/04 10:36 ] お寺 | TB(0) | コメント(4)

東寺別院(1)

東寺別院20201003
【東寺別院】

関連記事:[ 蓬莱七福神 ] を含む記事

上の絵葉書には「蓬莱七福神 布袋尊天 喜多山 東寺別院」と書かれています。
現代国語とは逆向きに書かれているところに時代を感じますね。
蓬莱七福神は世の中の七福神ブームにあやかって、瀬戸電が沿線への利用客増加を狙った企画です。
昭和初期から太平洋戦争開戦までくらいの間が盛んでした。



20180303 スカイワードあさひ 戦前の瀬戸電沿線観光(5)
【当時の瀬戸電のパンフレット】
戦前の瀬戸電沿線観光 と題して書いた2018年3月3日の記事で使った画像を再掲します。
元々はスカイワードあさひ 戦前の瀬戸電沿線観光展で撮影した資料です。
これをよくご覧いただきますと、東寺別院が翠松園文化住宅の上(北の方角)に
描かれているのが見られます。そのわきに「布袋尊」と七福神の名称が添え書き
されています。
翠松園のどのあたりにあったのでしょうか?
なんとなく山の頂上に描かれていますね。
そして東寺別院から尾張三大弘法(御花弘法)へ向かう点線で描かれた山道もあります。



東寺別院位置1932年
【1932年の地形図】
1932(昭和7)年の地形図で翠松園のあたりを見たところ、お寺を現す地図記号「卍」が
ありました!喜多山からの道路はこの卍のところで終わっていて、卍の背後の稜線には
点線の山道があります。瀬戸電のパンフとよく似ていますね。
小幡緑地公園の池は当時も今もほぼ同じなので、赤い文字で池の名称を書いてみました。
さて、肝心の卍マークは今のどこなのでしょうか?
さすがに1932年の地図だけでは特定が難しいですね。



東寺別院位置今昔マップ
【今昔マップで重ね合わせ】
今昔マップを使って1932年の地図に現在の地図を重ね合わせてみました。
ちょっと見づらいのですが、金城学院大学の道を山頂まで登り切って左に曲がります。
すると91.6mの三角点があるようですが、その南側のようです。
これ以上細かく特定することは、昨今の個人情報保護などの観点からも、現在の
誰それさまのお宅あたりですになってしまいますので控えた方がいいですね。
ただ、この位置ってもしかしたら・・・
そうです!お地蔵さまがございますよね。

冒頭の絵葉書はおそらく、湯場の施設であろうと思います。
幅の広い道路は更に上に向かって延びています。
そして絵葉書の右上のかどにほんの少し写り込んでしまっている何となく大きそうな建物、
これが東寺別院なのでしょうか?その左側にある「吹き流し」は東寺別院の一部ではなくて、
もしかしたら小幡ヶ原射撃場で訓練に必要な風向を把握するための吹き流しなのかも
知れませんね。
[ 2020/10/03 19:01 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)
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