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吉根の古い絵はがき(8)

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2016.6.18 吉根の古い絵はがき(1)

徳田さんのお話は前回までのとおりです。
引き続きこれまでのまとめと、補足を少しだけいたします。

これらの「吉根の古い絵はがき」は、大正3年9月、名古屋第三師団
工兵第三大隊隊長以下全員吉根に出動し、砲兵陣地の進入路を
構築したときの完成記念写真であろうとみられます。


吉根砲兵陣地進入路稲穂

▲其の三の写真の手前には田圃が写っていますが、よくよく見ると
稲穂が垂れているのがわかりますので、9月ならば合致するというものです。

また其の三の写真で、写真奥へ行くにしたがって標高が上がっておりますし、
四の写真でも後方に東の山々が写っていることから、たとえば吉根の
100円ショップ・ダイソーのあたりから国立療養所方面に向かっての
北斜面での工事だったかとも想像します。

吉根砲兵陣地進入路リラックス

其の三の写真では、人物の影が向かって左に長く伸びています。
撮影時刻は日が長いとはいえ、夕刻にさしかかっていたのでしょうか?
おそらく三日目の工事最終日、すべての工事を終えて撤収直前での
記念写真だったのでしょう。
たしかに兵隊さんの表情、姿勢も達成感のある心地よさに包まれているような
気がします。

このシリーズはこれにて終了とさせていただきます。
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[ 2016/06/30 12:54 ] 絵はがき | TB(0) | コメント(0)

吉根の古い絵はがき(7)

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徳田さんの記事 続き

『ただ私が興味をもったのは、そんなに厳しく取締まっていた御林
も、明治の初期にはハゲ山に近い状態になってしまったという事実である。

もう一つは、明治十九年から松の苗木を植え始めたとして、工兵隊が
道路改修工事をした頃の山林の樹相はどんな様子だったのかということである。
二五年くらいの松が一面に生い繁っていたのか、それともまばらにしか
生えていなくて、尾張平野が一望の下に見渡せる眺望だったのかしら。

工兵隊の演習の目的は見晴らしのよいホッポ山に野砲の陣地を構え
ることにあったのか、それとも印場までの道路を造って軍隊の移動が
速やかにできるようにすることが主目的だったのかどちらであろう。

大正三年といえば第一次世界大戦のはじまった年に当るが、何か関係
があったのであろうか』

徳田さんは古老から聞き取られた思い出話に想像を膨らませ、
いろいろな疑問を文中で投げかけられていましたが、
この2枚の吉根の古い絵はがきが、徳田さんの様々な疑問に
お答えしているかのようです。

続く
[ 2016/06/28 23:55 ] 絵はがき | TB(0) | コメント(0)

吉根の古い絵はがき(6)

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徳田さんの記事 続き

観音寺や吉根の各家に分散して泊ったというが、工兵第三大隊の
全員というのは何名くらいだったのであろう。
その頃吉根の戸数は百数十戸で、観音寺には多勢泊ったというが、
本堂の面積は二六坪、庫裡三十坪の広さではそれほどの人数は泊まれまい。
とすると入りきれない兵隊は各家に強制的に割当られたことも考えられる。
河合鐱一氏(明治三七年生)の家は上島のバス停のすぐ前にあるが、
その時は工兵隊の事務所みたいになって、隊長やその世話をする
将校が泊っていたが、当時小学生であった鐱一氏の目には、設計器具
やら事務用具の色々が興味深かったそうである。工事のことで特にお
ぼえているのは、田圃の中に入る兵隊の足がわらじ履きであったこと
で、乾いた所にいた兵隊は靴をはいていたが、ぬかるみに足を踏み入
れる時はわらじに履きかえていたという。観音寺近くの茂八郎さんの
家は食事の支度をする場所になっていたそうだが、たった三日間とは
いえ大変なことであったと思う。
小林鈴太郎氏の記録では、吉根より旭村印場へ至る道路となっているが、
河合鐱一氏は吉根の山の上へ野砲の陣地をつくる演習だったの
ではなかろうかと言われる。

いずれにしても短期間に兵隊さんが吉根の山中のけもの道ていどの
細い道を、ある部分はそのままの位置で改修し、ある部分は少しはな
れた所を開さくしたり埋めたりして、リヤカーが通れるていどの道幅
にしたわけである。しかし軍隊が既成事実として道路はつくってしまったが、
事務上の手続きは未処理のままこれまで来てしまったというわけであろうか。
[ 2016/06/27 23:55 ] 絵はがき | TB(0) | コメント(0)

吉根の古い絵はがき(5)

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これまでの考察から私の脳裏には一つのキーワードが生まれました。
「兵隊郡道」あるいは「兵隊道」と・・・
このブログの右上に「ブログ内検索」という窓があります。
ここで「兵隊郡道」と入力すると、この言葉だけが検索されて、
2012.7.8のブログ で私がこの言葉を使ったことがわかります。

この「兵隊郡道」という言葉は、郷土史におけるわが師と敬愛する
徳田百合子さんの論文で始めて目にしました。
徳田さんの文章を引用させていただきます。

守山郷土史研究会会報「もりやま」第9号 1990年
吉根ムラ散歩の記(8)
-兵隊郡道をたずねて-

(途中略)

工兵第三大隊のつくった道
この道(註:正式には県道篠木・尾張旭線とよぶ)について、
吉根のお年寄りたちは兵隊郡道とよんでいる。
吉根の故小林鈴太郎氏(明治34年生)は『思い出』と書かれた手記に
次のように記しておられる。

大正3年7月吉根地内太鼓ケ根山間地帯道路改修工事の測量す。
名古屋第三師団工兵第三大隊第二中隊の吉野精一中尉を始として、
川本特務曹長殿以下拾名以上の兵隊さんが測量に来る。
夜は青年会員の者が厳重に馬や銃の番を交代致してなす。
大正3年9月名古屋第三師団工兵第三大隊隊長以下全員吉根に
出動致し、吉根地内の太鼓ケ根山間地帯に新道改築改修工事を致す。
この工事は三日間にて成功致す。この道路を工兵軍道又は工兵道路
人は名付ける。この道路は吉根より旭村の印場へ至る道路である。
志段味村村長 野田実殿
吉根区長小林勘三郎殿、長谷川宗三郎殿

続く
[ 2016/06/26 17:47 ] 絵はがき | TB(0) | コメント(0)

吉根の古い絵はがき(4)

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吉根絵はがき検証
吉根の高台より北東方向を描写

前回までのブログで、これらの古い絵はがきは、大正14年5月5日以前に、陸軍第三師団隷下の
工兵第三大隊により、砲兵陣地進入路を構築している様子を撮影したものと考察しました。

そして、撮影場所は吉根の高台で、東北東を向いての撮影であろうというところまで
お話を進めました。

今回上で掲載した画像は「カシミール3D」を用いて、吉根の高台から北東に向かって
撮影したと想定したシミュレーションです。
古い絵はがきの、もともとの撮影および印刷の解像度が現代とは較べようがありませんが、
そこそこは雰囲気が出ているかと思います。

以上の考察を踏まえて、次回からはこの古い絵はがきはいったい何なのか引き続き考えて
みたいと思います。

[ 2016/06/23 12:09 ] 絵はがき | TB(0) | コメント(0)

吉根の古い絵はがき(3)

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前回の考察で、撮影年代は遅くとも大正14年5月5日よりは前であろうことを書きました。
次に撮影場所を考えてみます。

吉根砲兵陣地進入路4s稜線

前回と同じ写真ですが、コントラストと明度を調整して、背景にある山を浮かび上がらせて
みました。
吉根から見て北には遠く美濃の山々が見られますが、距離も、山の形も異なります。
西は濃尾平野の向こうに伊吹、養老山系がありますが、写真の山はもっと近いです。
南の笹ヶ根、太鼓ヶ根とは高低差が違うようです。

で、残りの東ですが、比較的近距離に東谷山、高座山、三国山があります。
おそらくは「ほっぽ山」の見とおしのよいところから、東北東に向けてカメラを
構えているのかなと思います。
[ 2016/06/20 23:48 ] 絵はがき | TB(0) | コメント(0)

吉根の古い絵はがき(2)

前記事 2016.6.18 吉根の古い絵はがき(1)

まずこの絵はがきから直接得られる情報としては、「工兵第三大隊」が
もっとも具体的な情報です。
工兵第三大隊は名古屋にあった陸軍第三師団隷下の部隊です。


官報大正14年5月9日

国立国会図書館デジタルコレクションから検索すると、上の官報の情報が得られました。
すなわち、工兵第三大隊は、大正14年5月9日付け官報に「本月5日豊橋市に移転」しています。
したがいまして、普通に考えたらこの吉根での写真は大正15年5月5日よりも前になりそうです。

[ 2016/06/19 16:58 ] 絵はがき | TB(0) | コメント(0)

吉根の古い絵はがき(1)

吉根砲兵陣地進入路3s
吉根の古い絵はがき
写真中央下の説明文は「吉根村附近ニ於ケル工兵第三大隊砲兵陣地進入路構築 其三」
この記事を書き始めた現段階では、この写真の年代、場所などの予備知識はまったく無く、
それを今後解き明かしてゆきたいと思います。



吉根砲兵陣地進入路4s
写真 同「・・・ 其四」
この絵はがきは、もともとは少なくとも「其一から其四以上」、つまり4枚以上の
セットものであったことが推測されます。
おそらく、限定100部程度を作って、軍および関係に配布されたものでしょう。
それを受け取った人、たぶん工兵さんが、そのうち写りの良いNo.1とNo.2を
使用して、未使用で残ったものがこうして流通したのかと思われます。
[ 2016/06/18 23:39 ] 絵はがき | TB(0) | コメント(0)

ホテル「夕なぎ」、石碑「不老泉」(2)

過去記事
2016/06/06 ホテル「夕なぎ」、石碑「不老泉」
2012/09/10 ホテル夕なぎ(廃墟)

夕なぎ Google earth

ここ1年以内の撮影と思われるホテル夕なぎ

Google Earth による上空からの写真です。
最初は屋上にエアコンの室外機が並んでいるのかと思っていましたが、
拡大して驚きました。

室外機と思えたのは実は文字盤で、屋上の3辺におのおの6枚ありまして、
6枚を続けて書き連ねると「夕なぎホテル」になっています。

まさか東名高速道路から見える狙いなのか、はたまた航空写真に写る狙いなのか、
どちらもあまり期待薄というか、絶望的だと思うのですが。

実はここ数年、ラブホテルの特集記事の載った、古い雑誌を捜しているのですが、
なかなか見つかりません。
よしんば見つかったとしても、こんな場末のホテルが掲載されている可能性は
極めて低いのでしょうけど。
[ 2016/06/07 22:24 ] ホテル | TB(0) | コメント(0)

ホテル「夕なぎ」、石碑「不老泉」

前記事 2012/09/10 ホテル 夕なぎ(廃墟)

先日のまちあるきイベントで、ゴールで声をかけていただけた方としばし談笑。
その中でホテル・夕なぎと石碑「不老泉」の話題になりました。
失礼を承知で石碑の由来についてご調査をお願いしたところ、
思いがけなくも守山スマートインターの工事で跡形なく更地になっているとの情報。
それで工事のお邪魔にならないように休日に見に行きました。


ホテル夕なぎ跡


いやぁ~、まいった、まいりましたよ
[ 2016/06/06 22:32 ] ホテル | TB(0) | コメント(0)
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加藤

Author:加藤
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