わが町 守山区 TOP  >  2014年08月

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守山に存在したか?陸軍気球隊

鳥羽見分教場 の建設に旧軍の建築古材を使ったことは先日のブログで書きました。
同校の社会科副読本として、開校30周年記念に製作された「郷土 鳥羽見」には、
その旧軍を「元補給廠」と書いてあります。
多くの部分を元補給廠の古材でまかなったものと推定しますが、なかにはこんな
部隊からの古材流用もありました。


気球隊古材売払申請書1
国有資産の払下申請書
ただし、年月日が記されていないのと、移転後の使用目的を記した「別紙」がないので
断定はできませんが、これも鳥羽見分教場建築古材の一部であったろうと推定します。
ここでは申請書中の黄色で囲んだ部分に注目します。
所在地に続いて「種目」の項があり、そこには「守山気球隊バラック建」の文字が判読できます。



雑種財産売払申請書見取図sノースアップ
払下申請の見取図
ちょっと見づらいのですが、上を北にしたかったので、建物等の名称が横になってしまいました。
図面下の大きな敷地には「元 騎兵連隊跡」と書かれています。
現在の守山自衛隊がある敷地のことです。
そこから図面上に向かって細長く描かれているのが「気球隊 バラック建」、
その上にカギ形に描かれているのが「気球板壁」です。
申請書に書かれている黄色の囲み部分の「種目」と合致することから、
申請書の添付図面か、申請書を起案するときに使った見取図だったと思われます。
さて、その守山気球隊はどこにあったのか?



気球隊19460528米軍空中写真
昭和21年の米軍写真
この写真は先日の鳥羽見分教場の記事で使ったものを、部分的に拡大したものです。
写真の左端にその鳥羽見分教場の校地が見えるでしょうか?
さて、この写真と先ほどの見取図を見比べると・・・
見取図によれば、連隊の敷地の北辺中央あたりから北へ「気球隊バラック建」があり、
その北にカギ形の「気球板壁」があることになっています。
いかがですか?
旧守山市民病院か、あるいはその西隣くらいが、そんなふうに見えませんか?

そして気球隊とは?
飛行船形の気球、気象観測のための気球、・・・
たぶん後者だと思いますが、あったんでしょうね?
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[ 2014/08/28 10:51 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

名古屋市政資料館

市政資料館20140827-1
名古屋市市政資料館
今週は8月2回目の夏休みで数寄三昧をさせてもらっています。
本日はかって知ったる名古屋市市政資料館へいそいそと出かけました。



市政資料館20140827-2
結婚式の撮影現場にばったり
便乗して、遠慮がちに撮らせていただきましたら、花嫁さんが目線をくださいました。
相方の親戚のオジさんとでも思われたのかも・・・(^ ^ ;



市政資料館20140827-3
名古屋市公文書館
今日の目的地はここ。てか、この中ではここしか知らないのですが。
ホームページ公文書目録がありますので、あらかじめ精査して、印刷して持参すると、
職員さんのお手間が省けて結構かと思います。
私はさらにデジカメも持って行き、ハードコピーは全然したことがありません。



市政資料館20140827-4
喫茶室
お昼はここでアイスコーヒーと小倉トーストをいただきました。
第貳號法廷と書かれたプレートは、この市政資料館が旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎を
利用して、かつ近代遺産として保存しているからです。

本日のお宝(拾い物)は10点くらいありました。
このブログの今後の記事の中で、史料として使ってゆきます。
[ 2014/08/27 17:18 ] 資料・文献 | TB(0) | コメント(0)

鳥羽見小学校 開校前の歴史

鳥羽見小学校学区
鳥羽見小学校 開校前の歴史

JR新守山駅と、守山自衛隊との間に名古屋市立鳥羽見小学校があります。
名古屋市立鳥羽見小学校のホームページでは、学校の歴史の最初の1行は「昭和24年、
守山小学校より独立開校」で始まっています。

それ以前のことを、同小学校の開校30周年記念の社会科副読本「郷土 鳥羽見」をひもとくと
次のように記されています。

-----------ここから引用、年号は昭和------------
17年2月 鳥羽見地区に独立小学校を建てるための土地を買い入れる計画が立てられました。
18年3月 春日井郡守山町議会(当時は、東春日井郡の中の守山町でした)は、鳥羽見という
学校の名まえと建設するための資金25万円の起債(お金を借りること)を提案、議決し、
土地の買い入れを行いました。
18年5月 この学校が建っている所は、当時、一面の沼地でしたので、その沼を埋め立てる工事が始まりました。
しかし、計画より四割以上多く土砂を入れても、なかなか予定の高さにならないほど、
沼は深いところまでやわらかく、埋め立ての土砂が沈んでしまったのでした。
19年7月 第一期工事として、六教室と付属建物など240余坪(一坪は、3.3平方メートル-約792
平方メートル)を、20年2月に完成する予定で、建設し始めました。
19年10月 大部分の建てまえ(柱立て、屋根ができあがること)が終わったころ、震災にあい、
建物が倒れてしまいました。再建の準備にかかったころは、太平洋戦争が激しくなり、
大空襲がひきもきらず、工事はほとんどできませんでした。そのうえ、建設資材の半分以上を
盗まれてしまい、完成予定を一年遅らせて、21年2月としました。それでも、戦争のため、
資材があまりなく、しかも、値だんがひじょうに高くなってしまい、手に入らなくなってしまいました。
20年8月15日 戦争が終わりました。
21年5月 物資が手にはいらないので、やむをえず、元補給廠払い下げの古材を使って、
21年12月までに完成することに、計画を変えました。しかし、これもだんただん遅れていきました。
22年8月30日 こうした苦労のすえ、やっと次のような校舎が完成しました。
8教室-160坪(約528平方メートル)、廊下-40坪、渡り-20坪、便所-10坪、小使室及び物置-8坪、
計238坪(約785平方メートル)
------------引用ここまで、以下省略-------------



鳥羽見小学校学区戦前陸軍空中写真
戦前の陸軍撮影
鳥羽見地区は古代の条里制のような整然とした耕地が広がっています。
現在の校地と想定される場所には何もなく、ただ不規則に水辺と思われる場所が白っぽく
写っています。上の年表から、昭和18年5月には造成をしているわけですから、
この写真の撮影はそれ以前なのかと思われます。


鳥羽見小学校学区19450406陸軍空中写真
昭和20年4月 陸軍撮影
校地の北端に、なにやら鳥が羽ばたくような白いものが写っています。
年表によれば、地震で建物が倒壊し、建て直しのための材料も入手難で、手のつけられなかった
頃なのでしょう。


鳥羽見小学校学区19460528米軍空中写真
昭和21年5月 米軍撮影
校地がキレイに四角く写っています。多少の濃淡が見受けられるのは、基礎が布設されていたり、
建築資材が保管されたりしているためかと思われます。


鳥羽見小学校学区19471013米軍空中写真
昭和22年10月 米軍撮影
校地の北辺に、横一文字に校舎と思しき構造物が写っています。
また校庭の半分ほどが白く写っているのは、排水の良い川砂を入れたためかも知れません。
年表に、昭和22年8月30日完成とあるので、この写真の昭和22年10月は完成直後の
写真ということになります。


鳥羽見分教場校舎平面図s
校舎の平面図
年表には、「8教室-160坪、廊下-40坪、渡り-20坪、便所-10坪、小使室及び物置-8坪」と
なっていますが、その配置を確認できる平面図があります。
またこれは昭和22年10月の米軍による写真とも合致しています。
この平面図は、旧守山町が名古屋財務局長宛に、旧軍の建築古材を払い下げてほしいと申請した
ときの添付書類です。この申請書は昭和21年4月に起案され、使用目的を「鳥羽見分教場の建築」と
してはいますが、元となる旧軍施設の古材のうち「減耗割合」を「八割三分減」と申告し、
その理由を「米軍による空襲で半壊以上に破損」し、さらに「終戦の混乱に乗じ、ほとんど
持ち去られ」と書かれています。
残った古材も「柱の一部分で、これも規格以下の短い柱のため」、使い道は「便所、廊下等」に
限られると窮状を訴える申請書となっております。

年表には払い下げ古材を使用するに計画変更し、となっておりますが、上記申請書の末尾には
「実際に使用した古材は案外少なく、多数の新材を加えて新築した」と、事後申請とも
とれるような結びとなっております。

戦後まもなくの混乱期に大変な苦労をして開校した鳥羽見分教場ですが、その二年後には
早くも念願だった守山小学校からの分離独立開校のはこびとなっております。
社会科副読本に書かれていない余計なことですが、同校の歴史のひとこまとして
ここに記録しておきます。

同校の関連話題として、8月28日のブログ「守山に存在したか?陸軍気球隊」に続きます。
[ 2014/08/26 11:34 ] 学校 | TB(0) | コメント(0)

吉根ムラの疫病除け

吉根疫神除2014
疫病除けのお札が更新されました
吉根の八幡神社さんによって、吉根ムラへの入り口にあたる場所に、疫病除けのお札が
立てられています。これが最近更新されているのに気がつきました。
しかも今年は、いままで確認できていなかった本来の4ヶ所すべてを確認できましたので
ここに書き留めておきます。


龍泉寺北
龍泉寺さんの北側



吉根橋
吉根橋の南側



東名高速下
東名高速の下



兵隊道
国立病院からジャスコに下る道

私の過去の各連記事
疫病除けのお札(吉根)わが町 守山区
疫神除わが町 守山区
[ 2014/08/23 14:50 ] 民俗 | TB(0) | コメント(0)

撮影地の探索(緑ヶ池)

緑ヶ池1961
旧守山市の広報誌「もりやま」1961に掲載の緑ヶ池
この撮影ポイントをふと思いついて調べようと思いました。
たぶんこのテラスは当時のままだろうと仮定して、テラスの屋根を支える柱と
手すりの角から数えて最初の柱がほぼ重なる方向で、手すりと屋根の中間に
山の稜線がくる高さがそのポイントですが・・・


緑ヶ池のテラス2
ゴミ捨て禁止の看板の横に登り立って撮影してみました。
つまり現況で可能な限り目いっぱい角度をつけて撮影を試みました。
看板よりも左はご覧のとおり雑木が生い茂っていて、とても無理だからです。


緑ヶ池のテラス1
まだかなり角度差があります
両の柱を結ぶ直線はファインダーを大きく外れ、まだ数メートルは左に寄らないとダメです。
高さも柵の上に登り立ったのでは高すぎました。
真冬にもう一度訪れて、雑木を伐採して視界を開いて撮影にチャレンジしましょう。
そういえば元にしている写真も季節は冬ですね。

[ 2014/08/17 21:07 ] 公園 | TB(0) | コメント(2)

ピースあいち講演会の新聞取材記事

読売新聞20140816朝刊掲載s

読売新聞さんの取材記事

昨日8/15(金)のピースあいちさんでの師匠の講演が、読売新聞さんの取材により、
本日8/16(土)の朝刊に載せていただきました。

師匠の向こう側に顔の1/3ほど私が写っておりますが、まあこれぐらいが許容範囲いっぱいと
いうことは私も記者さんも認識は同じだったりします。

ピースあいち 2014年夏の語り

ピース愛知講演会20140815
ピースあいち2014年夏の語りシリーズ

師匠のお供で、師匠の講演会に行きました。
ピースあいち2014年夏の語りシリーズ最終日の今日8/15が師匠の講演日でした。
14時からの講演に先立ち、12時半ころに師匠のお迎えに行き、15分ほどで到着しました。

本日はプロジェクターへの投射ではなく、「紙芝居」らしく大型テレビでの鑑賞となりました。
私の役目は師匠の語りに合わせて、PowerPointの紙めくり(Enterキー押し)です。

師匠の講演をお聞きいただいたお客様はおそらく70~100名くらいかと思います。
写真にも後姿が写っていますが、金城の女子高生の皆さんが大勢で聞いてくださっていました。
師匠は平易な言葉で紙芝居を語らってくれましたが、実感としては難しかったかな・・・?

講演終了後、取材にいらっしゃった新聞社の方と雑談。
捕虜虐待というと御器所の話を見聞きするが、守山でもあったんですねと話が進み、
そればかりか守山では米兵の斬首刑もあったのですよと、お答えしました。

15時過ぎにピースあいちさんを辞し、再び師匠をお送りし、家路につきました。

愛知県公文書館

愛知県公文書館20140812
愛知県公文書館
郷土資料を閲覧するために時々訪問します。
官庁なので基本的には土日休館です。現役サラリーマンの身としては、会社のお盆休みに
待ってました!とばかり出撃することになります。

場所は県庁とか市役所のある近くの「愛知県自治センター」です。
名古屋城二の丸駐車場に30分180円で駐車して、5分とかからない距離にあります。
世間は夏休みだのお盆休みだのといっても、ここはお子様も、学生もいない別天地で
図書館のようなフロアーで存分に資料を閲覧することができます。

名古屋市の公文書館もそうですが、ここ愛知県の公文書館も資料をデジカメで
撮影することができます。写真や図を撮影しようとすると、解像度や手ぶれが気になりますが、
あとで文字に書き起こすだけであるなら、つまり後で判読できればよいだけなら、
スマホのカメラ機能だけで十分です。

愛知県公文書館の場合は、所蔵資料検索システムがインターネット上に公開されていて、
事前に資料の検索と、検索結果を基にした資料請求書の作成ができます。
作成した資料請求を事前に印刷しておき、訪問と同時にカウンターに提示すれば
お互いの手間が省けます。
しかしながら、ここの職員さんはとてもご親切なので、「初めて来ました」と素直に言えば
本当に懇切丁寧に教えてくださいます。

本日の閲覧は写真の資料です。
検索結果のみでは自分にとって要/不要の判断がつきませんので、結果的に
期待通りの資料ではないことも多々ありますが、それは仕方が無いことです。
ちなみに本日の資料は私にとってはアタリが含まれていました!
[ 2014/08/12 16:46 ] 資料・文献 | TB(0) | コメント(0)

2014あいち・平和のための戦争展

2014あいち・平和のための戦争展
8/9、生憎の台風接近日での開幕となりました。
8:30に師匠のお宅にお迎えにあがり、途中コンビニで昼食を買い込んで、
9:15に会場となっている鶴舞の名古屋市公会堂に到着。
スタッフ参加なのに入場料500円、駐車料金自前とはどうなのよとは思いながらも
自前単独では展示も講演もできないのもまた事実。


2014戦争展1
名古屋・学童疎開を記録する会
我が師匠の所属する会のブースはこちら。
師匠の同僚メンバーが孫娘ほどの学生さんに説明をされてみえました。


2014戦争展2



2014戦争展3
ピースステージプログラム
こちらのホールで講演会が行われました。
師匠による「アメリカ兵への虐待」が本日最初のプログラムです。


2014戦争展4
テストスピーチをされる師匠
プロジェクターの設置は実行委員の方々がしてくださいました。
私は演台にノートパソコンをセットして、PowerPointでスライドの準備をしました。
師匠が公演中は、私が傍らでノートパソコンをつどポチッとして画面を切り替えました。


2014戦争展5
準備完了で開演時間を待つ
すっかり準備も整い開演を待つ師匠とご来客の皆さん

このあと師匠によるB29アメリカ兵への虐待の講演が30分くらいありました。
ついで私が20分ほど、守山区の高射砲とアメリカ兵の処刑に関するお話をさせていただきました。
当初、私は師匠の送迎とパワーポイントのお手伝いだけという話でしたが、
6月度の守山郷土史研究会後のお茶会で、師匠から講演もするようにとご指示があり、
この日機会をいただくこととなりました。
本日の内容を基本として、9月度の守山郷土史研究会でもう一度発表をさせていただき、
もしかしたら同会会報「もりやま」に文章で掲載させていただくこともあるかも知れません。


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わが町 守山区
プロフィール

加藤

Author:加藤
守山区在住の歴史、自然、イベントファンです。
散策仲間を常時募集しています。
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