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レトロな写真の撮影位置は(3)

緑ヶ池1961

守山市市勢要覧「もりやま」1963に掲載された緑ヶ池畔の写真

過去の関連記事は次のとおりです。
・ 玉ノ川公園(2) 写真展 2016/10/19
・ レトロな写真の撮影位置は? 2015/3/7
・ 撮影地の探索(緑ヶ池) 2014/8/17
・ レトロな風景(2) 2014/4/21

この緑ヶ池の写真で、テラスを含めたアングルでの撮影はわりと多く残されています。
今回ご紹介の写真はこちら。

緑地公園元画像800px
出典は守山市勢要覧1961版、つまり昭和36年ころの写真です。
玉ノ川公園(2) 写真展 で引用の昭和20年代の写真に較べて、植樹が成長していること、
人為的な構造物などが背景に写りこんでいることも見逃せません。
しかし反面、1963年版ほど(意図しているのか?)開放的でもない感じも受けます。
ここでひとつお遊びをさせていただきます。上の写真はほんのりと緑がかったモノクロ写真です。
色調は違いますが、いわゆるセピア写真というくくりのものです。
これを最新の技術を使うと・・・

緑地公園元画像800pxカラー化
こんな写真になっちゃいます!!
ネタばらしをすると、この技術は早稲田大学の開発したもので、「ディープネットワークを用いた
大域特徴と局所特徴の学習による白黒写真の自動色付け
」という論文によるものです。

つづく
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[ 2016/10/30 09:06 ] 公園 | TB(0) | コメント(0)

玉ノ川公園(3) 守山市勢要覧

守山市勢要覧昭和29年版玉野川公園①

玉野川県立公園

公園の名称は「玉ノ川」ではなくて、「玉野川」であることは前々稿で明らかになりました。
次に公文書上の正式名称は「県立玉野川公園」なのか「玉野川県立公園」なのかですが、
これまでの検証では、・・・

県立玉野川公園との記載は
昨日の守山区役所所蔵の写真および、守山市史の「社会事業と厚生施設」の項
「県立玉野川公園の一角をなしている」

玉野川県立公園との記載は
「守山市長黒田毅からの文書。その趣旨は「守山市は玉野川県立公園小幡緑地を・・・」

つまり同じ「守山市史」であっても記載が統一されていなかったわけです。

で、今回、上に掲載の写真はよく見ると公園の名称が「玉野川県立公園 龍泉寺 愛知県」と
書かれていますので、たぶんこれが正式なのかなと思います。

この写真は旧守山市の市勢要覧昭和29年版からの転載です。
写真の下に小さく書かれている説明文は「玉野川公園龍泉寺入口」となっています。
この撮影現場がどこなのかは、ちょっとわかりません。
モデルのお姉さんたちはご健在なら80代でしょうね・・・

また玉野川公園の範囲は、現在の小幡緑地公園のみにとどまらず、龍泉寺さん周辺にまで
拡大していたということも言えるかと思います。戦前にテニスコートもあったという記事を
見た記憶もあります。

つづく
[ 2016/10/20 23:07 ] 公園 | TB(0) | コメント(0)

玉ノ川公園(2) 写真展

県立玉ノ川公園①
県立玉ノ川公園②

これが、今回のきっかけ

どこから、どう見ても小幡緑地公園なのですが、写真タイトルは「県立玉ノ川公園」に
なっています。これらの写真は今年の4月9日に、アピタ新守山店で開催された
「かって見た守山」で掲示されていたものです。
関連:2016年4月9日 アピタ新守山店で「かって見た守山」

はじめは何の予備知識もなかったので、もしかしたら写真タイトルの間違えかもと
思いましたが、区役所に保管されている元写真を確認していただいて、これはこれで
正しいことがわかりました。
続きは昨日の考察のとおりとなります。

それはともかくも、①の写真は、2015年3月7日の「撮影地の探索(緑ヶ池)」で掲載した
写真よりも更に古いもので、公園の整備の変遷を考えるうえで大変貴重なものです。

②の写真は真ん中の竜巻池だと思いますが、アングルのためか池に張り出した
テラスが写っていません。池の周回道路には松の木が生えていますが、
土手は草ぼうぼうですね。

つづく
[ 2016/10/19 22:26 ] 公園 | TB(0) | コメント(5)

玉ノ川公園(1) って、どこですか?

玉ノ川公園
とはどこですか?、とお聞きしても私の周りの狭い範囲では、ご存知の方は皆無なので、
いろいろと調べてみることにしました。

現在はもちろんのこと、過去にも守山区で字(あざ)玉ノ川とはたぶん無かったと
思われます。(守山区の歴史 P269 小字集成)

もう少し古い「守山市史」をあたると、庄内川の項に次の記述がありました。
・往時は沿岸の地名をとって川の名とし、定光寺附近では玉野村の名を
 冠して「玉野川」と呼んだ。
・尾張志に「玉野川」は玉野村(今の春日井市玉野町)の東にあり・・・

いまでも定光寺あたりでは庄内川のことを玉野川と言いますが、
かっては志段味、吉根あたりまでも玉野川と呼んでいたのでしょう。
ついでですが、龍泉寺を過ぎたあたりから下流は勝川と呼ばれていたようです。

話を守山市史に戻して、「社会事業と厚生施設」の項に次の記述があります。
・名古屋市立玉野川学園・・・
・小幡緑地・・・中略・・・県立玉野川公園の一角をなしている・・・
どうやら玉ノ川公園とは正確には県立「玉野川」公園だったということが見えてきました。

さらに守山郷土史研究会会報「もりやま」をあたってみましょう。
第20号(2001年)
昭和31年3月30日守山市観光協会設立について
守山市長黒田毅からの文書。その趣旨は「守山市は玉野川県立公園小幡緑地
はじめ龍泉寺地区及東谷山附近その他由緒ある名勝史跡等多くの観光資源に
恵まれております・・・」

これで決まりですね。
つづく
[ 2016/10/18 22:34 ] 公園 | TB(0) | コメント(0)

八剣神社例大祭(おまつり)



10月16日(日)、大森の八剣神社で例大祭がありました。
神事に続いて、棒の手、雅楽、巫女舞、火縄銃発砲の
奉納がありました。
[ 2016/10/17 22:48 ] お祭り | TB(0) | コメント(0)

天王社(大牧町)

天王社(大牧町)
もう何年も前ですが、守山郷土史研究会の先輩にして、ええとこ守山案内人の会長を
されていた故 森友さんより、守山自衛隊の北側にできたキレイな道沿いで天王社を
見つけたよと声をかけていただきました。
私が車で往復した限りでは見つけられず、森友さんに案内を乞う前にお亡くなりに
なってしまわれました。ずっと気になってはおりましたが、なかなか歩いて散策も
できないままでした。このたびGoogle mapの使い方を郷土史仲間からお尋ね
いただいたのを機会に、この天王社をモデル例として記しておきます。


天王社(大牧町)位置
天王社(大牧町)の位置
ゆとりーとらいん・金屋の交差点から郵便局の方向へ、東を向いて坂道を上ります。
200メートルほどでファミリーマートにでます。さらに100メートルほどで市バス
大牧町のバス停がありますので、その真ん前にありました。

まずインターネットで検索サイトのGoogleを開きます。
画面右上のほうに縦三つ、横三つの四角の点が方形に並んでいるところをクリックします。
表示されたサブメニュー「Google アプリ」から「マップ」をクリックします。
自動的に守山区が表示されればOKで、他の地区が表示されていたら画面左上の
「Google mapを検索する」と書かれた文字の先頭あたりをクリックすると文字入力
できるようになりますので「名古屋市守山区」とでも入れてEnterキーを押します。
すると上のような地図が表示されますので、見たい地域を探して、そこを
ダブルクリックすればどんどん拡大表示されてゆきます。

ある程度拡大表示できて「金屋」の交差点付近が画面いっぱいになったら、画面右下の
黄色いひと形のシンボルをクリックします。すると画面の道路の上に青い線が描かれます。
この状態をストリートビューといいます。Googleの撮影車が通って画像記録のある
道路が青い線で描かれているわけです。
その状態で「金屋」の交差点をクリックすると、画面は地図から画像へと変わります。



天王社(大牧町)1
Google mapの使い方
金屋の交差点の画像で、右下に方位磁針と、それをとりまく円弧状の矢印があります。
その矢印を一回押すたびに画像の方角が90度変わります。
(何回か押しているとまた元の方角に戻ります。)
東向きの画像を表示させて、上り坂の途中にマウスを持ってゆきクリックすると、
画像はその位置の画像に変わります。
そんなことを繰り返しているうちにファミマが見えてくると思います。
さらにそこから100メートルくらいで、この写真の大牧町バス停まで到着します。




天王社(大牧町)2
画像を北向きに変更します
民家の片隅に区画が設けてあり、そこに天王社のお社が見えますか?



天王社(大牧町)3
大牧町バス停の真ん前です


いかがでしたでしょうか?
郷土史はフィールド調査がキホンですが、事前の調査としてこれだけでもわかっていると
現地へもスムーズに到着でき、あらかじめ用意した調査内容に時間を十分振り向けられると
思います。ぜひともご活用されますようお進めいたします。
説明不足のところは何なりとお申し付けください。
[ 2016/10/15 11:51 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

法輪寺(12) 佐藤兄弟の墓

法輪寺縁起9(佐藤兄弟の墓)

佐藤兄弟及母公ノ墓
法輪寺縁起冊子に収録の写真は、先の山門・本堂の写真に続いて寺宝の写真となりますが、
それはまた機会を改めるとして、最終回の今回は「佐藤兄弟およびその母の墓」の写真で
締めくくります。

この写真に写っている墓所も、いかにも蓬莱七福神の事業のため、急いで整備しました
といわんばかりに小奇麗に整っています。
傍らに立つ初老の男性は今のところ誰なのかは不明です。法衣を纏っていないだけで
案外ご住職なのかも知れませんし、あるいはこの事業を推進するお立場の方かも
知れません。



法輪寺佐藤兄弟の墓現在
現在の佐藤兄弟、および母の供養塔
現在は山門をくぐり抜けて向かって左側に「供養塔」があります。
上の新旧2枚の写真を見比べると、ともに写真右側に斜めの木柱が見られます。
鐘突堂の四隅に有る柱です。
背景は随分スッキリしてしまいましたが、もしかしたら古来よりこの場所にあったのかも
しれませんね。

法輪寺さんはまだまだご紹介できておりませんが、ひとまずこの辺りで締めとさせて
いただきます。今年の守山探検隊のまちあるきイベントでは、この法輪寺さんを含めて
大森地区を散策します。檀家でもないのに、お寺さんの境内を単独でうろうろするのは
なかなか気がひけますが、こうした機会に是非ともご参加いただければと思います。
[ 2016/10/09 22:48 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

法輪寺(11) むかしの山門、本堂

法輪寺縁起3(山門、本堂)

「法輪寺縁起」に収められている写真をご紹介します。
上の写真で、向かって右側には「山門」、左側には「本堂」と青いゴム印が押されています。
そして中央下には「愛知縣東春日井郡守山町大森字檀ノ浦法輪寺」とあります。



法輪寺絵はがき1

これは瀬戸電による沿線観光事業「蓬莱七福神」の絵はがきです
見比べてみると撮影位置が随分違っていて、山門前には大きな松の木があったこと、
そして寺名碑がその傍らにあることがわかります。
法輪寺さんには表の道路に面して二つの寺名碑があって、向かって右側には
「佛日山法輪寺」、左側には「法輪寺佐藤次信公佐藤忠信公舊跡」となっていますが、
この写真の当時からそれは同じということもわかります。

もっとも、この向かって右側の寺名碑は側面に「蓬莱七福神 福禄壽尊天奉安所」と
刻まれていることから、「蓬莱七福神」観光事業の一環として、絵はがきともども
同じ時期に整えられたものと見るべきでしょう。

[ 2016/10/08 10:02 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)
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Author:加藤
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