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休日ウォーキング 桜佐ヨゲ

前記事
2016年2月11日 本日の休日日課ウォーキング

さらっと書くつもりでしたが、下津尾の渡しから始まって、その対岸の八ヶ村用水まで
けっこう時間を掛けて書いていたら、下津尾の渡しの次に立ち寄った桜佐のことが
すっかり後回しになってしまいましたので、このシリーズの締めくくりとして記録に
留めさせていただきます。

私が当日参考に使用した散策マップは「一宮友歩会」さんがかって作られたもので、
そこには「桜佐ヨケ」と書かれておりました。
「桜佐」は守山区とは庄内川をはさんだ対岸である春日井市桜佐町のことですが、
「ヨケ」とはいったい何なのか?少し調べてから出発すればよかったのですが、
えいやーで出かけたので「ヨケ」については予備知識ゼロでした。
桜佐の集落を通り抜ける旧道を歩きながら、「ヨケ」がわからなくて地元の女性に
マップを見ていただき「ヨケ」についてお尋ねしましたが、「歴史的なものなら、そこに
水神様が祀ってあるけど【よけ】なんて知らんねぇ・・・」とのことでした。

桜佐ヨゲ
▲ 地元の女性が指差した「歴史的なもの」水神様の石碑

帰宅後に調べたところ「ヨケ」ではなくて「ヨゲ」であることがわかりました。
庄内川の堤防が整備される前、洪水から集落を守るため、濁流の流路をふたたび本流へと
導いた堤防でした。
結果として目的の対象を写真に収めていたわけです。
よく調べてから行動しなければならない見本のような結末となりました。

この日の私のウォーキングはほどなく吉根橋の北側に到着し、道程の残り半分は
かって知ったる吉根を自宅へと帰りました。
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[ 2016/03/26 17:36 ] | TB(0) | コメント(0)

愛環ぶらっとウォーキング

20160313歩行ルート
▲ 本日の歩行ルート
本日は「愛環ぶらっとウォーキング」で高蔵寺まで遠征しました
イベントのタイトルは春日井市「寺社巡りと山登りチャレンジ」コース。
健脚コースと短縮コースがあって、私は健脚コース約11kmを歩きました。
上の地図は、スマートフォンのアプリ"Geographica"で記録した本日の歩行ルートです。
後半の東谷山登坂コースは階段道で、アップダウンがキツイので、ちょっと横着をして
北口(自動車道)から登りました。本来のコースは青い点線のコースです。



スタート場所高蔵寺駅20160313
▲ 集合場所は高蔵寺駅とは書かれていたものの
高蔵寺駅の「どこ」なのかは書かれていなくて、実は北口と南口を結ぶ地下連絡通路の
ほぼ真ん中あたりというオチでした。
ここで、「はいコースのマップです」と紙切れを1枚手渡されて、あとは気をつけて
行ってきてねとばかりに送り出されました。


ウォーキングの矢印20160313
▲ ウォーキングのコースを示す矢印
他の多くのウォーキングと同じように、気をつけて行ってらっしゃい式なので、ところどころに
こうした矢印があります。あらかじめパンチで穴あけして、紐を通しやすくしてあります。
しかもこれ一種類で全部に使えるよう、文字が上下反転させているすぐれものです。


ウォーキング高蔵寺20160313
▲ その名も「高蔵寺」というお寺
高蔵寺の高蔵寺たるゆえんとなったお寺です


ウォーキング円福寺20130313
▲ 円福寺


ウォーキング白山神社20130313
▲ 白山神社
ここの境内にはおびただしいお社があります。
おそらく高蔵寺ニュータウンができて、周辺一帯の区画整理が始まったときに、
多くのお社、お堂をここに移したのかと思います。


ウォーキング道祖神20130313
▲ 道祖神ですね
これは良いものを見せていただけました。


ウォーキング尾張戸神社20160313
▲ 東谷山山頂 尾張戸神社
ちびっ子は苦も無く登っちゃうんでしょうね
私はこのあたりで限界でした。
残りは下り道と、平地ですから良かったのですが、山道は疲れます


ウォーキングゴール20130313
▲ ゴール受付です
愛環の中水野駅がゴールです。
ここで完歩記念のピンバッジをもらいました。
しめて11.2km、2時間40分の行程でした。
[ 2016/03/13 23:02 ] ウォーキング | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水より下流の排水

八ヶ村用水から下流側(1)
▲ 八ヶ村用水の水を逃がすルート
八ヶ村用水は名二環の庄内川大橋の下を進み、白沢川の下を伏越という方法で交差した
ところで、堤防下をくぐり抜けて用水路へと導かれています。
上の地図において、八ヶ村用水が堤防の方向へと90度曲がるところ(赤い曲がり線)で、
いまひとつの水路がくねくねと不規則に枝分かれして続いています。



八ヶ村用水取水口20120826-15
▲ 八ヶ村用水と、いまひとつの水路の分岐点
前記事
2012年8月26日 八ヶ村用水

上の写真で、転落防止のグレーチングのような金網がはめ込まれているのが八ヶ村用水で、
八ヶ村用水が向きを90度変えるあたりで、確かにいま一つの水路が画面左方向に伸びています。



八ヶ村用水から下流側(2)
▲ 白沢川河口の改修工事
現在、白沢川が庄内川に落ちるところで、改修工事が行われています。
そのためブルーシートがかけられているところ、これは八ヶ村用水が伏超で下を通り抜けて
いる場所ですが、ここで白沢川の水をせき止めて、その水をポンプを使って八ヶ村用水に
逃がしています。



八ヶ村用水から下流側(3)
▲ 八ヶ村用水と排水路の分岐点
せき止められて、ポンプでくみ上げられた白沢川の水は、八ヶ村用水に逃がされています。
いまは冬で田畑に水の必要のない農閑期ですから、この水は八ヶ村用水へは行かずに、
排水路へと逃がされます。



八ヶ村用水から下流側(4)
▲ まるで「春の小川」のような排水路
例年の冬には水が無いのに、まるで「春の小川」と化した排水路です。



八ヶ村用水から下流側(5)
▲ やがて作業用道路が横切る場所で、地中管に吸い込まれます



八ヶ村用水から下流側(6)
▲ 地中管の反対側(下流側)、遠くに見えるのは松河戸橋
このように、コンクリート護岸も何もない小川です。
ここは庄内川の河川敷ですから、護岸の必要はなし、されど立ち入り禁止のフェンスも看板もなし。



八ヶ村用水から下流側(7)
▲ 排水路沿いには道などはなく、庄内川の護岸下を歩きました
やがて目の前に松河戸橋がせまってきた頃、排水路が再び見えてきました。



八ヶ村用水から下流側(8)
▲ 松河戸橋の下で庄内川に合流する排水路
このページの一番上の画像とだいぶ違っていますが、現状ではこんなかんじで庄内川に
合流していました。
[ 2016/03/12 22:08 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(6)

旧八ヶ村用水跡を探る
▲ 龍泉寺霊園の階段路の下あたりか?
八ヶ村用水の旧取水部は、庄内川の流路が変わってしまったので、今となってはこの流れの
中にあったのであろうとしか推測できません。
その取水口は流れの中に没したにしても、そこを基点にした水路は、上の写真で、
龍泉寺霊園の階段道の真下辺りから先が現存しているかも知れません。
あるいは堰堤からの取水に変更したときに旧用水路は埋め戻しをしたかも知れません。



現在の取水口分岐点
▲ 現在の八ヶ村用水の分岐点
現在の八ヶ村用水をたどると、水路は写真のように土砂が堆積した状態で寸断され、
写真の水溜りの箇所で右側に樋管がのぞいています。



現在の取水口分岐点(2)
▲ 樋管のところはこんなふうになっていました
いかにも後でとってつけた感じの樋管で、これが地中を直角に進んで、堰堤の現在の取水口に
向かっているものと思います。



現在の取水口分岐点(3)
▲ 土砂の堆積の反対側
用水路には土砂が堆積し、そのすぐ下流側には堰堤へ向けての現在の樋管が
確認されました。しかし用水路はそのまま現存していて、堆積していた土砂の向こう側は
数メートル浅瀬の水路が続き、そこから先は地中へと2本の土管で消えていきました。
かってはこの土管部分はトンネルになっていて、トンネルの上に通り道がありました。
これより上流は、庄内川にいたるまで埋められてしまったか、危険な状態ながら、
草木の下に用水路が隠れているのか、確かめようがありません。
仮に暗渠のように現存していたら、不用意に踏み込むと事故になりますので、
これ以上は自重しておきます。
[ 2016/03/11 23:24 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(5)

用水路1959-1960
▲ 今昔マップにて1959-1960国土地理院地形図を表示
今までの考察で使ったマーカーNo.1~5に加えて、①の中切の堰堤の横を北上する
用水路にNo.A~Dをマーキングしました。
マーキングはおのおのの四角囲みの左上が用水路に接するようにしてあります。
このマーキングを今昔マップで透過させて、用水路のその後の変遷確認に使用します。


用水路1976-1980
▲ 今昔マップにて1976-1980国土地理院地形図を表示
庄内川の流路が変わって、取水口であったDポイントは流れの中央になってしまっています。
かわってCポイントが川岸になっていますが、用水路は少し南にしかも点線で描かれていて、
この時点で機能していたのかは疑問です。


19610506.jpg
▲ 1961年3月10日の空中写真
八ヶ村用水の水路を青色で着色し、庄内川との接点(取水口)に赤い矢印を付けました。
これを現在のGoogle Mapに、慎重に方位と縮尺の調整を行ったうえで青色の水路のみを
透過させたのが次の画像です。


GoogleMap八ヶ村用水取水口位置を推定
▲ 現在の写真に透過
非常に細い線で旧の水路を塗っていますので、画像をクリックして元のサイズでご覧下さい。
赤い矢印の先端が旧水路の取水口になります。
つまり、かっての取水口は現在では庄内川の中に没してしまっています。
上で示した今昔マップとまったく同じ結論となりましたので、何も痕跡はないにしても、
「現在のこのあたりに水路が通っていた」との庄内川の写真を撮って締めくくりとしたいと思います。
[ 2016/03/05 22:41 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(4)

取水口国土地理院KK593YZ19590525(昭34)
▲ 昭和34年の国土地理院による空中写真
米軍による空中写真で公開されているものは昭和24年撮影が最後で、次はこの国土地理院撮影の
昭和34年まで間隔が開いてしまいます。
前日のブログで使用した、昭和23年の米軍撮影による空中写真で確認された、八ヶ村用水の
取水口がかなり上流に移動した様子が、この昭和34年の空中写真でもはっきりと確認できます。

また旧取水口と新取水口の中間地点に、中切の堰堤が姿を現しています。
この堰堤の出現は、2016/2/15の拙ブログ「休日ウォーキング 下津尾の渡し跡(3)」で
お示しした次の写真と大変よく符合するものです。

今昔マップ下津尾の渡し1959-1960

さらに、よくよく見れば、八ヶ村用水の水路が地図中の①の右側を通り抜け、北上し、
空中写真と同様な位置にて庄内川より導水しているよう描かれているのもわかります。

こうした用水路や取水口の変遷には大きな理由がありました。
拙ブログの2012年8月23日「八ヶ村用水記念碑」にて引用した碑文を再掲載します。

---------------------------------
八ヶ村用水導水路は昭和二十五年八月庄内川
大出水のため殆んど壊滅に等しい被害を受け
た。時に関係者一同善後策研究の結果国費の
補助を得て恒久的復旧工事の実施を決意し八
ヶ村治水水利期成同盟会を結成市の委託工事
として翌二十六年三月着工した。尓来関係当
局及び地元民必死の努力により幾多の難関を
超え昭和二十九年九月竣工した。この間丹羽
兵助会長の絶大なる尽力の結果県直営の巨費
を投じ床止堰堤復旧工事の完成を見両者相俟
って用水取入の完璧を期することを得地元民
多年の宿望と幸福を達成したのである。
昭和三十五年三月建之
-----------------------------------

従いまして、昭和23年撮影の米軍空中写真には無かった中切の堰堤は、
昭和25年の庄内川の大出水で壊滅的な被害を受けた後の、昭和26年に着工し、
昭和29年に竣工、その結果として1959-1960の国土地理院地図や空中写真に
載っていたわけです。
[ 2016/03/04 22:44 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(3)

取水口CA-144
▲ 米軍空中写真 1946/05/28(昭21)
八ヶ村用水を青色、古道を赤色で着色しました。
赤色で示した古道は、ほぼ現在の愛知霊園の中の園路と重なるものと思います。
それに対して青色の八ヶ村用水は現在よりも随分庄内川寄りにあって、しかも現在の堰堤よりも
325mほど下流で取水していたことがわかります。
青色の用水取水口近くにある堰堤は、現在の中切の堰堤とは異なります。


取水口USA-R1595-1
▲ 米軍空中写真 1948/07/27(昭23)
青色で示した八ヶ村用水の取水口は、おそらく豊富な水量の安定需給を求めて
かなり上流へと移動しております。


取水口USA-R1595-1部分拡大
▲ 取水口付近を拡大すると・・・
青い矢印で示したように、庄内川の川筋に段差ができています。
これはおそらく伝統的な堰堤である「蛇籠」を沈めて、庄内川より取水口に水を
効率よく導入しているのではないかと思います。
また赤い矢印線で示したところに、何やら線が確認できます。
この線は陸地(川砂の堆積した洲)にも及んでいることから、もしかしたら渡し舟用か
渡河用のロープであるかも知れません。
下津尾の渡しでは(渡し舟誘導用の)針金は使っていなかったと記述されていますが、
川筋に対してキレイに直角がでていますので、なんらかの人造的な造作物のような
気がします。
[ 2016/03/03 22:13 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(2)

取水口Googlemap
▲ Google map では取水口は描かれていない
八ヶ村用水の水路は、あたかも行き止まりのような書き方で始まっています。
実は、用水路は直角に曲がるところから地下埋設となっています。
ですから、これはこれで正しいともいえます。
せめて地中の部分は点線ででも描いてほしいという気もいたしますが・・・
ちなみにYahoo mapでもまったく同じです。両者はゼンリンから提供を受けているので
そういう意味で同じになります。


取水口都市計画図H22
▲ 名古屋市都市計画基本図H22年版でもほぼ同じ
元の基本図は白黒ですが、わかりやすいように水路を水色で着色しました。


取水口都市計画図S39-S43
▲ 名古屋市都市計画基本図S39-S43で見ると・・・!
用水路は堰堤のはるか上流で取水していたことがわかります。


取水口国土地理院
▲ 国土地理院の電子国土基本図には点線で描かれています
しかも先日、ひーひー言いながら踏破した古道のすぐ近くみたいです
[ 2016/03/02 22:46 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)
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加藤

Author:加藤
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