わが町 守山区 TOP  >  2012年08月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

神明社(金屋)

新守山の駅から南東に妙に斜めの道があって、その道が守山西中の角を通過したころ、
金屋の神明社さんの鎮守の森が見えてきます。。

神明社20120816-1

お参りしたのが夕方でしたので、地面には長い影ができています。

神明社20120816-2

参道脇に「敬神」の立て札。

神明社20120816-3

額に入った由緒書きがありました。平成5年の口語体ですから、拡大表示していただければ
読んで頂けると思います。

神明社20120816-0004

手水舎はごく簡素にございました。

神明社20120816-0005

拝殿にはいろいろな書きつけがベタベタと貼られていました。
さまざまな罰あたりの輩がおりますゆえ、現代版のまじない札みたいなものかと。
かたわらにバケツがありますが、こちらの神明さまの境内は大変清潔です。
氏子の方々が大変熱心にお世話をされていらっしゃるのが一目瞭然です。

神明社20120816-0006

狛犬さんのことはこれから勉強しますが、足もとに小さな赤ちゃん狛犬がいるのが
ユーモラスですね。

神明社20120816-0007

最初の拝殿の奥にもうひとつ拝殿て言うのかな、ありました。

神明社20120816-0008

その裏に階段があって本殿へと続いています。

神明社20120816-0009

こちらが本殿ですね。

神明社20120816-0010

境内のすみに森があり、そのなかに御嶽さんが鎮座されていました。

神明社20120816-0011

霊神碑や座の石碑、そしてお山の上にお社がございます。

神明社20120816-0012

こちらは竣工記念碑です。昭和40年の土地区画整理の時のものですね。

神明社20120816-0013
スポンサーサイト
[ 2012/08/31 23:06 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

熊野社(大永寺)

熊野社20120816-1

大永寺の交差点と二城小学校の間に、おもて通りからはちょっとわかりづらいのですが、
熊野社さんがあります。

熊野社20120816-0002

敷地は消防団の詰所と車庫と同居です。

熊野社20120816-0003

熊野社20120816-0004

拝殿は戸締りしてありましたので、ぐるっと迂回しました。

熊野社20120816-0005

一段高いところに本殿が鎮座し、拝殿との間に、ちょっと通せんぼのようにお賽銭箱があります。

熊野社20120816-0006

本殿のしめ縄は新しく、よく整っておりました。
よく見ると彫刻も見事です。

熊野社20120816-0007

本殿に向かって右側に境内神社がありました。
お社が二社と、覚明霊神碑、赤く塗られているのはお不動様でしょうか。

熊野社20120816-0008

熊野社20120816-0009

本殿の向かって左わきにも一社ありますが、少々荒れております。

熊野社20120816-0010

さらに左(西)の端に朱塗りのお社がありましたが、津島さんかと思います。

熊野社20120816-0011

守山郷土史研究会会誌「もりやま」第5号によれば、明治時代の神社明細帳から引用して、
社格は村社、祭神は伊弉許命(いざなぎのみこと)、境内神社は五社すなわち、神明社、
八幡社、御塚社、御嶽社、津島社とされています。
[ 2012/08/30 23:02 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

神明用水(4)

もりやま第5号-1
もりやま第5号-2
もりやま第5号-3
もりやま第5号-4

守山郷土史研究会
会誌「もりやま」第5号より転載
[ 2012/08/28 22:43 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

吐水龍(尾張戸神社)

東谷山の山頂にある尾張戸神社の吐水龍も立派なものでした。
黒光りしている龍はなかなかお目にかかれません。
ひーひー言いながら東谷山を登山して、これを見つけた時の喜びもまた格別でした。

尾張戸吐水20120826-0001

まだ新しくきれいな手水舎でした。
午後の日差しが強烈なゴーストを発生させました。

尾張戸吐水20120826-0002

黒光りして、眼光鋭い立派な龍です。

尾張戸吐水20120826-0003

山頂なので水源はどうしているのかと帰宅後に気になりました。
10月の古墳説明会の時にまた見てきましょう。
[ 2012/08/27 18:06 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)

庄内川の川遊び

守山郷土史研究会会誌「もりやま」第5号より

庄内川を挟んで吉根の北向かえに野田、西向かえに上条がある。
俺達子供は夏中殆ど毎日此の庄内川で遊んだ。魚を捕ったり泳いだり・・・・。
野田の子供も同じだ。だから此の川で吉根の子供とあちらの子供が合致あつた。
すると直ぐ石合戦が始まる。

川遊び20120826-1

いつの時代でも子供の夏休みは水遊びだ。
丸坊主で、海パンにベルトがついていたのが、自由な髪形になり、Tシャツを着るようにもなった。

川遊び20120826-2

魚道で遊んでいても、それは魚を捕えるためではなく、魚道をすべり台のようにして遊ぶ目的。
魚がまるっきりいない訳ではなかろうが、下手に捕まえても、帰宅後にバレて叱られるか。

川遊び20120826-3

むかしはプールのない学校があった。
そういう学校の子供たちは、近くの川で遊んだものだ。
しかし川に農薬やら生活排水やらが流れ込むようになって、異臭が漂って足を入れるのもはばかられた。
それと交差するように学校にプールができるようになり、子供たちの川遊びも見られなくなった。

川遊び20120826-4

訳のわからない変なオヤジが写真を撮っていたので、子供たちの帰宅を急がせてしまったかも
知れない。存分に遊べただろうか?
[ 2012/08/27 17:48 ] | TB(0) | コメント(0)

東谷山登山

昨日は東谷山に登りました。
中社古墳発掘調査公開ウィークとして市の教育委員会が現地説明会を開いてくれ、
それに参加するのが目的でした。
東谷山フルーツパークの第一駐車場に車を停めて、そこを起点とする登山道から入山。


木漏れ日すら届かないような登山道ですが、よく整備されていて「最初は」軽快に
山に足を踏み入れました。

東谷山20120826-0001

ところどころに大きな岩や垣が崩れたような丸石が見られ、何ら説明板は無いけれども
これも古代のものかと物思いに浸りながら、古墳説明会の開始時間を気にし足早に通過しました。

東谷山20120826-0002

ところどころにある案内板で一休みして呼吸を整えます。

東谷山20120826-0003

ようやく南社まで到着しました。本当はお参りしたかったのですが、登山道から手を合わせて
先を急ぎました。

東谷山20120826-0004

南社を過ぎると登山道はいったん大きく下ります。
そして沢筋のボトムから先を見上げると登山道ははてしなく続き、急ぐ気持ちもくじけそうになります。

東谷山20120826-0005

まさに心臓破りの登山道が終わるころ、人々の声が聞こえてきました。
ようやく中社の古墳発掘現場に到着しました。説明会開始5分前でした。
もう心臓がバクバクで、汗が噴き出ています。

東谷山20120826-0006

現地での説明会は予定の20分間を大きくオーバーし、説明の先生も参加者もとても熱心に
聞き、そして質問をしていました。

東谷山20120826-0007

今回の発掘は墳丘の裾の確定と、その過程で出土する遺物の分類、調査であり、古墳の核心たる
石室発掘までは行わないようです。墳丘の頂きに鎮座する中社の現況写真です。

東谷山20120826-0008

説明会の解散後、私は山頂を目指してさらに登山道を登りました。
中社から山頂まではほんのわずかでした。

東谷山20120826-0009

山頂には3年前の古墳説明会の時に登って以来です。
相変わらず山頂の尾張戸神社さんはきれいに手入れされていらっしゃいます。

東谷山20120826-0010

山頂の傍らにある展望台へも登ってみました。

東谷山20120826-0011

眼下に庄内川の蛇行と尾張平野が一望できます。
カメラの画角はAPSで50mmです。広角ですと手前の樹木で随分視界が遮られてしまいます。

東谷山20120826-0012

古墳の説明会は、まとめのようなものを10月頃されるようです。
季節的にもそのころの方が登りやすいでしょう。楽しみにしております。
[ 2012/08/27 10:49 ] 区内の山 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水

八ヶ村用水のことは前から知っていましたが、取水口の探検調査は背丈ほどもある雑木、
雑草にはばまれ、なかなか踏み込めない場所にありました。
ところが最近除草車が入ってくれて、絶好のチャンスとなりました。
ここが堤防道路から樋門を見たところです。用水路が右にカーブしているのが見えます。

八ヶ村用水取水口20120826-1

樋門の脇の階段を下りて用水路側から撮影。堤防の下を抜けている様子がわかります。

八ヶ村用水取水口20120826-2

この樋門に貼りつけられた銘板には「八ヶ村用水樋管」と書かれています。
1979年の施工で、いまさら八ヶ村の時代でもあるまいなのですが、時代は移り変わっても
固有名詞として生きていたのですね。

八ヶ村用水取水口20120826-3

用水路はカーブのところで枝分かれし、下流にも向かっていました。
これはまた記事を改めてご紹介するとして、本日は上流に向かって歩きます。

八ヶ村用水取水口20120826-4

下の地図で矢印のところが堤防の樋管で、これから取水口の赤マルのところまで歩きます。

八ヶ村用水取水口3

用水路は上流に向かってまもなく白沢川の流れにつきあたります。
用水路に覆いかぶさる金網もそこで途切れています。実は用水路は白沢川の下をトンネルで
通っているのです。これを伏越と言います。

八ヶ村用水取水口20120826-15


除草車が通った跡はとても心地よい道になっています。足を進めるたびにバッタが飛び散り、
ハグロトンボやコミスジが目の前を右に左に行き交います。

八ヶ村用水取水口20120826-6

木々の間から愛知霊園が見えました。
そして見えませんが、実際にはこのブッシュの中を用水路が流れています。

八ヶ村用水取水口20120826-7

除草車はここでUターンしたようです。
そしてここが私の目的地でもあります。

八ヶ村用水取水口20120826-8

暑い中でしたが、バッタやチョウ、トンボと戯れながら、いつしか龍泉寺さんの近くまで
来ていました。Googleの地図でも用水路の青い線はここまでになっています。

八ヶ村用水取水口2

ここから少し雑草をかきわけて庄内川に出ると堰堤があります。
子供たちが水遊びをしていました。深いところでも子供の背丈くらいのようです。
透明度もあって、ひところより随分きれいになっています。
子供たちは対岸に自転車が見えましたので、春日井の子たちのようです。
むかし、庄内川の水遊び場をめぐって、春日井の子と吉根の子が石合戦や取っ組み合いをした
風景が見えるようです。

八ヶ村用水取水口20120826-9

ふと、右手の草むらに目をやると、取水ハンドルの付いた取水口が見えました。
堰堤で水をせき止めて、水かさを上げ、十分な水量を確保します。
そして用水路は庄内川よりも緩やかな勾配で流し、樋管のところでは堤防下を抜けるだけの
高さを確保できるように計算されています。
いまなら、お金に糸目をつけなければ、ポンプで水を汲みあげれば簡単なことですが、
そんな物のなかった時代ですから、こうした先人の知恵で用水を引いたのです。

八ヶ村用水取水口20120826-10

Googleの上空からの写真です。
用水路はわかりにくいのですが、右下の樹林帯の中を影のように伸びています。
堰堤に見える扇形をした構造物は魚道、つまり川魚が川をさかのぼるための道です。

八ヶ村用水取水口20120826-14

クズの花が咲き始めていました。屑ではなくて葛ですね。
くず餅の原料はほとんどが小麦粉ですが、葛餅と書くときにはこのクズを使っているのでしょう。

八ヶ村用水取水口20120826-11

私の背丈よりも高く咲いていました。

八ヶ村用水取水口20120826-12

セセリチョウとは言いえて妙な、せわしない蝶々です。

八ヶ村用水取水口20120826-13

夏の日中なら危なくはありませんが、それでも子供だけでは行かない方がよいです。
大人の方も、バイクがダートコースと勘違いして走り回りますし、野良犬もいるかも知れません。
十分にご注意をお願いします。
[ 2012/08/26 23:37 ] 用水路 | TB(0) | コメント(4)

志段味納涼夏まつり

昨夜は志段味納涼夏まつりがありました。
名古屋市消防音楽隊の演奏の時に会場入りしました。
露店あり、浴衣姿の女性あり、夏まつりの雰囲気はよいものです。
音楽隊の演奏後は盆踊りとなりました。ご年配の女性たちを中心に、老いも若きも
男性も女性も多くの輪ができました。

20120825-1.jpg

20120825-2.jpg

20120825-3.jpg

盆踊りのあとは抽選会をはさんで花火大会です。
守山区では花火大会はここだけでしょうか?
花火は「手筒花火」の参加がありました。正確には手筒ヨウカンなのですが、火の粉がわらわらと
降る中で耐える勇壮な花火です。
打上はスターマインが中心でした。これだけ至近距離で観覧するとスターマインも迫力あります。

20120825204006-1.jpg

20120825204328-4.jpg

20120825204328-7.jpg

20120825204328-11.jpg

20120825204328-13.jpg

20120825204328-17.jpg

この日の風向きは南の風で、盆踊りのあったメイン広場で観覧の人に向かって花火の煙が流れていました。
私は偶然打ち上げ場所の南側の駐車場にいましたので、煙に邪魔されることなく撮影ができました。

[ 2012/08/26 17:36 ] お祭り | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水記念碑

余慶橋の交差点を、白沢川に沿って、庄内川の方向に200mほど歩くと、道はやがて
庄内川の堤防道路に突きあたり、左にとれば堤防道路を松河橋の方向に向かい、
右にとれば白沢川を渡って愛知霊園へと道が続きます。

その堤防道路との突きあたりの脇に「八ヶ村用水導水路竣工記念碑」が立っています。
下の地図で赤マルのところです。

八ヶ村用水

八ヶ村用水20120826-1


裏面にこの記念碑の由来が書かれています。
---------------------------------
八ヶ村用水導水路は昭和二十五年八月庄内川
大出水のため殆んど壊滅に等しい被害を受け
た。時に関係者一同善後策研究の結果国費の
補助を得て恒久的復旧工事の実施を決意し八
ヶ村治水水利期成同盟会を結成市の委託工事
として翌二十六年三月着工した。尓来関係当
局及び地元民必死の努力により幾多の難関を
超え昭和二十九年九月竣工した。この間丹羽
兵助会長の絶大なる尽力の結果県直営の巨費
を投じ床止堰堤復旧工事の完成を見両者相俟
って用水取入の完璧を期することを得地元民
多年の宿望と幸福を達成したのである。
昭和三十五年三月建之
-----------------------------------

八ヶ村用水20120813-2



はるか上流より、庄内川を分流させ、最後にこの水門に導いています。

八ヶ村用水20120813-3



導かれた水は庄内川の堤防の下を抜け、ここで向きをかえて庄内川と並行して流れます。

八ヶ村用水20120813-4

解説:守山郷土史研究会会誌「もりやま」第5号より
八ヶ村用水は昭和25年の水害のため大きな被害を受けた後、昭和29年に初めて恒久的な堰堤、導水路が
建設された。その記念碑である。八ヶ村とは川村、大森垣外、牛牧、大永寺、金屋坊、守山、瀬古、
幸心をいう。八ヶ村用水のはじまりは分からないが、八ヶ村用水と一体ともいうべき「御用水」は
寛文3(1663)年創設といわれている。「御用水」とは庄内川の水を名古屋城内まで導いた、
名古屋最古の上水道といわれているものである。
天保12年の川村村絵図を参照すると、左図の如く、御用水の杁の上流に六ヶ村用水の杁が見える。
御定井(ごじょうい)とは「川通りに石を並べ、杭木を打、せき留、みずかさを持せ、用水をかけ候」
施設である。(戦後まで30センチ大の玉石が高く積まれた、定井と思われる跡が残っていたとも聞いた。)
明治9年、御用水廃止に伴って、六ヶ村用水と御用水の水源を合口し、入樋位置を川村川脇に改めた。
これにより文字通り八ヶ村用水となったわけである。杁樋の場所はその後も何度か替えられたようだ。
今よりはるかに川底の高かった庄内川は絶えず洪水をひきおこし、土俵と杭木で苦労して築いた堰が、
その晩一夜で流されてしまうことも珍しいことではなかった。
堰堤が流されるとその度に、川村の土木委員は自転車で飛び回って八ヶ村から人出を集めねばならなかった。
早春まだ冷たい川の水に、首までつかって杭木を打ち込む仕事は決して楽なことではない。
(江戸時代の「徇行記」にも、「川村定井破損ノ時手伝人足出ス」と八つの村の記事にある)
碑文「地元民多年の宿望と幸福を達成した」とは八ヶ村の人々の、そのままの気持ちであったろう。
八ヶ村用水灌漑面積 約二十町歩余(昭和60)


八ヶ村用水村絵図

↑ 村絵図:この中での着色と、かっこ書きの文字入れは私が行いました。
[ 2012/08/23 21:50 ] 石碑 | TB(0) | コメント(0)

大元帥陛下御統監之跡

時代がまだ昭和だったころのお話です。それも戦争前の昭和2年11月。
即位されて間もない昭和天皇は、守山区大字川字東山の高台から陸軍の大演習を
統監されました。

場所は小幡緑地本園の北西、現在の喫茶ライトさんのところから住宅街に入り、
高台に着きあたるところです。

昭和天皇統監碑1


車のすれ違いも難しいような坂道の着きあたりに森が見えます。

昭和天皇統監碑2


坂道はこの石垣のところで頂上となり、ゆるくカーブを描きながら急な下り坂となって離れます。
この石垣に階段と手すりがあり、遠くから見えた森へと続いています。
今回ご紹介の「大元帥陛下御統監之跡」の石碑はもう道路から見えています。

昭和天皇統監碑3


石碑は演習地小幡ヶ原の方向を向いて、正面に「大元帥陛下御統監之跡」と書かれています。

昭和天皇統監碑4


まるでどこかの古代遺跡の柱状列石と心柱のような配列です。

昭和天皇統監碑5


裏側にこの石碑の由緒が書かれています。

昭和天皇統監碑51


昭和天皇が立たれたであろう御座所より小幡ヶ原方面を見ます。
下の写真の中央に、金城学院のトンガリ帽子がかろうじて写っています。
現在ではご覧の通り、たぶん何も見えませんが、昭和2年当時は民家や公共物はほとんどなく、
大演習は見えたのでしょう。

昭和天皇統監碑6


この一角は名古屋市の市有地として管理、保護されています。
傍らに(昭和)天皇傘寿記念樹の記念碑がありました。
左後ろに写っている松の木がそれでしょうか?
他にも「日本初ライフル銃弾遊泳射撃跡」、「西三河東山道路組合」の木柱が現認されました。
これは機会があれば別項でご報告します。

昭和天皇統監碑7


再び道路に降り立って、来た道を見ると、急な坂道らしく道路にはスリップ防止の加工が
見られ、道路はまっすぐに伸びていました。

昭和天皇統監碑8

石碑には次の通り刻まれています。
昭和二年十一月 大元帥陛下親シク陸軍特別大演習ヲ尾三ノ野ニ統ヘサセラレ十七日畏クモ
御馬ヲ吾カ守山町ニ進メ 大纛ヲ
此ノ地ニ樹テサセ給フ此ノ時豫備陸軍歩兵中尉小島克實ヲ召シテ長久手役ノ講演ヲ聴シ召サル
高松宮宣仁親王 久邇宮
邦彦王 東久邇宮稔彦王等陪従セラル是ノ日ヤ天睛レ氣淸ク濃尾ノ山川ハ爭フテ秀ヲ
御馬前ニ呈ス仰ケハ幾十ノ飛機ハ髙
碧空ニ羽翔シ俯セハ幾萬ノ貔貅ハ庄内川ヲ挟ンテ相搏チ天地為メニ震撼ス洵ニ空前ノ
盛事タリ 當時町民ハ颯爽タル英姿ヲ咫尺ニ拝シ奉リ齊シク感激措ク能ハス相謀リテ其ノ
栄ヲ石ニ勒シ後昆ニ傳フト云爾
 昭和三年九月六日 愛知縣知事正四位勲三等小幡豊治謹撰

守山郷土史研究会会誌「もりやま」第5号より解説引用
天皇統監の下に行われた陸軍の大演習は特別大演習と呼ばれ、昭和11年までに34回行われた。
本碑は昭和2年秋季大演習の際設けられた御野立所(野外統監部)に立つ碑である。
標高は66メートルの地。大演習の前後にその地方の天皇巡幸が行われるのが常であったので
該当の県市町村にとっては大事業であった。
演習参加の師団は第一、第三、第四の3個師団である。
その演習3日目11月17日の天皇の日程は次の通り。
「午前7.30大本営御出門(自動車)、途中瀬戸街道で守山尋高、龍泉寺街道では大森、
志段味東・西尋小の児童ら奉仰の熱意を受けさせられつつ、龍泉寺南方高地の下にて下車
それより徒歩にて丘の上の御野立所に御着
、演習の戦況を御覧あらせられ
午前10.00を御降り遊ばれた。」
龍泉寺街道が小幡駅前へ直接通ずる道へとかえられたのはこの大演習に備えてのことだった
北田用水は、そのため龍泉寺街道を伏越で渡るようになった。
[ 2012/08/18 23:55 ] 石碑 | TB(0) | コメント(0)

「移転記念」碑(松坂町)

移転記念1

移転記念2

松坂町の御嶽神社神域内に立てられている「移転記念」碑を調べました。
これは当地の御嶽講の霊神碑が建てられていた場所を、区画整理の時にこの場所に移転したのを
記念して建てられた石碑です。

表面にはびっしりと当時の教正さま方々のお名前が彫られています。
由緒は背面に書かれていましたので書き写します。

當山は西方高台絶景の地に鎮座有としも此度
区画整理施行の為当所に移転せしものなり
尚表記連名の氏名は当時誕生講教師なり
協力者
大森 旭大久手 松河戸 安井
味鋺 上飯田 船附町 川村各講中
名古屋市守山区川氏子一同
山下中部土地区画整理組合
大字川講中
昭和四十二年四月建之
誕生講


と言うことで、区画整理以前は現在の場所よりも西にあったこと、講の名称が「誕生講」で
あったことが読み取れます。
誕生講とは御嶽さんの講の一つで、御嶽開山の祖 覚明霊神の誕生地とされる春日井市
牛山町で立講され、その一つが現在も白沢町にあります。
参考
郷土誌かすがい 第49号
[ 2012/08/17 17:41 ] 石碑 | TB(0) | コメント(0)

餘慶之碑(よけいのひ)

松坂町御岳20120815-6

松坂町の御嶽神社さんに立っている「餘慶之碑」をご紹介します。
石碑の裏側に次の通り刻まれていました。

安藤忠三郎氏ハ守山町川ノ人嘉永五年八月ノ産長シテ御用係戸長等ノ公職ヲ務メ
テ令名アリキ明治九年戸長梅村伊三郎氏ノ後援ニヨリテ官有地畧六十町歩ノ拂下
ヲ受ケ郷黨享福ノ資ニ供セシガ明治丗年誤ツテ公有林ニ編入サレ町村管理トナル
ヤ川村民ハ特權ヲ喪ヘリ明治丗七年十一月同氏死去以来ナス所ナカリシガ大正六
年ニ至リ谷口貞治同正治岡田伊三郎ヲ委員トシ安藤源治郎安藤房輔三浦金三郎安
藤亀三郎谷口吉治郎ヲ顧問トシ商量奔走遂ニ七年五月名義変更許サレテ復タ志ヲ
貫澈スル事トナル茲ニ於テ諸氏ハ忠三郎氏當年ノ遺圖ヲ継承シ東山共有土地定欵
ヲ作リテ川百丗戸ノ為メ永遠繁栄ノ基礎ヲ立タリ川村民ヨク其定欵ヲ墨守シ勤勉
努力自彊息ムナクシバ時流ニ超越シ長ヘニ幸福ヲ享受セシ吾輩諸氏ト相識ル故ニ
後卋諸氏ノ子孫ガ餘慶ニ忸レテ報恩ノ勤行ナク遺圖ニ飽キテ感謝ノ勤業ナキノ獘
ニ陥ルフナキヲ切ニ希フテ茲處ニ共有地ノ由来ヲ記スフトセリ矣
大正九年十月愛知縣立農林學校長正五位勲四等山﨑延吉撰書

もしかしたら、拾い間違いがあるかもしれませんので、
お気づきになられましたらご教示をお願いします。

この碑文の解説を守山郷土史研究会会報「もりやま」第5号より転載させていただきます。
問題となっている「官有地六十町歩」とは川村の東山甲、乙にまたがる山林のことである。
東山甲は現在緑地公園内、東はゴルフ場に接する(人文字塔が立つ)山、東山乙は住宅地に
変わったが、西へ張り出した先端の山を余慶山といい、戦前白沢遊園地として賑わったところ。
麓に白沢池があった。


この記事のタイトル「餘慶之碑」ですが、餘慶すなわち新字体で「余慶」は
次のように説明されています。

なごや史跡探訪守山の旧街道と水屋めぐり
村人のためにつくした人の功績を称えて建てられた碑で、易経、坤文言伝にある
積善之必有余慶にのっとり命名されたという。


名古屋市:史跡・伝統的風習(守山区)
余(餘)慶とは、先祖の善行の積み重ねのお蔭で子孫が幸福になれることを意味しているという。
出典:易経「積善之家必有余慶」


川嶋(かわしま)神社
創祀の地は通称余慶山と呼ばれ、今も飛地の社地が残る。牛離レ松遺跡、
川東山古墳郡が存在する丘陵地である。


また、白沢川にかかる橋「余慶橋」もこの故事にならって命名されたものと思います。
[ 2012/08/17 15:06 ] 石碑 | TB(0) | コメント(0)

御獄神社(松坂町)

ゆとりーとラインと東名阪(名2環)が交差する近くに、ひっそりと御獄神社があります。
おもて道路からは引っ込んだ位置にあるのと、そちらには特別な用事でもない限り
お店にしても、公共的な施設もないので、行く人がありませんから、まず知っている人は
少ないかと思います。

松坂町御岳20120815-1


入口にはそこそこの石柱が建っていますが、境内に相当するご神域は草ぼうぼうの状態です。
わが家もこの季節は雑草ジャングルになりがちなので、人様のことをとやかくは言えませんが、
信仰対象としては、いわゆる荒廃した状態かと思います。

松坂町御岳20120815-2


「手水所」と彫られていますが水はありませんし、だいいち給水設備がありません。

松坂町御岳20120815-3

松坂町御岳20120815-4

松坂町御岳20120815-5


祠は壊れかけていたり、傾いていたりと相当危ない状態です。
その二つの祠の間に「餘慶之碑」(よけいのひ)が立っていました。
詳しいことは背面の銘文を読み解いて、後日アップさせていただきます。

松坂町御岳20120815-6


こちらが御獄神社の御獄さんたるところです。
中央のひと際大きな石碑には「當山開祖覺山霊神」と彫られています。
當山は現代漢字では当山つまり、このお山=御獄さんの開祖(開いた人)である覺山霊神
現代漢字では覚山霊神さんの石碑です。
御獄さんでは修行をつんだ偉い行者さんに「霊神」という号を授けます。
この石碑を「霊神碑」と言います。その行者さんが生前に自分でを建てたり、
お墓のように死後残された人が建てたりします。
霊神号の一文字に「覺」という漢字が入った霊神碑ばかりありますね。
これはこの地方のもっとも古くて偉い行者さんの「覺明霊神」さんにあやかっています。

松坂町御岳20120815-7


こちらは少し小さな霊神碑ですが、ようく見ると摩利支天と書かれた石碑もあります。
もともと松坂町のあちらこちらの辻(交差点)や祠にあった石碑や神像、仏像をこちらに
移転して、まとめてお祀りしているのでしょう。

松坂町御岳20120815-8
[ 2012/08/15 23:09 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

吐水口(白山神社西城)

白山神社西城20120813

白山神社(西城)さんの吐水龍さんです。
最近では、ブログの取材で初めて参詣する神社さんで、吐水龍を見つけると
お宝発見!ってかんじで嬉しくなってしまいます。

この吐水龍さんをよーく見ると、なんか感じがヘンですよね。
そうなんです、頭のてっぺんの角が2本とも根元から無いんです。
わずかに根元の痕跡がありますが、かわいそうですね。

手持ちの撮影でしたが、龍さんの目玉にピントを合わせました。
水面に同心円の波紋が表現できたのも自分的には良かったかな。
[ 2012/08/15 10:25 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)

白山神社(西城)

守山区にはいくつかの白山神社があります。
今日ご紹介するのは西城の白山神社さんです。
場所は高島町交差点を南へ300mほど行った西側になります。

白山神社20120813-1


広い市道に面して鳥居が建っているのですぐにわかります。
鳥居の右側に「白山神社」と刻まれた石柱が立っています。
まわりには大きなマンションが建ち、すっかり都会の中の神社になってしまいました。

白山神社20120813-2


鳥居をくぐると右側に「手水舎」があります。
龍の形をした吐水口から水がちょろちょろと出ています。参詣をする人はここで手を洗い、
口をすすいで身を清めます。

白山神社20120813-3


あたりいちめんに玉砂利が敷きつめられています。
こうすることで雑草が生えにくくなりますし、土ぼこりもたちません。

白山神社20120813-4


正殿の正面に「白山神社」と書かれた立派な木額があります。

白山神社20120813-5


この神社のことが書かれた石碑がありました。

白山神社20120813-6

由緒書きに、大正8年に神明社を合祀し、ついで昭和59年に津島社、八幡社、稲荷社を合祀と
書かれています。神社のまわりをぐるっと歩きますと、山の神さま、御岳さん、お不動さんなど
多くの土地神様の祠がありました。
これらについては、またあらためてご紹介しましょう。
[ 2012/08/14 19:38 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

天王社

龍泉寺街道(志段味街道)こと愛知県道・岐阜県道15号名古屋多治見線の、
下志段味の交差点にタマホームさんがあり、その近くに小さな祠があります。
下の地図で赤く塗りつぶしたところの一角です。

天王社20120722-1


祠の名前を「天王社」さんと言います。
天王社さんは尾張地方のほとんどの村々に昔からある神社のひとつで、
愛知県津島市にある津島神社の末社となっています。

天王社20120722-2

天王社さんは、牛頭天王という神さまをおまつりしています。
天王祭というお祭りがありますが、その天王さんがそうです。
今はもうしていませんが、昔の「おまんとう(馬の塔)」も天王祭の行事でした。

天王社20120722-3

天王祭は夏に行われ、その時には注連縄(しめなわ)が新しくはりかえられます。
シマの代表の人は津島神社まで行って新しいお札を頂いてきます。
それが本来の行事だったのでしょうね。
天王さんは尾張の村々では、疫病を防いでくれたり、害虫からイネを守ってくれる神様でした。

天王社20120722-4

下志段味の人たちは、二つか三つのシマで一つの天王社さんを御まつりしていました。
この写真の天王社さんは、池段寺、島の口、風越の地区の人たちで御まつりしています。
碑文によれば、区画整理のために昔からの場所から、現在の場所に移転されたそうです。

天王社20120722-5
[ 2012/08/12 22:14 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

8月11日(土)

勤務先は8/11(土)より8/19(日)まで夏休みとなりました。

8/11(土)は朝食後2時間くらい、庭の草取りをしました。
この季節は抜いても抜いてもキリがありません。

家族の買い物の運転手をこなし、昼から花火大会に行きました。
行き先は岐阜県加茂郡川辺町です。
ここは打ち上げ花火の最大号数は3号玉ですし、打ち上げ数も3000発と少ないのですが、
特筆すべく特長として、スターマインがすばらしく豪華です。

飛騨川に3艘の打ち上げ台船を配して、観客からはかなりの至近距離で打ち上げられます。
例えて言うなら、花火の破片がわらわらと上から降ってくる、そんなイメージです。
そして川を利用して、ボートが移動しながら、水中スターマインを次から次へと
川へ放り投げてゆく。その完全に規則的でも無い水中スターマインの炸裂も
意表をつかれて楽しめました。

似たような水中スターマインは熊野、桑名、内海でも見られますが、
これは何度見ても飽きません。

この日は雨が降る予報が出ていまして、場所とりのブルーシートを敷いて車に戻ったら
けっこう激しく振ってきました。しかし打ち上げ時間には雨が上がる予報も
キャッチしていましたので、時間まで本屋さんでまったりと過ごしておりました。
自宅の雨水タンクはこのところの晴天で水位がいくぶん下がっていましたが、
この雨で満水にまで回復しました。
[ 2012/08/12 12:43 ] 日記 | TB(0) | コメント(0)

ヒル池

先日ご紹介した、守山土木さんの「守山土木だより」には次のように書かれていました。

しだみ道を小幡緑地の少し手前で左に折れますと、御膳洞の区画整理の中を抜けて、
ヒル池へ出ます。ここは、マメナシという珍しい木がたくさんあるところで、今はきれいに
整備されています。4月も後半になりますと、桜に似た白い花が満開となります。


しだみ道の散策のついでに、守山土木さんお薦めの「ヒル池」に立ち寄ることにしました。
いきなり行っても、この「しだみ道を小幡緑地の少し手前で左に折れます」がわかりませんでした。
遠目に池を中心にした緑地が見えますので、それで見当を付けてそれらしい方向に向かうことに
します。

googlemap.jpg


ぱっと見にはやや淀み気味の、何と言うことのない普通の池です。水面は周囲よりも随分下でした。

ヒル池20120729-1


池の堤防道路を散策しました。
夏の暑い盛りにも直射日光を遮ってくれるコナラ、クヌギの道が続いています。

ヒル池20120729-2


葉蔭から見える水面も心地よいものです。

ヒル池20120729-3


池に接して大森八剣神社さんの所有地がありました。

ヒル池20120729-4


この池はマメナシで有名です。
ちょっと葉が傷んでいますが、実はたくさんありました。

ヒル池20120729-5


池の奥の方は湿地になっています。
アライグマ捕獲用のワナが入っているようです。

ヒル池20120729-6


自動撮影カメラ設置中の看板。でも、今は稼働していないかも・・・

ヒル池20120729-7

春のマメナシの開花シーズンはきっときれいだと思います。
今の季節は雑草が生い茂って、スズメバチも危ないし、ヘビにも会いたくないし。
子供だけでは奥まで入らないようにしてくださいね。
[ 2012/08/07 23:11 ] 公園 | TB(0) | コメント(0)

しだみ道 なごや道

先人の記述から、「しだみ道」は名鉄瀬戸線の「霞ヶ丘駅跡」横を通る道であることを
前回書きました。その「しだみ道」を名鉄の踏切から2~300mも北上すると、左から(南西から)
随分鋭角に合流してくるごく狭い道があります。
下の地図で大森アイリス弐番館の手前で合流する青い道です。

google霞ヶ丘-1


この青い道は明治時代の古地図にも載っている道です。
「しだみ道」に対して何か名前のある古道なのかわかりませんが、青い道をたどってゆくと、
大森の法輪寺さんに向かっています。もしかしたら、裏参道のような位置づけだったのかも
知れませんね。
下の地図は1948年の米軍航空写真です。緑色は瀬戸街道の旧道です。

米軍地図19480727-1


この青く塗った道を歩いてみました。下の写真が、その合流地点です。随分不自然な接続ですね。
自動車のすれ違いもままならない狭い道です。

赤青合流点


現在では「表道路」ができてしまい、完全に生活道路となっています。

赤青合流点0


名鉄瀬戸線に向かって坂道になっています。

赤青合流点1


現在の道は瀬戸線で突きあたり、線路と平行に向きを変えています。

赤青合流点2


でも線路の向う側に再び続く道が見えました。昔は瀬戸線の線路があっても、「道」として
往来があったのでしょう。

赤青合流点3

もしもこの道が、法輪寺さんへの参道であるならば、線路から北の霞ヶ丘、大森北あたりには
檀家さんが多くいらっしゃったことでしょう。
また「しだみ道」は大森から志段味に抜ける道ですが、志段味の人たちはこの道を「しだみ道」とは
言わないで「なごや道」と呼んでいました。
「なごや」を行き先と考えると、この青い道の方が多少とも近道になりますので、
もしかしたら「しだみ道」と「なごや道」は、その大部分は同じだったにしても、
実は微妙に発着が異なっていたのかも知れませんね。
[ 2012/08/07 00:19 ] 古道 | TB(0) | コメント(0)

大森天王祭

大森地区に伝わる天王祭がありました。
朝からの部は庭で草取りをしていましたので、午後16時半からの部に合わせて出撃しました。
山車と梶方、囃子方ら関係の方々は時間までこの路地で休憩です。

大森天王祭20120805-1


なにしろ暑い暑い、厳しい暑さでした。
スポーツ飲料やスイカがふるまわれました。

大森天王祭20120805-2


山車の中の方々はず~っと雅楽を演奏されていましたので、大変だったと思います。
外から女性にパタパタされていました。

大森天王祭20120805-3


からくり人形は壊れたと聞いていましたが、きっちりと開催日に合わせて修繕されました。

大森天王祭20120805-4


風はそよそよと吹いておりました。が、どちらかといえば熱風に近かったかな。

大森天王祭20120805-5


定刻に露地から瀬戸街道に出ました。
子供たちも一緒に曳かせてもらいました。

大森天王祭20120805-6


地元のグリーンシティケーブルテレビさんかな?
暑い中、ありがとうございました。

大森天王祭20120805-7


よく見ると、山車の中のいろんなところからオジさんが顔を出していました。
電線などが低い位置にあると棒で持ち上げたり、逆に笠を低くしたりする地区の山車もあります。

大森天王祭20120805-8
[ 2012/08/05 22:20 ] お祭り | TB(0) | コメント(0)

岡崎の花火

三好の打上花火に集中していたら、家内が「もう一ヶ所見える!」と言いだしました。
なるほど、三好の右(西)の方に豪華な大輪が見えます。
方角からすれば岡崎です。
距離は32.3kmもありますが、三好に比べて大玉なので逆に大きく見える場合もありました。

岡崎20120804-1



一昨年は矢作川の現地に行き堪能したあの打上花火です。
まさか守山区方面から見えるとは思わなかったので驚きました。

岡崎20120804-2



少しズームを引いて、三好と岡崎を同じフレームに入れてみました。
真ん中のマンションの人は絶好のポジションで、打上花火を楽しめますね。

岡崎20120804-3
[ 2012/08/05 00:16 ] 花火 | TB(0) | コメント(0)

三好の花火

釜ヶ洞公園で長良川の花火が見えることを確認できたので、すぐさま撤収し、
次の花火に移動しました。

場所は尾張旭の印場北にある、東名高速道路にかかる橋の上です。
正確には尾張旭市なのですが、まぁ大目に見て下さい(笑)
2地点間の距離はおよそ17.8km、長良川よりはずっと近いですね。
三好池まつり花火20120804-1


どこかのマンションの上にかろうじて見えました。
三好の花火は合計1200発で、長良川に比べたら全国レベル対ローカルレベルです。
打上方もポツっ、ポツっと派手さはありませんが、そのまったり感もたまりません。

三好池まつり花火20120804-2


どこかのアピタが写っています。

三好池まつり花火20120804-3
[ 2012/08/05 00:00 ] 花火 | TB(0) | コメント(0)

長良川の花火

今年も打上花火の季節となりました。
守山区には高台が多いので、いろいろな地区の打上花火が望見できます。

本日は第56回全国選抜長良川中日花火大会に挑戦しました。
場所は釜が洞公園の展望台です。

長良川の花火は岐阜金華山西側の河川敷で行われます。
距離は約31kmあります。
長良川20120804


最初は見えているのか見えないのかわからず、カメラを三脚の上であっち向けたりこっち向けたりの
繰り返しでした。そのうちに家内が見つけてくれました。
下の写真には、花火の右に金華山の稜線がぼんやりと写っています。
長良川20120804-1


ここの花火は最大でも4号玉で、たいして大きくはないのですが、約3万発と言われる玉数の多さが
特徴です。また観客の数もハンパなく、30万人の観客数とも言われています。
長良川20120804-2

撮影はSONY α77+SIGMA APO DG70-300mm です。
[ 2012/08/04 22:59 ] 花火 | TB(0) | コメント(0)

8月4日

午前中は芝刈り、草取り、樹木の剪定など庭仕事。
あまりの暑さに軽度の熱中症で一度ダウン。それでも庭の1/3ほどしかできなかった。
途中西友松河戸店へ買物アッシー。

昼食に出るついでに名古屋古書会館の即売会に行く。
今回の購入品は次の通り。
・日本の民俗23 愛知
・教師の語る 名古屋の歴史
・名東区制二十周年記念誌
・春日井市制五十周年記念 庄内川
次の即売会は8/31(金)~9/2(日)特集は「乗りもの」、瀬戸電関係を探そう。

帰宅後、御施餓鬼に名東区月心寺まで行く。
法要後、星ヶ丘三越に行き、晩ごはんのお弁当を買う。

晩ごはんを早めにしてもらい、カメラと望遠ズームを持っていそいそと出発。
釜が洞公園から長良川の打上花火を撮影。
ついで大森の高台から、三好と岡崎の打上花火も撮影。
[ 2012/08/04 17:55 ] 日記 | TB(0) | コメント(0)

しだみ道探検-1-

先日ご紹介した守山土木事務所さんの「守山土木だより」では、しだみ道のことを文字説明と、
古い絵図で説明されていたので、いまひとつピンとこなかったかも知れませんね。
ましてや今日では、守山土木だよりから更に15年が経過しておりますからなおさらです。

では今はどうなっているんだろうかと、探検に出かけました。

絵図は雰囲気は伝わりますが、現実との対比は困難なので、私の手持ちの古地図を用意しました。
明治24年ころのものです。わかりやすくするために、例によって赤い線を引いておきました。
大森側の起点は瀬戸街道で、少し北上して名鉄瀬戸線を横切っています。

明治24年測図水野村2万分の1-1

同じような縮尺でGoogle mapを切り出して、しだみ道を赤くしました。
区画整理されていますので、道は微妙にズレていますが、かなり雰囲気は残っていますね。

google霞ヶ丘


守山土木だよりには、次のように書かれています。

大森5丁目に入ったら少し注意。古本屋「共栄書店」さんを北へ曲がります。
ここからが、昔「しだみ道」と呼ばれていた道で、大森から志段味へ抜けるための道だったのです。


現在では、市バス「八剣」バス停を過ぎて、学習塾のある角が「しだみ道」の大森側の起点となっています。

20120729-101.jpg


静かな住宅街の中を進みますと、道はやがて踏切に出ます。名鉄瀬戸線です。
瀬戸線はいまだに瀬戸電の愛称で呼ばれるローカル鉄道です。かっては赤い車体でしたが、
最近ではこの新型車両ばかり目につきます。
電車と柵との間に草ぼうぼうの敷地が線路に沿って続いていますね。
これがかっての霞ヶ丘駅の名残りです。

20120729-102.jpg


ホームの西の端がこの踏切で、東の端はアパートの長さほどあります。
コンクリートの擁壁で線路よりも高く作ってあります。昔はホームには砂利でも敷いてあったのでしょうか?

20120729-103.jpg


踏切を通り過ぎてから振り返ってみました。
道はすでになだらかな勾配になっています。この踏切はとても狭いので、普通自動車の対面通行はできません。

20120729-104.jpg


道はさらに勾配をつけて続きます。30kmの速度制限の標識があります。
道のほとんどのところは狭く、自動車のすれ違いは困難です。

20120729-105.jpg


かたわらに農地というほどではありませんが、野菜畑がありました。
「大事な一本の米ナスです。取っていかないでください。」と手書きの看板。
おそらく過去にイヤな思いをされた所有者の心の叫びなのでしょう。

20120729-106.jpg


続きます
[ 2012/08/03 23:41 ] 古道 | TB(0) | コメント(0)

ヒオウギの花

わが家にはどこから運ばれてきたのか、ヒオウギが咲いています。
先日の撮影時より花の数が増えていたので、今度は三脚を持ち出して、ピント合わせをカリカリに
追い込んで、手ぶれも心配ないようにしてみました。

こちらはSONY α77+DT16-50mm F2.8SSMで、1/800秒、F2.8、+1.0EV、ISO100です。
20120801-11.jpg


こちらはお遊びです。レンズをPENTAX67用135mm MACROで、1/1600秒、F4.0、+0.7EV、ISO100です。
撮影角度がまったく同一ではありませんでしたが、ボケ味に少し違いが出ました。
DT16-50mm から交換してこだわるほどのことはないかなと再確認でした。
20120801-22.jpg
[ 2012/08/01 22:11 ] | TB(0) | コメント(0)

新東谷橋

20120801-1.jpg

20120801-2.jpg

へなちょこカメラおじさんをしていると、風景写真を撮影していて、空が青く高い時、
山の稜線がクッキリ描けた時、水面がキラキラ輝いた時、そんな時に充実感を感じます。
何をどうしたらそのように表現できるのか知らないけど、最近感じたことはカメラの
AFはあてにならないこと。

標準ズームなら数十メートルから先は全部無限遠だと思っていたらトンデモでした。
ピント合わせだけなら理屈抜きで時間をかけるだけなので、相手が動かない被写体の時には
できるだけ合わせるようにしようと思います。
[ 2012/08/01 21:31 ] | TB(0) | コメント(0)

吉根橋からの夜景

吉根橋20120801-1

吉根橋20120801-2

吉根橋からの夕景も好きなひとつです。
ちょうど庄内川の下流に日が沈むので、幻想的な絵になります。

SONYのα77で、シーンセレクショから「手持ち夜景」を選ぶと、カメラは高速連写をして、
撮影した画像を合成して一枚の絵を作りだします。
今まで気にもしなかったのですが、撮影データをふと見ていたら、ISO6400で連写しているんですね。
どうりでSS1/80で切れるはずですよ。
合成された画像はjpgで保存されることも初めて知りました。
これは安易には使えない手法かと思いました。
[ 2012/08/01 20:50 ] | TB(0) | コメント(0)

吐水口(南原・諏訪神社)

志段味には諏訪神社さんが二社あって、そのうちの南原の諏訪神社さんです。
この龍さんも古そうです。
清めの水は井戸水でしょうか?
龍さんの口の周りに赤さびが付いています。

諏訪神社1

撮影の角度が悪かったのか、下の写真はハッキリと目が写っていますが、
上の写真は天晴を欠いてしまったようです。

諏訪神社2
[ 2012/08/01 19:00 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)
FC2カウンター
わが町 守山区
プロフィール

加藤

Author:加藤
守山区在住の歴史、自然、イベントファンです。
散策仲間を常時募集しています。
ご連絡は右側のメールフォームよりお願いします。
記事に対するご意見、ご感想は各記事の最下行にあるコメントを押してください。

最新トラックバック


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。