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法輪寺(10) 由緒碑

法輪寺由緒碑昭和46年8月
法輪寺由緒 碑

現在、山門前に建っている「法輪寺由緒」碑
文末の銘より、昭和46年8月に、法輪寺19世住職耕雲師の代のときに、書き改めたものとわかります。
佐藤兄弟のご母堂が息子たちの像を安置したくだりは、先の「法輪寺縁起」の冊子にしても、
この「法輪寺由緒」の石碑も、元にあるのは「尾張旬行記」に収録された「次信忠信遺像安置伝記」に
よるものとされています。(守山郷土史研究会「もりやま」第20号・梶野二郎氏)

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[ 2016/09/25 11:45 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

法輪寺(9) 縁起冊子

法輪寺縁起1(表紙)
「法輪寺縁起」表紙
私の手許に「法輪寺縁起」と題された冊子があります。
古色のうえ、水染みでかなり汚れておりますが、判読には十分堪えます。
表紙、裏表紙のほか、縁起、由来で2ページ、写真が7ページ(10葉)という構成です。
今回はこのうちの「法輪寺略縁起」と「佐藤母子墳墓之由来」のページをご紹介します。


法輪寺縁起2(縁起および由来1)

法輪寺縁起2(縁起および由来2)

先の瀬戸電気鉄道の絵はがきは、昭和4、5年発行と推定されておりましたが、
こちらの縁起冊子は昭和7年4月発行と見られます(上の写真で赤い矢印の行)。
[ 2016/09/22 08:58 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

法輪寺(8) 昔の山門

法輪寺絵はがき1
法輪寺さんの昔の山門写真

絵はがきの右下に「蓬莱七福神 法輪寺 福禄尊天」と印刷がされています。
瀬戸電気鉄道が蓬莱七福神を沿線の名所としてPRしだしたのが、昭和4~5年頃と
されていることから、それに合せて撮影されたことと思われます。

山門および本堂は建て替えられているようです。
参道の右側には、現在は西国三十三所の観音堂になっていますが、この写真では
竹垣です。逆に写真左側は、現在は幟り旗が列を成していますが、写真では
屋根の一部が見えます。拡大してよくよく見ると、腰高になったお堂で、中に
仏像が安置されているような気がします。

ともあれ、山門の両脇にはくだんの石柱があります。
三界万霊等と山門禁葷酒が現在とまったく同様に建っております。
戒壇石(山門禁葷酒)のかたわらに寄り添う背の高いボードは何でしょうか?
現在はこの場所に由緒書があります。

法輪寺絵はがき1裏面
絵はがきの裏面

郵便はがきの体裁をとっています。
現在でもときどき古書店等で見かけますので、相当たくさんの数が瀬戸電によって
頒布されたことでしょう。

法輪寺絵はがき1裏面八木グラビア印刷
絵はがき裏面に印刷された版元
[ 2016/09/17 17:21 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

法輪寺(7) 山門

法輪寺山門
法輪寺さんの山門

法輪寺さんの山門で「おやっ」と目を引くのが、山門の両脇を固める万霊塔と戒壇石です。
上の写真で人の背丈ほどの向かって、左側の石柱が万霊塔で「三界万霊等」と刻まれています。
他方、向かって右側が戒壇石で「山門禁葷酒」と刻まれています。

(三界)万霊塔の多くは山門の内にあって、無縁墓などの墓石を集めた中央に安置することが
多いのかと思っておりましたが、こちらでは戒壇石とのペアマッチがよろしいのか、
ここに建っております。

右側の戒壇石は「山門禁葷酒(さんもんきんくんしゅ)」すなわち、山門を入るときには酒の
臭いをさせることを禁ずるとの戒めです。戒壇石はまったく同じように見えるものが
大永寺さんにもあったと思います。
[ 2016/09/16 22:32 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

法輪寺(6)

「蓬莱七福神御案内」を発行した瀬戸電気鉄道株式会社は、明治35年に
その前身となる瀬戸自動鉄道株式会社として設立され、明治38年に
営業運転を開始したそうです。

瀬戸電気鉄道株式会社と改称したのは明治39年12月で、先々回記した
ように名鉄との合併が昭和14年ですから、このパンフレットはその間での
発行ということになります。
ただパンフレットにある法輪寺さんの説明文がその間のある瞬間での事実かと
考えるといささか首をひねるところもあります。

たとえば人の名前や、事績の年代などは諸説あると疑ってかかるべきで、
いちいち気にしてはいられませんが、「大般若写本600巻」という具体数を
とらえると、明治24年の濃尾大震災で雨池の堤が決壊して、600巻の経巻の
うちかなりの数が流失したと伝えられていますので、もしかしたらこの
パンフレットの説明文は濃尾大震災の前に書かれていた由緒書を
元にした可能性もあります。

もともと大般若経が600巻というのは、玄奘が天竺より持ち帰った全巻が
600巻であり、600巻所持ということはフルコンプリートしている、ある種の
ステータスをひそかに誇示しているわけかと思います。
この600巻云々を含めて法輪寺さんの縁起物語の原型となったのは、
「尾張徇行記」に収められている「次信忠信遺像安置伝記」と言われて
いますが、このパンフレットの説明文もその流れなのかと思われます。

[ 2016/09/15 23:08 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

法輪寺(5)

瀬戸電気鉄道発行の「蓬莱七福神御案内」という観光パンフレットには、
法輪寺さんの説明(縁起、由緒)は次のように書かれています。

仏日山と号し本尊は釈迦如来なり。貞観二年、大森の城主尾関氏天台宗の
一草庵を創建し之を正宗庵と称せしが、文治年間陸奥の人佐藤庄司の室
其子嗣信、忠信追福の為め京都に出て諸仏閣を参拝せんとす。
偶正宗庵の尼僧に縁ありしければ此処に留まり庵主謀って堂宇を建立し
天文年間、雲興寺の大雲和尚修理を加え曹洞宗となし、今の山号に改め
天正年間長久手の役、兵火に罹り荒廃せしを寛文年間澄然和尚新に
堂宇を建て此処に移せり。境内には座禅堂あり薬師如来を安置し、
佐藤兄弟の肖像は地蔵菩薩の脇立とし掌善掌悪の二童子に擬へて
兄を吉祥院八過嗣信、弟を清光院剣勝忠信と法号し尚お後日堂宇修理の
資として黄金を地下に埋め置く旨を本尊の蓮台に書残せり。
(寺宝)釈迦如来木像、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩は何れも運慶作にして、
他に大般若写本600巻、行基菩薩作薬師如来、弁慶の手簡一幅、嗣信・忠信の
木像其他種々あり。

編註:新字体への置き換え、句読点の追加など適宜しております。

[ 2016/09/14 22:44 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

法輪寺(4)

守山区は東西に名鉄・瀬戸線が走っています。
かって社名を瀬戸電気鉄道と称した名残で、略して「せとでん」と地元民から
親しまれています。

その瀬戸電気鉄道株式会社が名鉄と合併する前ですから、
昭和14年までの話ですが、沿線に集客するための積極的な
活動の一つとして、守山区の寺社を「蓬莱七福神」になぞらえて七福神巡り
として観光PRを行いました。
そのときに、七福神のひとつ「福禄寿」にたとえられたのがこの法輪寺さんでした。

蓬莱七福神パンフレット

上の画像は瀬戸電気鉄道発行の「蓬莱七福神御案内」と書かれた
観光パンフレットです。後日また別枠で蓬莱七福神をご紹介したいと
思いますが、今回はその中から法輪寺さんに関連するところを書いてみます。

以下パンフレットより
福禄尊天 守山町大森の法輪寺に奉安す 大森駅より東三丁

福禄尊天は白鶴を伴う福神で南極老人星の化身にして北宗の嘉祐年中に
現われたる道士なりと云い或は福星、禄星、壽星の三星を合して一の神仙とし
是に鶴亀等を添えて目出度き者となしたるものならんとも言えり杖頭の
経巻は人の寿命を記せるものなりと伝え福禄円満に長命延壽の徳を与える
福神とせらる。
[ 2016/09/13 20:30 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)
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