わが町 守山区 TOP  >  2012年09月

9月29日

江南花火20120929-1
9月29日は、愛知県江南市の江南市民花火大会に行きました。
スイトピアが紫色にライトアップされきれいでした。

15時くらいに場所取りのために現場入りしましたが、今年は野外の舞台でよさこい踊りも、
バンド演奏もなかったので時間がもたず、もう一度車でイオンまで戻りました。
イオンで晩ごはんと飲み物を調達して18時前にブルーシートに帰着。
台風の影響で雨が心配されましたが、なんとか小雨どまりで大崩れはしませんでした。
主催者側としても、順延したら予備日の9/30の方がもっと悲惨なことは十分に承知なので
なんとしても決行したかったと思います。

今年からなのか、ここの花火大会から、木曽川の中州からの打上花火が無くなりました。
たしかに舟で中州に渡るのは夜は危険だし、火災の心配もありますから・・・
中玉、大玉のお値段のこともね・・・
それでプログラムすべてがスターマインになりました。
まあ仕掛けや、ナイアガラもありましたが。

プログラムを全部YouTubeに上げましたが、予想通り、半分以上がダメ判定にされました。
だけどここの花火は音楽花火なんだから、単純にロボット判定させるなんておかしいと
思いますが、著作権とはかくも過保護なものです。
何年か前の江南音楽花火の時には、ステレオ録音していたのを、会場のスピーカーから遠いほうの
片chだけにして、モノラル変換したらダメ出しされなかったことがありました。
今回もこの手かな・・・

次のYouTube動画は今年のオープニングのものです。


スポンサーサイト
[ 2012/09/30 16:33 ] 日記 | TB(0) | コメント(0)

白龍社(小幡緑地ナフコ)

ナフコ20120827-1
ナフコ小幡緑地店の道路側に面して、白龍社さまがございます。





ナフコ20120827-2
小幡駅前から龍泉寺さんへと向かう県道15号線が、小幡緑地公園西園にさしかかったあたり、
県道をはさんで緑地公園と反対側にナフコさんがあります。
このあたりの歩道はせせらぎや花壇を配した区間もあり、気持ちの良いお散歩コースに
なっています。そんなところに、こちらの白龍社さまが鎮座されてみえます。




ナフコ20120827-3
社名碑によりますと祭神は、昇天家守之大白龍王を中央に、左に樹木主之金光白龍大神、
右に金工光白龍大神となっています。




ナフコ20120827-4
お社はよくお手入れされていらっしゃいます。
お近くの方がお世話をされていらっしゃるのでしょうか。

ナフコのホームページによれば、この地にナフコ不二屋『小幡緑地店』が開店したのは、
2005年(平成17年)11月となっております。それ以前は、こちらにはガーデニングのモリフジさんが
ほぼ同規模で営業をされていました。いまでもナフコさんのいっかくで生花を販売されて
いるのは当時の名残りですね。

モリフジさんの以前は、ここにはホームセンターがあったような気がします。
今は上の写真にわずかに残った松の木が写っておりますが、かってはここの松並木は
とてもきれいでした。
[ 2012/09/30 11:18 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

白龍社(大森霞ヶ丘)

白龍社20120827-0
瀬戸街道の大森霞ヶ丘交差点北東かどに白龍社さんがあります。
あと少しで尾張旭市との境界に近いところです。




白龍社20120827-1
大森霞ヶ丘バス停の待合所の横に鳥居があります。
この待合所も結構古そうです。この一角だけ昭和40年代にタイムスリップしていそうな
雰囲気です。




白龍社20120827-2
鳥居をくぐると正面にお社、その右手に龍神さまの石碑があります。
お賽銭箱は高い位置に雨除けとともに設置してあります。




白龍社20120827-3
お社のクローズアップ。
木地は塗装が無くなっていますが、しめ縄、紙垂(しで)はきれいにお手入れされています。




白龍社20120827-4
龍神様のクローズアップ。
大正13年、元々は大森大清水の西の池で、雨乞い、水害除けのために鎮座されていたそうです。




白龍社20120827-5
鳥居、後ろから。
大森新田島の方々が、昭和54年2月に合祀の記念に建てられたのですね。
待合所の背面にぶら下がっている箒がまたいいですね。
こちらのお社の信仰心がうかがえます。
[ 2012/09/29 12:29 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

天王社(二軒家)

天王社20120827-0
瀬戸街道・喜多山バス停前の天王社さんです。
現在の地籍上は喜多山一丁目となりますが、古くは小幡字二軒家の天王社さんと言われました。



天王社20120827-1
バス停の真ん前にだだっ広い広場のような境内があります。
と言って子供用の遊具があるわけでもなく、広い敷地にポツンとお社が鎮座されています。




天王社20120827-2
広い境内は無駄に放置されているのではなく、おそらく往時はここで天王祭を
営むために空けてあったのではないかと思います。
お隣の大森では、天王祭で山車が巡行し、各島の天王社さんに立ち寄ります。




天王社20120827-3
おやっ、こんなところに仏様でしょうか?まるで円空仏のようですね。
バス停からでは小さすぎて気が付きませんでした。




天王社20120827-4
お社の後ろに、この天王社さまを建て(直し)た時の寄附者ご芳名がありました。
この天王社さまは、小幡の一番組さんのシマになるのですね。




天王社20120827-5
境内の中になんと庚申塔もありました。
もともとは別の場所にあったのでしょうけど、区画整理の時にこちらに遷座したのでしょうか。




天王社20120827-6

こちらは1982年の、守山東中学校の「郷土の歴史」より「小幡の天王社」、その中の
二軒家の天王社のページコピーです。
1982年当時はお社の覆い屋根の軒に電燈が付いていたようです。
現在はお社の左の脇に蛍光灯のポールが立っています。

追記:
前記の、1982年の守山東中学校の「郷土の歴史」より「小幡の天王社」によれば、
二軒家の天王社さんの創建は、お近くの宇佐見さん宅の古文書により天保3年。
また、天王社さんのお社の覆い屋根の瓦には「ともえ」の紋が入っている。
これは西島の天王社さんも同じ。
近在の江戸後期の民家にも、これと同じような紋が認められることから、
創建が天保3年というのが裏付けられる。

この中学校の研究発表は、先生のご指導のたまものですが、フィールド調査をよくこなした
立派な調査報告だと思います。
[ 2012/09/27 23:13 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

諏訪神社(中志段味)その2

諏訪神社20120908-11
この日は二十二夜様があるので、受付のテーブルと雨除けシートがありました。
大きめの丸玉石が敷きつめられた段の上に、大小さまざまな石碑があります。




諏訪神社20120908-12
中王不動明王
中王とはなんだろう? 不動明王は五大明王の主尊なので中央に鎮座されますが、
音を中王に当てているのでしょうか。




諏訪神社20120908-13
御嶽山神社





諏訪神社20120908-14
二十二夜
まさにこの日の石碑です。元々は村人が月が出るのを神社で立待し(たちまち、座らずに待つ)、
月に願かけした信仰です。古くはそのまま集会所に移動して、夜を徹して飲食、語り明かし、
家には帰らなかったそうです。この日は夫婦生活を禁忌とするのが目的だったようです。




諏訪神社20120908-15
ゴリンサン、五輪塔の一部でしょうか?



諏訪神社20120908-16
金毘羅神社




諏訪神社20120908-17
秋葉社




諏訪神社20120908-18
山神社
手を触れてしまって申し訳ございません。




諏訪神社20120908-19
ゴリンサン
[ 2012/09/26 06:58 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

八幡神社(下志段味)その2

先日、下志段味の八幡神社さまを全部ご紹介しきれませんでしたので、
その2として続編をご紹介します。

中志段味八幡社20120908-8

左から地蔵菩薩、中央 大峯山大権現、右が御嶽山大権現


中志段味八幡社20120908-9

朱塗りのお社は天王社さま、右わきの石塔は二十三夜さま

守山郷土史研究会会誌「もりやま」や、志段味地区民俗調査報告書には断片的な解説が
ありますが、まだ私が十分にまとめ切れていませんので、このページは後日加筆修正いたします。
[ 2012/09/25 06:29 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

吐水龍(下志段味八幡神社)

中志段味八幡社20120908-7

先日カテゴリー「神社」でお社をご紹介した、下志段味の八幡神社さんの吐水口です。

手水舎を新しくした時に新調された平成の龍さんです。
撮影した角度が悪かったのか、目が見つけられません。
お腹がヘビのように蛇腹になっています。
今まで撮影した他のお社の龍もそうだったのでしょうか?
[ 2012/09/24 20:50 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)

9月23日

今日は守山自衛隊の創立50周年記念行事に行こうと思ったのに、昨夜半からの小雨が
あがらなくて行くのを断念しました(行事は開催)。

昨日鶴舞の中央図書館で借りた「愛知の戦争遺跡ガイド」を守山図書館に返却しました。
この本によって、小幡緑地にあった高射砲陣地に少し迫れた思いがします。
ただ守山郷土史研究会の会誌「もりやま」には、三角点101高地に高射砲陣地があったとも
記載がありますので、するとそれは「愛知の戦争遺跡ガイド」に記載の陣地とは別物なのかは
今後、調査研究してみたいと思います。
ちなみに翠松園にあった陣地と本部建物については、愛知限定 歴史レポ - Yahoo!ブログに
金城山に大戦中高射砲陣地が有った。」と題して牧さんが書かれていますので、
これも併せて調べてみたいと思います。

図書の返却後は春日井市役所隣の春日井市図書館に行きました。
私は勤務先が春日井市内なので、ここで図書貸出カードを作ってもらいました。
さらに10冊まで借りることができるそうですので、家内の分と合わせて7冊も借りてしまいました。
この春日井市図書館は、古くて狭い守山や、新しいけど小さい志段味に比べると大きくて
広々、さらに畳敷きの閲覧コーナーや、屋外の庭園まであって至れり尽くせり、快適です。
また駐車場は、雨の日は地下駐車場、混雑している時には市役所と19号バイパスの間にある
広大な駐車場が無料で利用できるのもありがたいです。

そのあと、小牧の図書館までまわろうかとも思いましたが、借りるだけ借りても、複写するだけ
複写しても、そのあとの私の次工程がボトルネックになることは必至ですので、
自重して帰宅しました。
帰宅途中で昼食に吉野屋の「牛焼肉丼」を食べましたが、久しぶりの吉野屋のヒット商品に
なると思います。今のところ期間限定商品になっているのがもったいないです。
かっては焼肉のサカイも同じ名前の商品を系列店で出していましたが、牛丼屋サカイから
撤退したので、今回の吉野屋からの牛焼肉丼には期待です。
[ 2012/09/23 20:40 ] 日記 | TB(0) | コメント(0)

師団創立50周年記念行事

本日は、守山自衛隊こと、陸上自衛隊第10師団の創立50周年記念行事のため、
駐屯地が広く一般公開されました。私も朝から行く準備をしておりましたが、
生憎の小雨模様で、急遽自重することにしました。
記念行事は少々の雨ならば決行されます。その様子は、雨の中行かれた方々の
ご報告で楽しませていただいております。

守山自衛隊20120923-1

昨日は直前の予行ということで、自衛隊車両の往来や、ヘリコプターの飛行がありました。
天気が崩れるなんて、予報をチェックしていなかったので、夜半からの雨が意外でした。
下の動画は創立47周年の時に撮影したものです。





今年はまだ豊川、明野と自衛隊の一般公開が続きます。
残りは雨が降りませんように。
[ 2012/09/23 20:08 ] 自衛隊 | TB(0) | コメント(0)

9月22日

午前中に家族のお買物と、お彼岸の墓参を済ませ、午後から鶴舞までひとっ走りしてきました。

飯島書店さんで、守山郷土史研究会会誌「もりやま」の手持ち欠落分を数冊購入。
ついでに店内をうろうろと拝見し、「小幡古墳発掘調査報告書」を見つけたので
一緒に買いました。

その後、鶴舞中央図書館の郷土資料のコーナーで文献をチェックしました。
借りられる「愛知の戦争遺跡ガイド」をゲット。
館外貸出不可の、守山東中学校「郷土の歴史」をコピー。
中学生の研究成果をパクるとは情けないので、あくまでもその研究当時と現在との
比較考証のためと・・・・・

内容、出来栄えが、わが母校の郷土研究クラブと天と地の差でしたので
感心していたら顧問の先生が、現在の守山郷土史研究会の幹事さんでした。
さもありなんです。
我が母校のクラブ顧問を、その当時在勤の小林元先生がご指導されていらっしゃったら、
どんな「郷土の歴史」に仕上がっていたか、遠い目で思い出に浸っておりました。

さてと、借りてきた本、複写した資料は斜め読みでしたので、これから内容を精査し、
カンニングいや、参考にできるところを拾い出しましょう。

[ 2012/09/22 18:26 ] 日記 | TB(0) | コメント(2)

八幡神社(下志段味)

八幡社20120908-1
中志段味の農協さんから南に折れるとパチンコ屋さんがあります。
パチンコ屋さんの前を通る斜めの道は、県道春日井-長久手線で、尾張旭の森林公園へと
続いています。本日ご紹介の八幡さまは、そのパチンコ屋さんの南西側に接して鎮座されて
いらっしゃいます。神社の鳥居がある正面の道は広く、西へ行くと志段味支所の前に出る
よい立地となりました。



八幡社20120908-2
まるで今にも土砂降りになりそうな、おどろおどろしい空模様でした。
お隣の最新のお宅との組合せの妙です。区画整理後の村社様ではこのような光景があちらこちらに
あります。




八幡社20120908-3
拝殿の前に、一対の狛犬さんにはさまれて衝立状の石造りの「蕃塀」があります。
なかなか珍しいもので、守山区では大森の八剣神社さんに、規模の大きなものがあるくらいです。





八幡社20120908-4
由緒書の石碑がありました。
創建は不明なれど、寛政4年の、天保12年の村絵図に載っていると書かれています。
八幡さまは、愛知県尾張地方では、神明社さんに次いで二番目に多い村社です。




八幡社20120908-5
境内社が五社並んでいます。
左から護国神社、熱田神社、伊勢神宮、山神社、そして一番奥の小さいお社が稲荷神社です。
それぞれのお社の右側に社名札がございました。



八幡社20120908-6
手水舎はピカピカの新築です。
吐水龍くんはまたあらためてご紹介します。
境内社は手水舎の後方にもありましたので、こちらもまたご紹介します。
ご神域内にこうした公民館、集会所はよく見受けられます。
[ 2012/09/22 17:55 ] 神社 | TB(0) | コメント(1)

龍泉寺さんの風情

龍泉寺さんはわが家からもっとも近い神社仏閣のひとつです。
また言うまでもなく尾張の鬼門を鎮護する尾張四観音、すなわち笠寺、荒子、甚目寺そして
この龍泉寺さん、のひとつでもあります。
それゆえ1年でもっともにぎやかなのは節分で、元旦の初詣はむしろ落ち着いております。
アクセスとしては大曽根を始発とするガイドウェイバスがもっとも便利が良いです。

龍泉寺20120908-0


先日訪れた時は土曜日だと言うのに人気もまばら、残暑が厳しい中でしたが、
閑散とした境内はむしろ秋近しの風情がありました。
でんわ、でんぽうの楕円の看板、久しく見た記憶がありません。

龍泉寺20120908-1



左右に大きな提灯。時々お参りしているのに、ファインダー越にあらためて良さを再発見。
本堂裏の疑似お城は日曜日の開放。昔は本当にここから海が見えるのかとときめきながら
お金を払って入場した記憶があります。

龍泉寺20120908-2

いまでも海が見えるかは、空気が澄んだ冬の日曜の朝までお預けです。
[ 2012/09/20 20:41 ] お寺 | TB(0) | コメント(0)

翠松園尊星王

2011年5月21日、守山探検隊の歴史散策で、ゆったり忍者先生に引率していただきました。
場所は翠松園の南の端で、翠松園の集会所の片隅にお社がありました。

尊星王20110521-0


先生のご説明では、お社は表示はないけれども大山祇命を御まつりしている大山祇神社のようだ、
とのことでした。お社は翠松園の町内が管理をされ、町内の役員が本宮である瀬戸内大三島
(愛媛県今治市)の大山祇神社へお参りに行く、と地元の古老からお聞きされたそうです。

尊星王20110521-1


尊星王の石碑はお社の右わきにありました。ゆったり忍者先生のご教示で、守山郷土史研究会の
会誌「もりやま」第8号に解説が載っていましたので転載させていただきます。
小幡翠松園の社に立つ。「妙見さん」のことである。妙見菩薩でもあり、北辰=北極星を
神格化したものである。もとは茶臼山古墳山頂に祀られ、一時放置されていたが、昭和3年11月
大山祇命と共に社に祀ったものである。


尊星王20110521-2


実は集会所の片隅と思っていたこのお社は、上記「もりやま」の引用文のとおり、
茶臼山古墳の裾に集会所ごと乗っていることがわかりました。
下の実測図は1990年名古屋市教育委員会による「茶臼山古墳発掘調査報告書」に載っている
昭和35年の墳丘測量図ですが、左下の方に鳥居のマークがお社をあらわしています。

尊星王20110521-3

当日の探検隊は、茶臼山古墳を下から観察しました。
まさかこの上に、見てきたばかりの集会所とお社があるとは、位置関係が理解できて
いませんでした。

尊星王20110521-4

昨年の写真ですが、今見ると圧倒的にオバちゃんが多いですね。
[ 2012/09/19 22:01 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

大森寺(1)

大森寺20120917-0
名鉄瀬戸線の大森金城学院前からすぐ近くにある名刹・大森寺さんで本堂、書院の建てなおし
工事が始まっています。このお寺さんの前の道はよく通り抜けますが、7月末日より工事が
始まっていたのは気が付きませんでした。
本日は、ゆったり忍者先生の情報で、大森寺さんをお尋ねしてまいりました。




大森寺20120917-1
山門の両脇には大きな告知が置かれていました。右側に「本堂再建」、左側に「勧進」と
あります。




大森寺20120917-2
大森寺さんは尾張徳川家に由緒があります。
この教育委員会の説明板のように、二代藩主光友公の御生母乾の方様のお墓があります。




大森寺20120917-3
山門を過ぎると空を覆わんばかりの森になります。




大森寺20120917-4
しかしながら、かなり多くの敷地が工事のために地ならしされてしまいました。



大森寺20120917-5
その工事で雑木、雑草が伐採され、かような石像が森の中から白日のもとになったとの
情報が、守山探検隊の「ゆったり忍者」先生のブログ「わが縄張ブラリ散策」に載りました。
守山郷土史研究会の会誌「もりやま」第7号の「守山の石造物(その3)」の大森寺の項には
載っていない石像です。男女二体の双体道祖神で、しかも屋根付き、菊の御紋入りです。
菊の花びらは天皇家の十六菊ではなく、十弁の十菊です。



大森寺20120917-6
かたわらにはお社がありました。
しかしこちらのお社も社名など何も書かれていないので、私にはわかりませんでした。
境内は相当に広大で、現在の本堂の裏には前述の尾張徳川家ゆかりのお墓が建ち並んでいます。
またそこへ行く間には別のお社と石像が確認できました。
石像は役行者ほか一体、お社は社名なしでした。
これについてはまたご報告をいたします。

参考リンク
洋漢堂のブログ 大森寺庭園
[ 2012/09/17 18:36 ] お寺 | TB(0) | コメント(2)

9月16日

20120916-1.jpg
守山区とは関係ありませんが、私の日記と言うことで、9/16(日)に愛知県田原市で行われた
田原祭・五町合同花火大会を楽しんできました。
かっての渥美半島は豊川ICあるいは音羽蒲郡ICからのアクセスがあまりよくなくて、
魚釣りに行くときもトロトロ走ったものでしたが、今では産業道路が整備されて快適です。

花火会場には駐車場はありませんから、少し早めに出かけて、会場に隣接するイオン田原店さんの
駐車場をお借りします。
到着したらイオンさんでトイレを借りて、すぐに必要なものの買物をします。

ここの花火大会は二部制というのでしょうか、17:30からの手筒花火と、20:00からの
打上花火とに分かれます。場所はイオンさんを真ん中にはさんで両側に分かれますので
場所取りも両方必要になります。
イオンさんで用を済ませたら、ビニールシートとガムテープをもって、打上花火の場所取りに
向かいます。場所は最前列になる田んぼの中の農道です。その日によって風向きがありますから
風下にならないように気を付けます。ちなみにこの日は東からの風でしたので、一番東の
額字花火(仕掛け花火)の正面に場所取りしました。
次にカメラの三脚をもって手筒花火の会場に移動し、最前列となる防護柵に三脚を固定して
場所取り完了しました。

なおも時間が余りすぎていますので、手筒の隣にある田原市中央図書館に行きます。
思わず居眠りしないようにブラックコーヒーを飲んでカメラ雑誌とかを読み漁りました。
冷房は効いていますし、座るソファもありますので、快適快適です。
ここで17時の閉館までいて、退館時にふと除籍本のコーナーに気が付いて見に行くと、なんと
1冊50円ではないですか!ちゃちゃっと物色して2冊ゲットしちゃいました。らっきー~


さてさて手筒花火会場に行きますと、まさにオープニング間近でした。
撮影機材をセットして待機します。こちらの会場もある程度は東の風を読んで場所取りしましたが
花火の煙が予想以上に視界を遮って、なかなか良い画像が得られませんでしたが、
動画をYouTubeに上げましたのでご覧ください。



手筒花火の後、人込みをかき分けて打上花火の場所まで移動しました。
ここで20時の打ち上げ開始までに、イオンさんで買ったお弁当をいただきます。
ここも風が思ったより強いです。風下に場所を撮った人たちは大変なことになります。

田原祭は田原市の五町が合同で行います。それで手筒花火、打上花火、スターマインも
桜組(巴江町)、かや組(萱町)、魁新組(新町)、雪輪組(本町)、衣組(衣笠町)で
技量や趣向を競います。もっとも打上やスターマインは煙火店さんの技量、センスなのですが。
こちらの動画は桜組さんのスターマインです。



帰りはイオンさんの駐車場から出るまでは一苦労ですが、ひとたび出てしまえば、
勝手知ったる裏道をひた走り、楽々と豊橋を抜けて音羽蒲郡から東名で帰ってきました。
今年の花火は、次は江南の音楽花火に行って打ち止めです。
名古屋港のクリスマス花火は今年には違いありませんが別物と言うことで。
[ 2012/09/17 12:21 ] 日記 | TB(0) | コメント(0)

社宮司神社(川村)

社宮司20120827-1
場所は川村町地内でありますが、白沢郵便局とか白沢書店が近くにありますので、
人に説明するときには白沢の・・・と言った方が通じるかも知れません。



社宮司神社20120827-2
昔からの集落のいっかくに、新旧の住宅に隣合ってひっそりと鎮座されています。




社宮司神社20120827-3
境内は入口に門かぶりの松、社名碑、手水鉢、鳥居を配し、尊厳を保っておいでです。



社宮司神社20120827-4
昭和12年の手水鉢です。
水源は水道でしょうか、蛇口を取り外してあります。
別途、止水栓もあるとは思いますが、神社に車を横付けして洗車する罰あたりもいるのでしょうね。




社宮司神社20120827-5
すっかり日焼けして判読できませんが、昔の記念写真ではないかと思います。
100年プリントも家庭内での通常保管であり、屋外では厳しい。




社宮司神社20120827-6
いわゆる拝殿はなく、そのまま本殿となっております。
階段に置かれているのはお賽銭箱です。屋根付きのお賽銭箱と言うもの珍しいですね。



社宮司神社20120827-7
かがり火台と篭です。



社宮司神社20120827-8
改修工事の時の記念碑がありました。
主祭神、由緒などはわかりませんが、やはり諏訪の御社宮司神社さまのご関係なのかと思います。
[ 2012/09/16 11:14 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

津島神社(長命寺)

町をうろうろとしていますと、神社と言うよりは祠に近いシンプルなお社に出あいます。
いろいろとご事情はあることと拝察しますが、中には社名碑のないお社もありまして、
こちらのお社は一体どちら様で?と悩んでしまいます。

津島長命寺20120817-1
白沢の長命寺さんのいっかくが妙な区画になっておりまして、そこに拝殿+本殿のシンプルな
お社が鎮座されていらっしゃいます。



津島長命寺20120817-2
道路に面したところには鳥居も社名碑もございませんので、どちらの神様なのかわかりません。



津島長命寺20120817-3
本殿は朱塗りで、手入れがされていらっしゃるご様子です。



津島長命寺20120817-4
本殿に顔を近づけたら津島さんのお札が見えました。
こちらは津島神社さんの末社だったのですね。



津島長命寺20120817-5
これも厳しいです。
何が書いてあるやら見えません。
[ 2012/09/16 06:53 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

川島神社会館

川島神社会館

「川島神社会館」、神社巡りをしていると、境内の中にこうした建物があるのに出くわします。
しかしこちらのように随分離れた場所に立っているのも奇異なる印象です。
これについては次の文献に、実に明快かつ、当事者には耳の痛い話が書かれています。

「白沢のながれ」白沢小学校15周年記念


川島神社会館2

川島神社会館3

川島神社会館4
[ 2012/09/15 22:14 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

不老泉

石碑20120915-1

先日のレポ以来ずっと「不老泉」「馬州」「木祖同人」をキーワードに考えていました。
確かに銘酒「不老泉」、酒豪「馬州」まではわかるとしても、木祖同人とは俳人馬州の弟子なのかとか
難問山積みでした。

本日再び石碑の場所を訪れ、生い茂っていた夏草を刈り取り、碑文が判読できるように
いろいろな角度からストロボ撮影を試みました。
その結果はなんと「馬州」ではなくて「信州」でした。

不老泉&酒をインターネットで検索してみると、トップに滋賀県の上原酒造さんの「不老泉」が出ます。
ただ他県にはこの銘柄は無さそうです。

酒にこだわらなければ長野県安曇野市の中房温泉(なかぶさおんせん)には、不老泉があります。
これならば確かに信州だし・・・・・
ああしかし長野県安曇野市の中房温泉のホームページによれば、開湯は文政4(1821)年と書かれています。
石碑の建立かどうかは知りませんが、石碑には安永六(1777)年丁酉二月と書かれていますので、
中房温泉の石碑をパクってきたのではつじつまが合いません。

おそらく「不老泉」とは現代でいうところの名水、清水のことだと思われます。
石碑と寄り添って置かれている水鉢の存在を考えると、それが自然だと思われます。
どなたか、この石碑がここに置かれた由来をご存知でしたら、ぜひともご教示のほどお願いします。
[ 2012/09/15 13:50 ] 石碑 | TB(0) | コメント(2)

自分史探訪(1)

20120912-1.jpg

守山区ではありませんが、自分史のレポも織り交ぜてゆきましょう。
豊橋市の西光寺さんに、母と叔母の運転手をして来ました。
このお寺には母の実家と、母の親友のお墓があります。
今から10数年前、亡き祖父の墓参に訪れた時、何気なく墓地をふらふらしておりましたら
思いがけず父方の墓石を発見しました。
父方にはすでにここが菩提寺との伝承が失伝していただけに、私の当時の驚きは
筆舌に尽くしがたいものがありました。
そういうのをご先祖様のお導きというのだと、信心などカケラもないくせに感心したものです。

今回は父方の叔母にも是非見てもらいたくて同道願ったわけです。
10数年ぶりのご無沙汰の間に、新しい仏様が増えており、代わりに明治初年の墓石が
無くなっておりました。
墓参のあと豊橋中央図書館の郷土史コーナーで資料探しや、現在の戸主宅を住宅地図で確認したり。

明治末の記憶では、東京からはるばる父と豊橋の実家を訪ね、その当時の家業であった旅館に宿泊。
おねしょをして、お布団と一緒に欄干に干されてしまったと、幼子だった我が祖父の述懐。
昭和30年代に祖父と同居していた叔母が、祖父から聞かされた昔話です。
図書館を出て、住宅地図で確認したその場所に向かうと、現戸主の家と、裏手に地図どおりの
旅館がありました。
旅館で開業をお尋ねしたら明治42年とのこと。
祖父は明治34年の生まれだから、開業時は8歳か。まだおねしょはあったかもしれませんね。

現戸主には100年前の伝承は伝わっているのでしょうか。
今回はアポなしだったので、もう一度、資料、記憶を整理してから連絡をとってみましょう。
普通なら明治11年の分家(他家養子再興)のことなど、失伝しているとは思いますが。
[ 2012/09/14 07:10 ] 自分史 | TB(0) | コメント(0)

吐水龍(龍泉寺)

わが家から一番近いにもかかわらず、平素素通りばかりで申し訳もありません。
と言う訳で久しぶりにお参りしてきました。
ここの吐水口は「だまし絵」ではないのですが、視点をたがえると龍のはずが
怪獣のように見えてしまいます。

龍泉寺20120908-1

まるでドラゴンボールの神龍と、本場ナメック星のボルンガみたいな違いの印象です。
やはり龍はツノとかヒゲといった立体パーツがないと表現が難しいですね。

龍泉寺20120908-2



龍泉寺20120908-3
[ 2012/09/13 06:41 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)

頌徳碑(JA中志段味)

石碑と言うものはせっかく目立つ場所に建てても、ほとんど多くの興味ない人間にとっては
その存在すら目に入らないらしい。ましてや建てられてから数十年以上を経過すると、
「関係者」すら物故しないまでも代替わりして、まわり知らない人だらけとなります。
そんな運命なのか、いやこれは違うのかわかりませんが、私がよく車を停める目の前に
ある石碑をご紹介します。

公徳碑20120908-1

場所は中志段味の交差点にある、JA中志段味の駐車場です。
道路の拡幅で「とい面」のガソリンスタンドは無くなりましたが、新しい建物が立ち並び、
学習塾やファーストフードが進出しています。

公徳碑20120908

原文書き取り


頌徳碑
君姓深田稱市太郎明治十五年志段味村ニ生ル公共心ニ富
ミ東春日井郡會議員同参事會員同議長志段味村長愛知縣
町村長會副会長愛知地方事務所参與委員志段味信用組合
長産業組合東春日井郡部會副会長同組合愛知支會監事東
春日井郡農會評議員同郡養蠶業組合副組合長志段味村農
業會長名古屋地方裁判所調停委員愛知縣家屋税調査員其
他村會議員當選七回及各種公務委員トナリ更ニ昭和三年
高牟神社社司次デ宮司ニ就任大日本神祇會評議員同會愛
知縣支部理事愛知縣神社廳理事トナル殊ニ特筆大書スベ
キハ君ガ村長在職中縣道編入並改修庄内川三橋架設ニ當
リ最モ力ヲ盡シタルハ衆目ノ斎シク之ヲ認ムル所ナリ茲
ニ郷黨相謀リ頌徳ノ碑ヲ樹テ後昆ニ傳フト爾云
  昭和二十一年四月
         従三位長谷外余男篆額
             衆議院議員 神戸眞撰
                   田島仲高書



[ 2012/09/12 07:47 ] 石碑 | TB(0) | コメント(0)

諏訪神社(中志段味字宮前)1

中志段味の大きいほうの諏訪神社は、字宮前の中志段味保育園の隣にあります。
県道多治見線には接していませんので、鎮守の森を目印に旧道へ入ります。

諏訪20120910-1

旧道に面して社名碑と鳥居、石塔があります。

諏訪20120908-2

この日は二十二夜祭がありました。夜にも行こうと思いましたが、外食に出て間に合わず、
断念しました。

諏訪20120908-3

鳥居から先の参道は思ったより長く距離があります。
そしてその両側に整然と並ぶ献灯の列が見事です。

諏訪20120908-4

雄の狛犬さんです。左の雌は足で赤ちゃんを押さえていました。

諏訪20120908-5

手水鉢はコンクリートの床に置かれてありました。もしかしたら、昔は手水舎があったのかも
知れませんね。

諏訪20120908-6

拝殿の正面から。右側のブルーシートがおそらく二十二夜祭の受付でしょうか。

諏訪20120908-7

絵馬がたくさんありました。

諏訪20120908-8

最近よくある、お賽銭入れが小窓に開いているパターンです。

諏訪20120908-9

この一区画はお正月飾り用の熊笹を栽培しているそうです。
見落としていなければ、こうした区画を初めて見ました。
境内社、石碑などは別途あらためてレポします。

諏訪20120908-10
[ 2012/09/11 07:08 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

ホテル 夕なぎ(廃墟)

私がときどき通勤路に使う抜け道近くにラブホがあったような気がして、いつもならその手前で
曲がる道を、行きどまり承知で車で探索して見ました。
場所は東名高速道路の守山パーキング近くです。
このあたりの字名は東禅寺と言って、江戸時代にはお寺があったそうです。

ホテル夕なぎ20120908-1

2005年版の住宅地図によればたしかにこの場所は「ホテル 夕なぎ」となっていますが、
Google mapでは有限会社仲村設備工業寮となっています。

ホテル夕なぎ20120908-2

このバリケードと雑草、雑木では昨日今日の封鎖ではなさそうですね。

ホテル夕なぎ20120908-3

あれ~、なんかありますよ!!!!
不老泉と書かれた石碑です。

ホテル夕なぎ20120908-4

雑草を払って側面を見ると「安永六年丁酉二月」と書かれています。
帰宅後に西暦に置き換えたら1777年、本当なのかな?

ホテル夕なぎ20120908-5

反対側の側面は見づらいのですが、「馬州」「木祖同人」でしょうか?馬州で検索すると、榎本馬州とかありますが、判読に自信がありません。 →馬州ではなくて、信州でした。ホテル夕なぎ20120908-6

左隣に置いてある水鉢のようなものと石碑がペアのようです。
ラブホがここに花壇を作った時に、趣味がいいのか悪いのか、この石碑と水鉢を置いたのかも
知れません。

ホテル夕なぎ20120908-7

左は庄内川、右は東名高速道路にはさまれた「行きどまり」の道路にあります。

ホテル夕なぎ20120908-8

開業していた当時の住所は、守山区下志段味上東禅寺2409-1
ネット上での口コミでは・・・・・
廃墟(2004/12/29 01:11)
どこかの会社か寮になっていた。(2005/12/17 09:46)
なるほど~、もう随分むかしに廃業していたのですね。
[ 2012/09/10 07:03 ] ホテル | TB(0) | コメント(2)

鎮守八幡宮(倶利加羅不動寺)

龍泉寺街道を吉根側に下ってすぐのところにチベット寺院強巴林(チャンバリン)さんと、
並んで倶利加羅不動寺さんがございます。

鎮守八幡宮20120908

倶利加羅不動寺さんの駐車場から山中に向かって「鎮守八幡宮」さまの幟旗が並んでいることに
毎日の通勤途中に気が付きました。気にはなっていたのですが、なかなか機会が無く、本日ようやく
お参りさせていただきました。

鎮守八幡宮2012090801

最初に、登り始めてすぐのところにある「言霊」の碑を拝見しました。
森下永敏御住職がお伊勢さんで「言霊に気を配れ」とお告げを受け、建立なされました。

鎮守八幡宮2012090802

階段は約200段もあるそうで、ところどころ振り返りながら、景色を楽しみました。

鎮守八幡宮2012090803

参道は山中の急こう配な坂道にもかかわらず、手すりや階段が整備され安全に気配りされています。
また雑草やゴミなど一つもなく、竹ぼうきの跡さえうかがえました。

鎮守八幡宮2012090804

山頂まであとわずかのところで出現した巨大な「さざれ石」の岩盤です。
この岩盤にしめ縄がかけられ、すなわち御神体とされています。

鎮守八幡宮2012090805

山頂には一流の宮大工の手による鎮守八幡宮さまが鎮座されていました。

鎮守八幡宮2012090806

ちょっと変わったお賽銭箱にお金を入れ、お参りをさせていただきました。

鎮守八幡宮2012090807

山頂をとりまく幟旗。ここから先は少し下り勾配になっています。
林の向う側は緑ヶ丘カンツリークラブでしょうか。

鎮守八幡宮2012090808

御神体のさざれ石の周囲を一回りできるような道がありますが、写真向かって右の階段が無い道は、
頂上で通行止めになっていますので、危険防止のためにも立ち入らない方がよいでしょう。

鎮守八幡宮2012090809

下り道は景色が堪能できます。
前方に見えるチベット寺院の向う側まで、はるか遠くまで眺めることができます。

鎮守八幡宮2012090810

こういう山道とか参道では、行き帰りにすれ違う方々に対して、「お早うございます」とか、
「お疲れさまでした」とお声掛けするマナーをぜひともお願いします。
[ 2012/09/09 06:00 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

諏訪神社(中志段味南原)

中志段味の諏訪様というと県道の北側、字宮前の方が有名ですが、こちら字南原の諏訪様から
先にご紹介します。場所は中志段味の県道多治見線から森林公園へ向かう県道春日井・長久手線の
旧道の南原バス停近くです。

諏訪20120801-1

↓ ご神域はそんなに広くはありませんが、そんな中に鳥居が三基もあります。
一の鳥居の神額には「諏訪神社」とかかれております。

諏訪20120801-2

↓ 一の鳥居をくぐると左手に手水舎があります。ここの吐水龍は先日このブログで先行紹介を
致しました。

諏訪20120801-3

↓ 諏訪さまにお参りをしまして、続けて二の鳥居に向かいます。
こちらは「参拾番神社」と神額に書かれています。
「志段味地区民俗調査報告書」によれば、もともとこの地には字西原から移した番神堂(ばんじんどう)が
あったそうです。三十番神とは、「三十番神堂」によれば「三十番神とは、わが国の著名な天神、
地祇三十神が、1ヶ月30日の間、毎日、結番交替して、国家、国民を守護せられるという信仰
」との
ことです。

諏訪20120801-4

↓ 参拾番神社さまに重なるように三の鳥居があります。「吉嶽稲荷神社」さんです。

諏訪20120801-5

↓ 報徳記念碑

諏訪20120801-6

↓ 歴史のありそうな狛犬さんです。

諏訪20120801-7
[ 2012/09/08 11:56 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

弁財天奥の院

大森の金城学院大学の手前に、弁天様がお祀りされています。
守山探検隊のコースになっていて、私も2011年5月にコースに参加しました。
名鉄瀬戸線の大森金城学院前駅から北に、大学方向への坂道を登ること200mほどのところです。

大森弁財天20110521-1

上の地図で赤く丸囲みしたところを拡大すると、ひょうたん型をした島のようなところが
弁財天奥の院様です。

大森弁財天20110521-2

表の坂道から中に入ると鳥居があります。

弁財天奥の院20110521-3

この石灯籠はいい具合に苔むして古そうです。

弁財天奥の院20110521-4

↓ これが先日「鬼板・壺石」でご紹介した写真です。

弁財天奥の院20110521-5

↓ 弁天様をこの場所にお移りいただいたときの写真です。
大森の土地区画整理組合が出した記念誌「大地創造」より。

弁財天奥の院20110521-6

まるで古墳のようにまわりに堀を巡らした神社は少ないです。
ちょっと変わった雰囲気に浸れますよ。
[ 2012/09/05 22:12 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

鬼板、壺石、さざれ石

長野県木曽、伊那地方から岐阜県東濃を通り、愛知県尾張にかけて、地下水や泥水に含まれた
褐鉄鉱がまるでセメント材のようにまわりの小石を固めて、球形をなしたり、板状になったり
して出土される岩石があります。

前者を壺石、後者を鬼板と呼ぶようです。
含まれる褐鉄鉱が多いと、岩石が全体に錆で赤茶けております。
これがそうそうやたらに野山に転がっている訳ではなく、なぜだか神社によく見られます。

弁財天奥の院201105210000
最初に気が付いたのは、大森の金城学院大学の手前にある、弁財天さんの奥の院です。
ご神体をお祀りしているこの祠の上に重石のように乗せてありました。


吉根八幡神社
吉根の八幡さまでは手水舎の吐水口の後ろに置いてありました。


生玉稲荷201207150000
生玉さんの奥の方にもありました。


熊野社201208160000
そのうちに、こんな風に御嶽さんの築山に積まれているのにも気が付きました。
(熊野社さん)


社宮司神社201208270000
置き方もまちまちです。ただどう見ても実用品として置いてあるようには思えません。
(白沢 社宮司神社さん)


神明社201209130000
築山の岩石として置いたにしては、大きさも形も合っていません。
(西城 神明社さん)


白山神社201207220000
でも傾向としては、御嶽さんとの同居が多いのかなとも思えてきました。
(小幡中 白山神社さん)


白山神社201208170000
こちらも御嶽さんのお山の中にありました。
(市場 白山神社さん)


白山神社201209130000
これも鬼板と言うよりは、さざれ石ですが随分大きいです。
(西城 白山神社さん)

鬼板は非常に効率は悪いと思いますが、古代から製鉄の原材料として使われたようです。
古代の製鉄技術者集団にとってはメシの種でもあり、それゆえに神聖なるものでもあったのでは
ないでしょうか?
もしかしたら製鉄技術者集団は庄内川の両岸を、鬼板を採取しつつ移動していたのかも知れません。
龍泉寺さんの多羅々池伝説などは、ズバリ製鉄のタタラを連想させます。

もちろん御嶽さん信仰がムラに解放されたのは覚明霊神以降の江戸時代ですから、
製鉄技術者集団との関連を唱えるなら、御嶽さんの築山にそれがある理由にはなりません。

非売品ですが、「天白と爍神」前島長盛著、平成5年という書物が図書館にありました。
いわゆる天白信仰を製鉄技術者集団の金属神信仰として解説されています。

私はもしかしたら、これら鬼板は製鉄技術者集団と縁があった支配者の古墳墓から出土したものか、
あるいは守山区からはすっかり消えてしまいましたが天白信仰の名残りの物証なのかとも
考えています。
[ 2012/09/03 21:03 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

ヤマナカ小幡店閉店

瀬戸街道の小幡東交差点にヤマナカ小幡店がありましたが、本日9月2日閉店となりました。
よくある閉店セールではなくて、本当に撤退のようです。
このお店では、よくお米を買っていました。残念ですね。

20120902-0001.jpg

閉店のノボリが哀愁を誘います。

20120902-0002.jpg

店内にも閉店のお知らせが貼り出されていました。
建て替えとかの理由ではなくて、他店を代わりに案内していますので撤退ですね。

20120902-0003.jpg

お昼には一部の棚は空っぽになっていました。

20120902-0004.jpg

ちらっと小耳にはさんだ噂では、跡地には元町珈琲が進出とか。
[ 2012/09/02 21:42 ] お店 | TB(0) | コメント(2)
FC2カウンター
わが町 守山区
プロフィール

加藤

Author:加藤
守山区在住の歴史、自然、イベントファンです。
散策仲間を常時募集しています。
ご連絡は右側のメールフォームよりお願いします。
記事に対するご意見、ご感想は各記事の最下行にあるコメントを押してください。

最新トラックバック