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松ヶ洞東遊園(3)

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かねてご指導いただいています知多市の「自然誌古典文庫」さまが
ネットに掲載された資料により、松ヶ洞東遊園の範囲がわかってきました。

冊子表紙20191130
【小幡龍泉寺案内】


小幡龍泉寺案内(4)
【該当ページ抜粋】

 松ヶ洞東遊園は多宝塔の下にして桜楓樹多く眺望はなけれども四時鬱々と
して冷気肌に迫る避暑の好適地にして護摩堂稲荷祠は此処にあり而して
県道を隔てたる東の幽森には切池地蔵尊を安置し諸病平癒の霊験あり
此処より尾張三大弘法や塩釜神社へ行くのが近道である
(旧漢字は置き換えました)

 多宝塔はその後に西方に移動せられましたので、やや表現が違ってきますが、
現状に当てはめてみますと、山門から本堂に至る中心線より東の部分に位置します。
そのまま「県道を隔て」て御花弘法さままでを東遊園とした時代もあれば、
大師像が完成したので、この案内書の別項「大師遊園地」のごとく、さらに
園地を独立させた時代へと変節していったようです。
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[ 2019/11/30 12:15 ] 公園 | TB(0) | コメント(0)

龍泉寺さまからの眺め

鐘突堂20191110(2)
【龍泉寺さま 鐘楼堂】

 1年に何回となく龍泉寺さまにお参りをしたり、散策したりします。
今回は鐘楼堂の向こう側が随分すっきりしたような気がしました。
かっては愛知県とか名古屋の観光ガイド本の龍泉寺さまのページに、お寺から海が
見えると書かれていたような曖昧な記憶があって、ときどき気にしておりました。



龍泉寺鐘楼からの眺望20191110(2)
【鐘楼堂からの眺め】

 それで眺めはどんなだろうと顔をのぞかせてみると、遠く鈴鹿、養老の山並みに
加えて尾張平野が一望に、目の前には庄内川の流れが見られました。
いつから眺められるようになったのか、いや前々からそうだったのか、とんと
思い出せませんが、察するに2本の切り株がありますので、これを伐採されたことに
より視界が開けたのでしょう。


龍泉寺川湊20191022(2)
【一段下からの眺め】

 同じ方向への眺めは鐘楼堂からよりは、一段下から見たほうがよく見られます。
龍泉寺さまの山門前を霊園のほうへ折れてすぐに案内図がありますので、
そこにある階段を下ります。階段を下りきって、平たんになっている雛壇を奥まで
進んだあたりがちょうど鐘楼堂の下になります。
もう少し庄内川の雄大な眺めを堪能されたい場合には、お城(宝物殿)がある庭園に
展望台がありますので、そちらがおススメです(有料)。
[ 2019/11/16 07:21 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

松ヶ洞東遊園(2)

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尾張三大弘法大師案内第一版 尾張三大弘法大師案内第一版説明文抜粋
【瀬戸電による尾張三大弘法大師案内】

 かって瀬戸電気鉄道によって作成された「尾張三大弘法大師案内」の
第一版をお示しします。これによれば、「尾張三大弘法大師の第一番と
して総高三十一尺の御花弘法大師の尊像を松ヶ洞東遊園内の高所に
安置せらるゝ事となり不日地鎮祭を行い着工の準備中なり。」と
あります。
 これが後の版になると「・・・松ヶ洞東遊園の東端眺望桂絶の霊所なり。」と
表現が少し変化してきます。
これらにより、現在お花弘法さまがいらっしゃる辺りを東端にしてそこまでを
東遊園としていたことがこのパンフレットから読み取れます。

 こうしたパンフレットは瀬戸電気鉄道が大正末期から昭和初期にかけて
沿線への集客増加を目的に実に様々と発行しましたし、また大仏や蓬莱
七福神の企画など形あるものを同時並行して繰り出し、より付加価値という
効果を高めてゆきました。

 またお花弘法の工事進捗状況の表現からは、まず東遊園がありきで、
その後にお花弘法が完成していることもうかがえます。

つづく


[ 2019/11/05 22:13 ] 公園 | TB(0) | コメント(0)

恵那峡弁財天(2)

恵那峡弁財天20191027(2)
【現地にある解説パネル】

 このパネルには次のように書かれています。
「大井ダムができる前、この弁天島は木曽川中心部に向かう小高い山だったとされる。
弁財天はこの山に江戸時代中期頃に祭祀されたといわれる。その後、大井ダムの
開発に伴い現在のように小島の形になり、幾多の護岸工事によって守られ現在に
至っている。現在も河川の治水や音楽、弁財、福智、延寿、除災、得勝を司られて
いるといわれる。」


勝川勝満山大師殿絵葉書4枚
【勝川勝満山大師殿絵葉書4枚】

 この画像は昭和初期に勝川駅からほど近いところに大仏様が建立されたときの
絵葉書です。弘法大師と不動明王それに弁財天の3像と、全体の様子の4枚組です。
かっては田畑の中でよく目だったことでしょうが、現在では高い建物が多く、大仏様と
いえども下調べをしないで闇雲に探しても見つけるのは容易ではありません。
 さて、この中の弁財天さまのお話です。
現在のお寺には弘法大師と不動明王は存在していますが、弁財天だけはどれだけ
探しても見つかりません。絵葉書をよく見ても背景が微妙に違うので、少なくとも
並んで建立されていたのではなかったようです。


勝川勝満山大師殿一願成就弁財天
【4枚組絵葉書から弁財天のみ】

 私はこの4枚組の絵葉書を数年前に入手していました。それはただ単に郷土史の
関連の収集であって、自分のテリトリー外まで手を伸ばそうという野心があった訳
ではありません。私も入手した時にチラっと一瞥したのみで、そのままアルバムに
保管したほどですから。
 それが約1年前、お若いけれども気鋭のコンクリート像研究家の書かれた、勝川駅前
勝川勝満山大師殿に関するネット記事を拝見して、とっさに私の保有している
絵葉書のことだと直感し、連絡をとらせていただいたのが今回の恵那峡行きの
動機につながっています。

つづく
[ 2019/11/03 08:50 ] 仏像 | TB(0) | コメント(0)

恵那峡弁財天(1)

map20191027(1).jpg
【恵那峡の位置】

 風光明媚なダム湖に弁財天様がいらっしゃるとのことで拝観しに行きました。
2019年10月27日(日)第48回恵那納涼水上花火大会との両鑑賞でのことでした。
恵那峡は名古屋住みの立場では、恵那峡ランドの名称としてときどき見聞きする
程度で実は知っていることはあまりありません。
一つには中央道、国道19号線、JR中央本線から離れていて、少なくとも車窓から
見られるというものではないのですから。

 わが家では子供が生まれる前後に観覧車のある遊園地に来たことがありましたが、
峡谷にまたがる橋の雄大なこと、わずかな距離が有料であったことを覚えている
くらいで弁財天様については覚えていないし、だいいちダム湖の湖面まで近寄っても
いないはず。今回はそんな恵那峡の弁財天様のお話です。

弁天島20191027(1)
【恵那峡の弁天島】

 恵那峡の観覧車の対岸にさざなみ公園と名付けられた遊覧船乗り場があります。
その一角に弁財天様をお祀りした弁天島があり、小さな橋で陸とつながっています。
大井ダムのダム湖は満々と水をたたえ、湖面はわずかにさざなみがあり、文字通り
「さざなみ公園」の趣でした。


恵那峡弁財天20191027
【恵那峡弁天島の弁財天様】

 そしてこちらがお目当ての弁財天様です。
インドにルーツがあるとされる日本古来からの弁財天さまではなく、江戸期以降の
七福神信仰の中に描かれている天女が楽器を奏でているスタイルです。
また水の神としてお祀りされていることが多い龍神を従えているのも比較的新しい
お姿です。


恵那峡弁財天20191027(2)
【現地にある案内パネル】

 弁財天さまのかたわらに簡単なご案内のパネルが設置されています。

つづく
[ 2019/11/02 08:24 ] 仏像 | TB(0) | コメント(0)
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