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わが町 守山区 TOP  >  2017年10月

外壕稲荷(3)

娯楽園を含めた瀬戸線の研究者的な視点からの記述を転載させていただきます。
守山郷土史研究会会報第28号
「瀬戸線あれこれ」 伊東重光さん
***
 本町と久屋の問に「娯楽園」(遊園地)があり、大正期に作られたが、開園の時期は特定できてない。
大正13年の沿線案内(注3・2頁)に「娯楽園停留所」の記載があり、「本町駅と久屋駅の中間で
娯楽園の中央」で、「瀬戸電鉄の経営にして電車の乗客慰安のため設備を為したもので、
運動器具から動物等まで飼育し(中略)休憩所もあり、それに観桜会、観藤会、納涼会、観菊会や
虫の声などと臨時余興を開催し、なお時々夜間開園をなす。市内北部第一の遊園地なり」
と自画自賛している。この区間の複線化に伴って休止されたが、正式廃止は外堀線の廃止時であった
(注11・31頁)とある。

 年表(注2・230頁)には、大正2年8月に土居下~堀川問の複線運転が
認可された(大曽根~土居下は8月14日)とあるが、実際は土居下・東大手・大津町・本町の
橋梁部分の拡張は軍の許可が得られなかったため、実質的に単線であるガントレット
(一見単線に見える部分的に重なり合う形の複線・狭窄線)が残っていた。
本町付近を除いて完全な複線とされたのは昭和18年12月(註10・968頁) なので、
複線化は娯楽園休止と時期的に整合しない。昭和4年に休止し、オーナーが
新舞子の開発に着手したことと関係あるかもしれないとする資料がある(注1・49頁)。

注1 「せとでん」やきものの街瀬戸と瀬戸電の歩み(瀬戸電開通90周年記念
   特別企画展図録)」瀬戸市歴史民俗資料館、1995年。
注2 伊藤正ほか「瀬戸線の90年」郷土出版社、1997年。
注3 「瀬戸電鉄沿線案内」瀬戸電気鉄道株式会社、大正13年。
注10 名古屋鉄道広報宣伝部「名古屋鉄道百年史」名古屋鉄道株式会社、平成6年。
注11 前島一慶「せとでんの歴史(名鉄瀬戸線史)」雑論グループ知神HERMES、1990年。

更に伊東先生による続稿によれば、
守山郷土史研究会会報第29号
「瀬戸線あれこれ(二)」 伊東重光さん
***
 現在の各駅の公式の開業日の資料によると「娯楽園」と「大津橋」は明治44年(1911年)
10月1日とあるので、共に開業日から存在していて「娯楽園」が途中から「大津橋」とな
ったらしいとのことであるが、大正10年11月2日から10日間、娯楽園で行われた外濠線
一周年記念の新聞記事(注16・大正元年10月30日)に、「築営中の本町娯楽園もこのほど
竣工せしかば、この落成を兼ね」とあるので娯楽園の開園は開通日までさかのぼれない
ように思われる(遊園地に先立って駅は開業していたか)。

 そして一周年の祝で瀬戸からの往復乗車券および市内回数券購入者に「豪華な賞品
(債券・箪笥・戸棚・長持・掛置時計・帯・雨傘等) の当たる福引券を贈呈」するとの記事があるが、
娯楽園は電車の利用者に限るとある。この取扱がこの行事の期間だけなのかは確認できていない。
この記事中に「堀川~大曽根聞の外濠線」とあるので、当時の御園橋東の終点を「堀川」と
呼んだ可能性が大きいと思われる。

注16  新愛知新聞社「新愛知」

つづく
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[ 2017/10/31 20:52 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

外壕稲荷(2)

外壕稲荷の話の前に、触れなければならない瀬戸電の歴史の一こまがあります。
それは名古屋城の外堀にあった瀬戸電経営による遊園地「娯楽園」です。
娯楽園についてはインターネット上の情報がほとんど無いため
守山郷土史研究会会報からご紹介します。

守山郷土史研究会会報第9号
「東春日井郡川村の郷(上)」 -大正時代の年中行事・生活点描- 滝本庄吾さん
***
久屋の公園とは現在の久屋公園ではなく、大正当時、名鉄瀬戸線が瀬戸電と呼ばれ、
名古屋城の外堀内を走っていて、まだ名鉄に吸収されていない時代、
瀬戸電が乗客の客寄せに作った公園であった。これを「娯楽園」という。
外堀内を走る電車道に沿った北側、久屋駅と本町駅間の細長い公園であった。
お堀の内であるため北側は石垣となっており、その上は「借行社」があって北に上ることは出来なかった。
(中略)
この娯楽園では夏になると盆踊り大会が聞かれ、各地から多くの組の参加申し込みがあった。
申込者は日程が割り当てられ、同じ日に何組かが一緒となるが順に踊って行く。
そこに川村からも毎年出場していた。先の谷口松三郎らに連れられた女の子達十五、六人は、
各自盆踊りの小道具(ザィ、花笠、扇子、手拭い等)を持ち、水道みちを通って廿軒家に出て、
連隊前駅で瀬戸電に乗った。
久屋駅で公園側(通常客は南側に下車)に下車し、降りた目の前が盆踊り会場であったという。
昭和初期、この娯楽園辺りも、完全複線化となったが、公園側に新しい線路を拡幅したため、
この公園は廃止された。


続けて娯楽園界隈を描写した手記を転載させていただきます。
守山郷土史研究会会報11号
「雀のささやき(二)」 田辺 爵さん
***
堀川のセト電終点は、大正時代には殆ど乗ったことがない。名古屋駅へ行くのも大ていは、
大津町で下車、市電に乗りかえた。広小路へ出るにも森下で乗りかえず、本町まで行き、
そこから歩いた。万葉辞典を求めたのもそのついでだった。
大正末期には、四年ほどいなかったので、殆ど利用したのは、大正12年以前のことである。
本町は、娯楽園の入口で、堀中の細長い沿線の空地を利用して、桜を植え、小動物をおいて、
桜のころには、夜も開園し、ニワカ万歳があり、川村の少女のさいはらいをもったおどりがあったりした。
桜のころは、夜桜がてりはえ、ぼんぼりに灯がつき、堀上の老松が星のまたたきをかくし、
往復の電車がいそがしげにチンチンとベルを鳴らしながら走った。いちど田楽をたべたかと思うが、
本町で下車、入場料をはらって(五銭?)大津町の東、久屋から電車でかえった。

以上は当時見聞きされた方々の手記でした。
娯楽園についてなんとなくイメージをつかまれたでしょうか?

つづく
[ 2017/10/30 20:45 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

外壕稲荷(1)

外壕稲荷(そとぼりいなり)・・・、そんな稲荷さんが守山区にあったっけ?
と、ブログタイトルが「わが町守山区」なので、稲荷様のキツネにつままれたような
怪訝な顔つきで首をかしげられるかもしれませんが。
今回はそんなお話でございます。

関連記事
・ 名鉄資料館(可児) [2013/06/24]
・ 天王社(喜多山) [2012/11/14]

守山区内の名鉄瀬戸線の駅で、最近大きく様変わりしたのは喜多山ではないでしょうか。
喜多山駅の特に北側は瀬戸線の部分高架の工事着工もあって、駅前に桜の名所のような
小高い土盛りの森がありましたが、これを地ならしして新しい仮駅舎、駐輪場、名鉄の仮設
事務所になっています。

その桜がきれいだった森の中にお社がありました。
お社の名前は正一位喜多山稲荷。
元々は瀬戸電・大津町駅近くにあって円頓寺の芸妓衆の信仰を集めていました。

喜多山駅前にあった瀬戸電創始者・加藤杢左衛門の銅像が戦時供出で台座だけに
なっていたところに、稲荷さんに大津町駅からお移りいただいたのがはじまりと言われています。
こんなところが関連した前記事の要約です。

つづく
[ 2017/10/29 11:45 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

1000Lタンクからケルヒャーに給水

1000Lタンク20171015(1)
ケルヒャーというドイツのメーカーの高圧洗浄機が人気のようです。
いろいろな機種があるのですが、私のこの写真の機種では、溜め置きした水を内蔵の
ポンプ機能を使って本体内に汲み取ることができます。つまり水道を使わなくても
よいというわけです。どれだけ水を使っても、タダ、無料なんですね。
まあ雨水タンクに水がある限りで電気代はかかりますが・・・




1000Lタンク20171015(2)
わが家の水がめはこの1000Lタンクなんですが、タンクの最下部についているコックのネジが
なかなかにクセ者でして、イギリスのメーカーのライセンス生産で、国内で作ろうにもJIS規格なんて
使わせてもらえないようなんです。従ってほとんどの人は何か工夫してここに水道管やホースを
無理無理くっつけているわけなんです。
うちでケルヒャー使うときにも、わざわざ天井の給水口にホースをつっこんで水を吸い上げているの
ですが、これがなかなか面倒なのでいろいろと考えていました。




1000Lタンク20171015(3)
そしてようやくめぐり合うことができたパーツがこれ!この黒いアダプタなんです。
ヤフオクでこれを見つけたときには信じられない気持ちでした!
このアダプタはタンク側が「イギリスの管用ねじ規格-50mm(2インチ, DN50) 」で、取り出し側が
「JIS規格水栓20(3/4)約26mm 呼び口径20A」のすぐれものなんです。




1000Lタンク20171015(4)
1000Lタンク20171015(5)
ネジをJISに変えてくれたらあとは怖いものナシです。
ホームセンターで両側がネジになった「ニップル」というものを買ってオスメスの変換をします。
そしてまず片側をタンク本体側のアダプタにねじ込みます。





1000Lタンク20171015(6)
「ニップル」の手前側に黒いパーツをねじ込みます。
このパーツはケルヒャーの「本体側カップリング」というもので、ケルヒャーに最初からパーツとして
付属されているものです。




1000Lタンク20171015(7)
ここに水道ホースのワンタッチアダプタをカチッとはめます。
ホースの反対側は専用コネクタになっていて、それをケルヒャー本体側にくりくりとねじこみます。
これで完成です。あっ、フィルターもお忘れなく!
ケルヒャーでの高圧洗浄がとっても楽になりましたよ~!




[ 2017/10/16 23:26 ] 雨水タンク | TB(0) | コメント(0)

ブラックベリー移植(1)

ブラックベリーの移植(1)
暑い暑い夏がようやく終わりました。
暑くて郷土史のフィールドワークなんかは倒れそうだし、道行く人に「この辺りに・・・」なんて
お尋ねしようものなら、お互い滝の汗になるのでそんなことは止めたほうがいいということで、
ひたすら庭仕事で汗をかいてきました。

何年か前にブラックベリーの苗を購入し、無謀にも庭に植えたら、ものすごく収穫できるのですが、
繁殖力がものすごくて、庭じゅうのあちこちから生えてきました。その気になって生えてきたものを
次から次に抜けば、ある程度は増殖をコントロールできそうなので、思い切って鉢植えに移植する
ことにしました。(地植えは抜きまくって根絶させる予定)

「植木鉢」は上の写真のプラスチック製のドラム缶です。本来は食材とかの搬送、保管用かと
思いますが、これをヤフオクで購入し、底を切り落として、写真とは上下逆にして、庭で生ゴミの
コンポストとして10年くらい使ってきました。
この超巨大「植木鉢」が今回の主役になります。




ブラックベリーの移植(2)
プラスチック製のドラム缶を上下逆にしましたので、一番下はドラム缶の蓋になります。
ここに8箇所の水抜き穴をドリルであけました。
植木鉢の中の一番下は、普通なら鉢底網とかネットなのですが、鉢底石がこんなに大きいので
底穴から石が落ちる心配は無く、ムカデやナメクジが入っても人の手に触れることもないので、
今回はこの子供の握りこぶし程度の石をごろごろと入れました。




ブラックベリーの移植(3)
その状態から用土を入れて行ってもよかったのですが、もう少し水はけとブラックベリーが
逃げ出さないように対策をしてみました。
用意したものはダイソーの鉢底石と、台所用の水切りネットです。苗用の黒ビニールポットに
鉢底石をいっぱいに入れて、これをネット一袋分にしました。このままではネットの口が
開いていて、「植木鉢」の中でぶちまけるといけないので、また一工夫です。




ブラックベリーの移植(4)
これも台所用品なのですが、ビニール袋の口を熱溶着するシーラーという器具です。
鉢底石をいれたネット袋の口をこれで閉じることにしました。熱溶着は一回では
心もとないので少し位置をずらして二度、三度と熱をかけて口を閉じました。




ブラックベリーの移植(5)
7袋用意しましたが全然足りませんでした。
さらに追加で7袋作ってすべての隙間を埋めました。




ブラックベリーの移植(6)
さて、いよいよ用土の投入です。
赤玉土「大粒」14L入りを様子を見ながら1袋半入れました。「植木鉢」は二つですので、
3袋使ったことになります。購入時は余裕を見て4袋買っておきましたが・・・




ブラックベリーの移植(7)
本日はここまでです。

残りの本当の用土の必要量を計算しておきます。
半径0.22×半径0.22×3.14×赤玉土までの深さ0.4×1000=60(L)
ふむふむ「植木鉢」1本あたり、まだ60リットルもいるんですね。

「森のベリー庭のベリー」という本によれば、用土は「有機質でやや酸性(pH5.5~7)の
土壌が向いています。鉢植えの土は、赤玉土6、腐葉土3、川砂1の混合土にします」
と書かれています。
これを120L作るには、赤玉土72L、腐葉土36L、川砂12Lの計算になります。
各用土を混ぜ合せるのがものすごく大変ですね。
[ 2017/10/15 17:58 ] | TB(0) | コメント(0)
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プロフィール

加藤

Author:加藤
守山区在住の歴史、自然、イベントファンです。
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