わが町 守山区 TOP  >  2012年07月にほんブログ村 人気ブログランキング

本日の草花

人間にとっては酷暑が続きますが、元気いっぱいに生きる草花を撮りました。
断りのないものは、SONY α77+DT2.8/16-50 SSM使用。

20120729-1.jpg
↑ わが家の庭に鳥が運んできた?ヒオウギの仲間でしょうか?


20120729-2.jpg
↑ わが家のトマトです。今年は豊作、当たり年です。


20120729-3.jpg
↑ うつむいて咲くアブチロン。この写真だけα77+MC50mm f=1.4で撮影しました。


20120729-4.jpg
↑ しだみ道の探検中に、小幡緑地公園東園で撮影したムクゲ。


20120729-5.jpg
↑ 同じく、しだみ道に面した大きなお屋敷から顔を出していたバナナでしょうか?
東谷山フルーツパークかと錯覚ものですね!


20120729-6.jpg
↑ 名鉄瀬戸線の線路わきの民家に咲いていたクレマチス。


20120729-7.jpg
↑ 共同の駐車場で咲いていたナンタナ。
スポンサーサイト
[ 2012/07/29 21:38 ] | TB(0) | コメント(0)

吐水口(八剣神社)

名鉄瀬戸線「大森金城学院前」駅のすぐ近くにある、八剣神社さんの龍くんです。
これは実にイイです。威風堂々としています。
柄杓も整然と並べられ、まさに清めの水に洗われる思いですね。

八剣神社1

八剣神社2
[ 2012/07/29 20:29 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)

しだみ道(守山土木だより)

今回の「しだみ道」は、守山土木だよりNo.2(平成9年12月1日)よりご紹介します。

守山区を歩いてみませんか
守山区知る区ロードNo.2


今回は、大森と小幡を歩くコースです。
スタートは、名鉄瀬戸線の大森金城学院前駅としました。まず、瀬戸街道へ出て、東へ
進みます。ここの街路樹はヒトツパタゴ。というよりもナンジャモンジャと言ったほうが、
よくご存知かもしれませんね。この木は、愛知、岐阜のほかに対馬だけに自生する珍しい
木です。また、この変わった名前は、昔、明治神宮外苑にあった大木の名前がわからず、
ナンジャモンジャと呼ばれていた(「日本の樹木」山と渓谷社)という説もありますが、
瑞浪、土岐の辺りでは名の知れない大木をナンジャモンジャ別名アンニャモンニャと言っ
ていたという説もあります。歩きながらよく見ると、実の付いている木があります。
さて、大森5丁目に入ったら少し注意。古本屋「共栄書店」さんを北へ曲がります。こ
こからが、昔「しだみ道」と呼ばれていた道で、大森から志段味へ抜けるための道だった
のです。この道の瀬戸線脇には、昔「霞ヶ丘」という駅がありました少しわかりにくい
かもしれませんが、大正時代の瀬戸線沿線案内図を下に載せました。駅から道が志段味の
ほうへ続いているのがわかると思います。

しだみ道を小幡緑地の少し手前で左に折れますと、御膳洞の区画整理の中を抜けて、ヒ
ル池へ出ます。ここは、マメナシという珍しい木がたくさんあるところで、今はきれいに
整備されています。4月も後半になりますと、桜に似た白い花が満開となります。道路に
出て、北へ道を取ります。立正園を過ぎて、1本目を左に入ります。すると、途中で道が
なくなった?そうなんです。ここから少し、未整備の道を歩きます。まるで、山歩きのよ
うです。舗装道路へ出たら左へ、八竜の尾根筋になります。分岐を左に取り、吉定寺の前
を通り、翠松園の中を抜けます。途中にしゃれた家があったりします。突き当たりの階段
を下りて、小幡緑地の中へ。小幡綠地の中は自由に歩いていただいてもよいかと思います。
県道名古屋多治見線、通称竜泉寺街道へ出たら南下し、小幡緑地西園をめざします。本
当は緑地の中を通るとよいのですが、今は工事中なので外周を回り、牛牧の交差点からコ
ミュニティ道路をどんどん南下。この路線の街路樹はヒメユズリハです。突き当たったら
東へ曲がり、区役所の前からNHKの寮の南側道路に人ります。ここは、昨年度、小幡の
福祉モデル地区として整備されたところです。
あとは、小幡、喜多山の町を抜けて302号まで直進します。302号で瀬戸線を渡り、
瀬戸街道へ出て、大森駅まですぐです。

守山土木だより古地図

[ 2012/07/29 15:14 ] 古道 | TB(0) | コメント(0)

ほっぽ山(1945年)

ほっぽ山1945陸軍

先日の「ほっぽ山」の記事では、現在のGoogle mapを切りぬいて、そこに1948年の米軍による
航空写真をはめ込みました。

今回はそれよりも前、普通に公開されている航空写真では最古?のものです。
これは陸軍による1945年4月6日のものです。緯度、経度の傾きは画像補正していませんので、
少し北西にブレたままになっています。

前回の1948年のはめ込み画像と見比べると、フィルムが明瞭に撮影されていないという点を
考慮してもなお、1945年の方がハゲ山に近かったように思えます。

時代背景として戦争末期ですから、田畑を増やし、松の大木を掘り上げ(松根油)、材木を
供出したためハゲ山になったのかなと考えます。

この当時は現在の「吉根階子田」交差点から山に入り、田畑の中を抜けて、現在の「吉根平池南」交差点
あたりに歩いて出られるようにも見られますね。
[ 2012/07/25 22:23 ] 区内の山 | TB(0) | コメント(0)

しだみ道(街道への誘い)

川本文彦氏著、街道への誘い~ふるさと守山物語~は、当ブログにとっては宝の山であり、
ネタ帳そのものといった存在です。

そこから物語をひとつご紹介します、と言えば品が良いのですが、それは単なるパクリだろと
言われると、ちと答えに窮するところでもあります。

志段味への道・今昔


大森の東のはずれ、尾張旭市との市域境に、むかし瀬戸電の「霞ヶ丘駅」があり、
ここから、志段味に抜ける間道に「しだみ道」という道があった。
江戸時代の古図や大正9年の地図にも、そのように書かれているから間違いないはずである。
だが、当時本当にそんな道があったのか、と時々疑問に思うことがある。

それは今から50年ほど前のこと。
敗戦も間近に迫ったころ、守山もたびたび空襲に遭った。近所に住んでいたE君も、
疎開のためこの道が通る山奥に、掘っ立て小屋のような小さな一軒家を建て移り住んでいったので、
一度遊びに行ったことがある。
そのとき、この細い道は両側から身の丈ほどに伸びた熊笹が覆いかぶさり、
両手で掻き分け掻き分け、訪ねて行った。
人がほとんど通らない、また通れるような道ではなかったし、人里もなかった。
こんな道なき道を古図や地図に、わざわざ「しだみ道」と記してある。不思議に思われた。

しかし、父母が生きていた頃、父からは、こんな話を聞いたことがある。
たぶん、明治の末か大正の初めの頃のことであろう。
父が幼かった時、父親に連れられ、この「しだみ道」を通って志段味から大森へ来る途中では、
銀狐や狸に会うこともあった。また、親子連れの猪の姿を見かけることもあった。
特に夕方など、狐の鳴き声を聞くと淋しくなり、足早に駆け抜けていった。
道に沿って小川や沢がところどころあるため、いろいろな動物たちが水を求めて集まって
きたのだろうと言っていた。

大森に着いて、そこから名古屋へ行くには、瀬戸自動鉄道の蒸気道車に乗っていった。
ときどき坂道で立ち往生し、乗客が後ろから押している姿を見かけたと話していた。
母からは、大正の中ごろ、志段味の父のもとへ嫁ぐとき、今の尾張旭市の庄中から人力車に乗って、
この道を通ってきたし、また、その後、実家への初帰りのときは、姑につれられ着物の裾をまくり、
この道を歩いて帰ったと言っていた。

したがって、父母から聞いたこの道は、当時の人の往来も多かったと推察される。
私の記憶に残る同じ道とは思えず、道路に対するイメージが相当かけ離れているようである・・・・・。
その原因は、大正9年と昭和22年の地図を比較すると、はっきり分かる。
それは、大正末から昭和にかけて志段味から尾張旭の庄中を経て四軒家に至る新しいバイパスが
出来たことであり、昭和22年の地図にはこの道が描かれている。
新設された道へと人の流れが移り変わり、「しだみ道」を人が通らなくなったから・・・・・と
考えられる。

その後・・・・・戦後50年、今またこの辺りも大きく変化してきた。
辺鄙な山中と思われたこの付近も、家屋が建ち並び、細く曲がりくねった道の両側には
ビッシリと家が建っている。昔の山の中の寂しい一本道は完全に消失して、市街地の街路へと
変わってきた。明治・大正・昭和・平成と四代にわたり、これほど大きく変化をした道路も、
まず他にないであろう。

「しだみ道」沿いに廃駅になった古い「霞ヶ丘」の駅舎が唯一残っていたが、
これもつい最近取り壊された。


1997年5月31日 風媒社刊
[ 2012/07/25 20:32 ] 古道 | TB(0) | コメント(0)

吐水口(強巴林)

強巴林

龍泉寺街道の仏坂峠を北に下ってすぐにある、チベット寺院「強巴林」さんのツインドラゴンです。
異国製?のドラゴンさんは重厚です。
もしかして、本場チベットの寺院にはこんなドラゴンがいるのでしょうか?
[ 2012/07/23 22:12 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)

吐水口(吉根八幡神社)

吉根八幡神社

吉根八幡神社2

本来なら、神社の全体像をご紹介をさせていただいてから、その部分である手水舎なのですが、
あまりにも龍ちゃんがかわいいので、あと先、順番が入れ替わることをお許しください。

この写真は、吉根の八幡神社さんの手水舎の吐水龍くんです。
下あごにギブスをはめているのは、相当な年代ものの証なのでしょうか?
外敵や水不足、庄内川の氾濫などから身を呈して吉根村を守ってくれたのかも知れません。

そのほかに特徴的なのは、まるで横綱みたいなしめ縄です。
このしめ縄は龍ちゃん専用なのか、どこかのお下がりなのか、むむむ?
色あせてますが、布製の御幣のような飾りもまとっていますね。
こちらの神社さんは、天王信仰に厚いのかも知れないのかな?

龍ちゃんの後ろに置いてあるへんてこな石はまた別途取り上げます。
[ 2012/07/23 21:56 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)

吐水口(白山神社)

生玉さんの近くに白山神社があります。
ここの手水口も龍になっています。

↓ 真正面から見ると、ワンちゃんがお座りしているみたいです。
おヒゲがくるんとループしているのもかわいいし、吐水がヨダレみたいなのもかわいい。
白山神社1

↓ この角度だと、おヒゲのループが鼻眼鏡ですね。
白山神社2

↓ 尻尾の先が・・・
白山神社3
[ 2012/07/22 18:06 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)

吐水口(生玉神社)

生玉神社

神社・仏閣には「手水舎」があって、人々はお参りをする前に、ここに備え付けの柄杓で手や口を清めます。
この水は井戸水なのか水道水なのかは別として、多くは水に縁のある龍などの吐水口からちょろちょろと
流れ出ています。

本日の写真は生玉神社さんの龍くんです。
よーく見ると、ご自慢のヒゲが片方途中で無くなっていますね。
今度水が出ている時に写真が撮れたら、この上の写真を差し換えておきましょう。
[ 2012/07/22 09:48 ] 吐水口 | TB(0) | コメント(0)

八龍緑地(1)

かねてから気になっていた「八龍緑地」に出かけました。
いままでは大雑把に場所はわかっていても、アクセスルートがわからなくて引き返したことが
何度かありましたので、真面目に下調べをしてのぞみました。

入口には園内の案内図と見どころ、連絡事項が掲示されていました。
DSC00357.jpg


こんな感じで森の中へと散策路が始まります。
DSC00358.jpg


薄暗い散策路を、小鳥のさえずりや、せせらぎの音を楽しみながら歩くと、やがてこの案内板のある
池に出ます。
DSC00367.jpg


この池の名称は「新池」、完全に森の中のたたずまいですが、実は金城学院大学の裏手になります。
DSC00370.jpg


池に沿って歩くと、やがて「学習ひろば」に出ます。人気が無い時には寂しいのですが、
子供たちの野外学習にはとても良い場所ですね。
DSC00388.jpg


新池の北側には池に張り出した回廊があります。
DSC00391.jpg


回廊に立って新池の南側を望みます。手前の杭は何なのでしょうか?
DSC00394.jpg


帰りに向けて再び池の南側に向かい、北側の回廊を見ました。
DSC00429.jpg


動植物の捕獲、採集は禁止なのですが、大昔の自分を見ているようでした。
DSC00433-1.jpg
[ 2012/07/20 23:07 ] 公園 | TB(0) | コメント(0)

ほっぽ山(1948年)

Google吉根合成

古い航空写真を眺めていたら、「ほっぽ山」はもしかしたら地形図上のピークとは必ずしも
言えないのではないかと思うようになりました。
地形図上のピークの方が普通は見晴らしが良さそうにも思えますが、ピークがいくつもあって
それぞれが影響して、見通しがかえってベストならずかと思うようになったからです。
それよりはむしろ、古い航空写真で、山道を目で追い、広場のように樹木が伐採されたところに
そういう目的場所が設定されていたのではないかと、考え方をリセットしてみることにしました。

上の写真は、本日現在のGoogleの写真を用意して、現在山地に見える広範なエリアをくり抜き、
くり抜いたエリアに1948年の米軍の航空写真をはめ込んで合成したものです。
切り貼りが下手なので、緑ヶ丘カンツリークラブの西の端と、国立東尾張病院とゴルフコースとの
間のあたりに「白抜き」ができていますがご勘弁を。

至来川のある現在の「吉根階子田」交差点と、ジャスコ向かいの平池に目印を付けて、
縮小拡大と傾きの補正をしました。

大きな画像にしていただきますと、階子田のゆえんたる段々になった水田や、
山の中に多くの水田、耕地、広場らしきものが見えます。
逆に先日提示した、三角点を始めとする地形図上のピークがあるハズの場所には、たぶん何も
無さそうなこともわかります。

次回は、この山地の中に点在する田畑などの空間が、時代とともにどのように移り変わって
いるのか見てゆきたいと思います。
[ 2012/07/18 23:33 ] 区内の山 | TB(0) | コメント(0)

ほっぽ山(地形図)

吉根に通称「ほっぽ山」と呼ばれている山があります。
これが「ぽっぽ山」になると、何かとお騒がせな政界の鳩ぽっぽ兄弟になるらしいのですが。
さて、この「ほっぽ山」が吉根のどのピークを指すのか、またなぜに「ほっぽ山」などと
呼ばれるようになったのか不思議でなりません。

志段味カルタというものがあります。
この中で「ほ」のカルタが「ほっぽ山」になっていて、次の解説がついています。
『八方山は吉根で一番高い山であり、天気の良い日には白山や伊吹山が見えるときもあるなど、
非常に眺望が素晴らしい。昔は春と秋の彼岸の中日には、年寄りも女も子供も皆で八方山へ登って、
にぎり飯を食べ、きのこ探しをしたりして遊んだものだという。』

つまり、ほっぽ山=八方山と表記するのですね。

そしてヒントとして・・・
・八方山は吉根で一番高い山
・白山や伊吹山が見える
・八方山へ登って(行く道がある)、という特徴があることもわかりました。

国土地理院尾張旭1万分の一平成6年96dpi

↑ 上の地図は平成6年の国土地理院1万分の1地形図「春日井」と「尾張旭」を重ねたものです。
土地区画整理事業が始まったころなので、今とは随分道路が異なりますね。

国土地理院尾張旭1万分の一平成6年ピーク全部

↑ この地形図に標高が描かれているピークはA~Dまで4か所あります。
そのうちA地点は三等三角点で、残りはいずれもが標高を表す数値のみです。
この4か所のピークのうち、A~Cの3か所は狭いながらも道が通っていますが、
右(東)のDポイントは接道していません。て言うか、今は消滅していますが・・・

先のカルタの解説では、山に登る道があるわけですから、条件としてはA~Cの3か所が
合致しています。個々に見てみましょう。

国土地理院尾張旭1万分の一平成6年AB

↑ AとBのピークです。Aは三等三角点で高さは101.40mです。吉根の三角点はここだけです。
Bの高さは123mと印刷されています。

国土地理院尾張旭1万分の一平成6年CD

↑ Cのピークは高さ131m、Dのピークは高さは92mです。でもDポイントは、
今は建物と駐車場になってしまいましたね。

『吉根で最も高く』『山に登る道がある』を必須条件とすれば、合致するのはCのピークと
なりましょうか。検証は夏場には困難を極めます。
2月後半~3月半ばまでの暖かい日に踏査すべく、さらに資料をさがして、机上の検討をしてみましょう。
[ 2012/07/15 21:41 ] 区内の山 | TB(0) | コメント(0)

7月15日

朝うっかり寝坊してしまい、久しぶりに生玉神社の朝市を見ようと向かったが
やっていなかった。それが今日だけのことなのか、市が終わった後だったのかは、
わからないが、ちょうど夏祭りの設営が始まっていて、怪我の功名と言ったところ。
参拝後、拝殿の裏まで踏み込んで、奥の院などを写真撮影。
普段は閉じられたままの倉庫から、夏祭りの資材を搬出する様子など興味深かった。

帰宅後は庭で草取り。

昼食を外で取るために夫婦で外出。
志段味西小学校近くの松屋で牛丼を食べる。
帰路ジャスコで買い物。

帰宅後こんどは一人で区内探検に出撃。
至来川に沿って再び踏み込もうとしたが、わずか1ヶ月で雑草、雑木が伸びて断念。
八幡神社の横を車で抜ける時、チラっと見たら、駐車場に車がたくさん留っていた。

ジャスコから長廻間に抜け、八龍湿地へ行ってみた。
昼間なのに薄暗く、聞こえるのは風が揺する木の葉の音、鳥の声のみ。
こんなところで他人と出会うのはお互い気まずいだろうなと思う。
出会ったのは、なぜかランニングをしている男性。
それに池の対岸で捕虫網を振るう少年?のみ。

帰宅後ふたたび庭の草取り。
草取りは庭の半分くらいできた。あと半分は明日か来週か。
明日は矢田川でミニ花火が上がる。矢田の花火は何年振りか?
[ 2012/07/15 18:33 ] 日記 | TB(0) | コメント(0)

小林 元先生のこと

名古屋市東部の歴史散策をする時、非常に多くの人々は小林元(こばやしはじめ)先生の
著作を参考にされると思います。

例えば、・・・
香流川物語 : 長久手・猪子石の今昔 小林元著 愛知県郷土資料刊行会 1977.11
矢田川物語 : 大森・印場・森孝新田の今昔 小林元著 愛知県郷土資料刊行会 1980.8
猪高村物語 : 名東区の今昔 小林元著 小林元 1988.12
千種村物語 : 名古屋東部の古道と町なみ 小林元著 ブックショップ「マイタウン」2000.6

そして最近では・・・
長久手の地名・ 小林元/長久手町/平成14年発行/¥1,800 B5、95頁

この小林先生は、実は私の中学時代の恩師のお一人なのです。
かって人口急増著しい「千種区の」猪高中学校でのことです。
在校時はまさか先生のそうした一面を存じ上げなかったのですが、
後年になって、地区の名東図書館に行った時にご著書に接し、飛び上がるほど驚きました。

先生のますますのご健康とご活躍を願うばかりです。
[ 2012/07/14 23:51 ] 日記 | TB(0) | コメント(0)

7月14日

朝から庭でブラックベリーの摘み取り。イチゴパックに3杯取れました。
これでも今年の収穫予定量の半分程度かも。残りは熟してから、おいおいと獲ります。

家族の買物をはさんで、一週間ぶりの草取り。
この季節の雑草は恐るべきスピードで繁殖します。取っても取ってもキリがありません。

昼食後、守山生涯学習センターで、守山郷土史研究会の定例会。

閉会後、昭和区の古書店まで注文した古書の受け取りに行く。
注文品以外に、店内で「尾張の天王信仰」を見つけてついでに買いました。
もう一冊、千種村物語もほしかったけど、こちらは昨日売れたそうでした、残念。
[ 2012/07/14 17:56 ] 日記 | TB(0) | コメント(0)

神明用水(3)

神明用水のかっての取水口は、上島公園の裏手にあるグリーンビュー会館の近くになります。

20120503-0009.jpg

グリーンビュー会館と神明山の間に排水路が流れています。
その排水路に沿うように庄内川に降りる道があります。

20120503-0007.jpg

庄内川沿いの遊歩道から、更に下に降りる階段があって、その階段の先に雑草に隠れながら
変な角度で庄内川に突きだしているコンクリート製の構造物が見えます。
赤い矢印の部分ですが、これが旧取水口だと思われます。

旧取水口1

ここは大変危ないですから、子供だけでは
絶対に近寄らないでくださいね!!


旧取水口2

↑ この構造物を観察すると、カタカナの「コの字」になっています。
ふつうコンクリートで作れば、上から下まで、あるいは右から左までほとんど同じ色に
仕上がるものですが、「コの字」の奥まったところの左右が新しそうです。

旧取水口3

↑ どうやらこの新しく見える部分はコンクリートではなくて、石材を柱のように切って、
上からはめ込んでいるようです。いったい、これはどうしたことでしょうか?

吉根橋の堰堤から用水が取れるようになった時、この古い神明用水の取水口はつぶされていたのです。
口が開いていたら人や動物が入ったり、洪水の時に水が勢いよく入って山の下のトンネルが
崩れるかもしれません。
それで前もって口をふさいでいたようです。

昔はこの色が違う石のところがくり抜かれていて、そこに水門が上下していたと思われます。
木や鉄の水門は腐りやすいので、みんなが手入れを忘れて腐ってしまう前に処分したのでしょう。

もう少し続きます。
[ 2012/07/13 22:41 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

神明用水(2)

神明用水碑

神明社に立つ「神明用水碑」
かっては吉根橋の傍らにありましたが、近年こちらに移設されたそうです。

随分古い石碑と思われるのではないでしょうか?
碑文の末には「昭和9年1月」と刻まれていますが、更にさかのぼること明治初めにこの用水が
できた経緯をこの石碑は物語っています。

石碑に曰く

『吉根の地は山陵起伏して古来灌漑の便を缼
き、村民稼檣(かしょく)の效擧らず、疲弊困憊其の極に達す。
明治8年、河合利助氏等相謀り水を庄内川に需
め、堰埭(えんたい)を築き神明山下を堀鑿(くっさく)して、方三尺長百
八間の隧道(ずいどう)を貫き、延長七百八十間の水路を開
き、以て此の窮状を救わんと欲し、仍ち時の縣令
安場保和君の勸説に從り、飛騨國高山の鑛山職
都竹吉右衛門氏等を聘し、同年十一月工を起し
村民一致巨資を投じ協力事に從い、翌九年漸く
其の功を収む。爰(ここ)に於て荒無の地は拓かれて美
田と化し、年々豊穣の恵澤に浴するもの實に五
十餘町歩に及ぶ。更に昭和六年縣費補助に依り
樋門を設け以て本用水の完成を告ぐ。區民歓喜
措く能わず。茲(ここ)に之を録し永く其の偉績を傳う。
昭和九年一月
衆議院議員正七位勲四等丹下茂十郎撰文竝書』


書き起こしにあたり、できるだけ旧字体をそのまま使いました。
カナは読みづらいので、平仮名にし、適宜濁点の追加や実音表記を心がけました。
読み仮名の括弧書きはうっとうしいかも知れませんが、
私も明日になったら「何て読むんだっけ」と忘れていますので書かせていただきました。

続きはまた書きます
[ 2012/07/12 21:21 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

神明用水(1)

↓ 吉根橋のほんの少し横に青いタラップがあります。
これは庄内川より取水する「神明用水」の水門です。
神明用水は吉根の広い水田を潤す用水路です。

吉根橋

↓ 堤防を下り降りて、水門の正面から撮影しました。
堰堤のミニダムから直角に取水して、堤防道路の下を通して吉根側に導水します。

取水口

↓ 神明用水樋管と書かれたプレートがあります。

銘板

↓ 導水された水は、カーマホームセンター脇のポンプ場から用水路に放水されます。

ポンプ場

↓ 吉根の水田を潤した水は再び庄内川へと帰ります。
排水路のプレートは平成24年5月となっています。

排水プレート

↓ 至来川の排水小屋と同じデザインですね。
草ぼうぼうだった排水路のまわりは、護岸工事ですっかりきれいになりました。

排水小屋

↓ 小屋の下には吉根排水樋管と書かれています。

排水樋管

区画整理後、吉根の水田は大幅に少なくなりました。
コメ余り、減反政策、安い外米、そこにTPPの追い打ち。
同じ区内のことで、どこか郊外の他人事ではありません。

後日、神明用水の経緯など、続編を書く予定です。
[ 2012/07/11 21:35 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

疫病除け(猪子石)

吉根ムラから見ると南の方角に、大森ムラを間にはさんで猪子石のムラがあります。
現在の名東区です。この名東区の旧猪子石地区で香流川地域センターの方々が編纂した
「猪子石今昔」という文献があります。
その中から、吉根の疫病除けのお札に類する記述をご紹介します。

新屋敷では現在、7月1日に「高〆」を行う。
これはしめ縄に御幣をつけたものを背の高い二本の竹の間に張り、
これを部落への入口の道路にわたして立てた。
四、五か所に立てて28日までおくが、トラックが通るようになって
邪魔だというので、戦後は片側だけ立てるようになった。
新田は7月11日に立てたが、整理事業後はやらなくなった。

以上「猪子石今昔」、昭和59年10月20日より

先日このブログで引用した次の文章が、今回の猪子石の文献で理解できました。
「ムラ境4ヶ所(→ムラの霊・神)に立てる。」
立てる位置は同じですが、猪子石の文献の表現「部落への入口」これが重要です。
部落外から入ってこようとする疫病を、入口で防ごうという目的が明確に
読み取れるからです。

「今は笹竹を道路の片側に寄せてあるが、もとは両側に笹竹を立てシメ縄を渡していた。」
これも両側から片側になった経緯がよく理解できます。
元々はバリケードのようにしていたのが、進入禁止の交通標識のようになったわけです。

時代とともに習俗も変化する面白い例です。
吉根、猪子石に限らず、広くこの風習が行われていたと思われます。
また他の地区の文献や実物を見つけたら、このブログでご紹介します。

猪子石1

猪子石2
[ 2012/07/10 22:48 ] 民俗 | TB(0) | コメント(0)

7月8日

本日は梅雨の中休み、絶好の野外活動日和となりました。
朝6時半からそわそわと町内の宅地造成現場まで散歩。
大昔の文献では、古墳があったすぐ近くだと記憶していたので、
何らかの出土品がないか探しましたが、山茶碗の一片もありませんでした。
しかし抜群の風景撮影スポットであることがわかったので、
工事の目を盗んでまた通ってみようと思います。

朝食まで時間があったので、龍泉寺ゴルフさんの北の
「吉根階子田南」交差点まで行き、疫病除けのお札が街道沿いに
立てられているか調査し、無事発見したので写真撮影。
次いで、小幡緑地公園本園を通り抜け、緑ヶ丘カンツリークラブの
正門近くにある「御花弘法大師」さまに御参りと写真撮影。

いったん朝食のために帰宅して、午前中はひたすら庭掃除。

午後から再び「疫病除けお札」の調査。吉根橋のお札は見つけられました。
近くまで来ていたので神明社さんにお参り。
さらに神明用水の旧取水口の調査。

車で移動して、志段味西小学校・東名高速道路付近で疫病除けお札を
探しましたが見つけられませんでした。
元々立てられていなかったのか、誰かにイタズラされたのか謎です?
最後の「兵隊郡道の人家が途切れたあたり」が今のどのあたりなのか
難しいのですが、ジャスコから坂を登りきった国立病院のあたりまで
注意して探しましたが、わかりませんでした。

ほっぽ山に通じる山道がどれなのかよくわからなかったので下見をしました。
笹ヶ根の老人ホーム楽楽さんの近くに山に登る階段があって、
地図で見るとこれが一番よさそう。
階段を登る中ほどで畑仕事をされていたご年配の女性に声を掛けさせて
いただきました。
・この道は「赤線」と呼ばれ、昔から地図に赤い線で描かれた道でした。
・昔はマツタケを取りによく山に入りました。
・今は春にタケノコを取りに来る人がよく入ります。
・至来川の源流にある施設は養蜂家のものだと思います。
・岩盤浴のお店の横の道を入ると、むかし軍需物資を入れた洞がありました。
・実家はむかし吉根のソフトバンクのあるところに屋敷がありました。
・実家の裏には古墳があって、毎年お札を付けて御祀りしていました。
・志段味の「かるた」には「おまんと」の「お」で文章を書きました。
すっかりお邪魔をしてしまい、下見もしないで階段を戻りました。

山を隔てた西側の八幡さまにお参り。
今回は拝殿の裏側にも合祀されている小さな祠も見て回りました。

八幡様の道路隔てた山側は先ほどの階段の山と同じ山なのですが、
里山公園として整備されています。
夏はちょっと厳しいのですが、冬になったら探検をしてみたいと思います。

車でまた移動。
龍泉寺さんとは街道を隔てて向かい側の集落に行きました。
景色が抜群に良いスポットを発見しました。
カンツリークラブ北東の二つの池と松が洞古墳群の案内板を見てきました。

これでいったん帰宅。
夕食後ふたたび早朝に見つけたスポットに移動。
思った通り夜景がきれいでした。
本日ゲットしたネタは後日ブログに掲載させていただきます。
[ 2012/07/08 17:31 ] 日記 | TB(0) | コメント(0)

疫病除けのお札(吉根)

「志段味地区民俗調査報告書」、昭和60年3月31日、志段味地区民俗調査会に
「ムラの霊的な境と方位」の章があり、次のように書かれています。

吉根では、土用過ぎにムラ境4ヶ所に疫病除けのお札を立てる。
吉根橋の手前、東名高速道路の東、笹ヶ根の兵隊道の人家のはずれ、松ヶ洞の滝泉寺門前境である。

原文まま
(加藤註:滝泉寺とは龍泉寺のタイプミスあるいは誤植ですね)

また、章をあらためて次のようにも書かれています。

吉根の氏神八幡社では、現在、8月16日ごろに行われる夏越祭の折、「疫病除」のお札を
竹の先端に挿し、ムラ境4ヶ所(→ムラの霊・神)に立てる。今は笹竹を道路の片側に寄せてあるが、
もとは両側に笹竹を立てシメ縄を渡していた。このお札は土用に入ったら出してもよいと
いわれていたが、戦前はこの行事を旧6月晦日(大祓い)に行っていた。
戦後になって、新7月中旬になり、昭和55、6年ごろから8月に行うようになった。
戦前は1メートルほどの背丈の藁人形を作って、お札と一緒に立てていたという。


そこで現地調査のために地図を用意して、上の文献に書かれていた辺りを赤マルにしてみました。
早い話が、吉根に通じている主要道路が、吉根に入るあたりと言う位置なのです。
もしかしたら古来はこれに加えて舟の渡し場にもあったかも知れません。

推定図

↓ 「松ヶ洞の滝泉寺門前境」すなわち龍泉寺さんとの境界はすぐに見つかりました。
場所は、龍泉寺ゴルフの北の「吉根階子田南」交差点です。
交差点かどは服良さんの物流センターやチベット寺院のあるところです。
その交差点龍泉寺街道の庄内川側にありました。

DSC00156.jpg

↓ 次に吉根橋ですが、下の写真は文献に載っていたものです。
今では貴重な昔の吉根橋の写真です。橋のたもとに疫病除けのお札がありますね。

古い写真

↓ ところが今は同じところにはありませんでした。

DSC00165.jpg

↓ あたりをキョロキョロしたところ、こんなところにありました!
ここは神明社に通じる坂道のたもとです。

DSC00167.jpg

↓ 下の写真の角度で見れば、文献の写真とイメージが合ってきますね。

DSC00170.jpg

↓ この場所はまさしく吉根に入る境界に位置しています。
昔はこのように疫病がムラに入ってこないように神様に祈ったのでしょう。

DSC00195.jpg
[ 2012/07/08 17:08 ] 民俗 | TB(0) | コメント(0)

古書即売会

今日は午後から、若宮大通り-国道41号線丸太町交差点近くにある、名古屋古書会館の
古書即売会に出かけてきました。

いつものように会場入り口にもうけられた100円コーナーから物色開始。
今日の100円本の戦利品は、名古屋歴史散歩シリーズ12「熱田区の歴史散歩」ブックショップ・
マイタウン編と、「熱田区のあらまし」昭和60年版、熱田区役所刊の2冊です。
私は西加藤家や東加藤家に関係があれば別ですが、今のところ熱田区には何の縁故も
ありませんが、読み物としてこれらが各100円はナイスでした。

ついで2階へ上がり本格的に本あさり。
ヤフオクに比べてやや高い印象です。
で、ゲットしたのは、・・・・・
特別展「長久手の中世-その城館跡を中心に-」、1989年、長久手町教育委員会 300円
特別展「名所図会の世界」1988年、名古屋市博物館、600円
「蓬左文庫古絵図目録」昭和45年、名古屋市教育委員会、1000円です。

寛文村々覚書が三巻セットで4,000円は相当悩みましたが、猫に小判かなと思い
手を離してきました。

あとは「一宮町誌」資料編が5,000円もため息でした。
私の母方祖父は三河一宮の出身で、先祖は士分、三河東上で豊川の運上役をしていたと
生前の祖父から聞いておりました。

即売会はまだ明日も開催されます。
次は8/3~8/5の予定です。
[ 2012/07/07 21:37 ] 資料・文献 | TB(0) | コメント(0)

八龍神社(2)

昨年、2011年5月21日に開催された、守山探検隊まちあるきイベントに参加した時の写真を掲載します。
神社へのルートは八龍緑地の入り口を通らなくても、実は表道路から直接の小道があります。
しかし夏場は草木が生い茂り、足もとが危険ですのであまりお奨めしません。

20120503-0001.jpg

↑ その直通ルートをとると、このように神社の裏手に出ます。
まるで昔の廃墟か、戦争の遺物のようです。戦争の遺物と言えば、大森にも高射砲の陣地があったようです。
庄内川の上空を南下し、東区の三菱を目標に飛来する米軍を迎撃するための高射砲でしたが、
闇夜に鉄砲、数撃てど当たらずどころか届かずという彼我の差でした。

20120503-0002.jpg

↑ これが社殿を取り囲んでいる塀です。
元々は割り石組の垣だけだったのを、後世コンクリート塀でかさ上げしたのかも知れません。

20120503-0003.jpg

↑ 龍が掘られた神社を象徴するレリーフです。

20120503-0004.jpg

20120503-0005.jpg

20120503-0006.jpg
[ 2012/07/07 09:57 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

八龍神社(1)

名鉄瀬戸線の「大森・金城学院前」駅から坂道を登ると、道はやがて金城学院大学の正門、キャンパスを
通り抜け、大森八龍の高台へと続きます。登りきったところにある三差路を右にとってしばらく
歩くと、八龍緑地に到着します。。

八龍神社道順

↑ 駅からの距離はたいしたことは無いのですが、坂道が長いので少し健脚向けです。

北入口

↑ こんな感じで八龍緑地の北口があります。入口からチラっと見ただけでも、昼なお暗い小径が
続いていて、足を踏み入れるのに若干のためらいを禁じえません。

八龍神社20120617-1

↑ 森の中を少し行くと右手に遠目にも祠のようなものが見えてきます。
細かく枝分かれしている山道をそちらに回り込みますと、道はやがて神社の正面に出ます。

八龍神社20120617-2

↑ ここが大森の八龍神社です。
神社のまわりはコンクリートの壁で仕切られています。そしてコンクリートの中は周囲の山地にくらべて
少しこんもりとしています。言い伝えによると、ここは元々円墳があったところに祠が立てられたようです。
古墳は八龍古墳と古い文献に書かれています。

八龍神社20120617-3

石段を上がったところには、当地の祠に多い「鬼板」が奉納されています。
これについては、また稿を改めてご紹介します。

八龍神社20120617-4

↑ 古墳出土品は徳川美術館に収蔵されているとも言われています。
祭壇にはミニ龍くんの隣にとバナナ、キュウリが御供えされています。
かっては水源の森を鎮守し、雨乞いの神社として信仰の対象とされたようですが、今なおこうして
手入れされ、信仰されている神社です。

文献より転記します。
-----------------
八龍古墳
昭和初期、地元の人によって八龍神社社殿の立つ石の祠を発掘した際、須恵器数点が出土したという。
その後暫く大森小学校に保管されていたが、行方不明となっていた。
現在、徳川美術館に「守山町大字大森字八竜古墳出土」として蔵される須恵器がそれに該当すると思われる。
現在、現地はコンクリート塀に囲まれて社殿が立つが、その地点は周囲より1mほど高い。
付近には円墳状の高まりが存する。
-----------------
『守山の遺跡と遺物』
部門展「身近なまちの考古学-守山の遺跡と遺物」展示図録
1984年1月28日 名古屋市博物館発行
[ 2012/07/07 00:05 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

高座山から見た志段味

高蔵寺の高座山にある航空自衛隊では、山頂までのハイキングのために
ゲートを一般開放してくれることがあります。

高座山20100530-0

↑ これは2010年の一般開放の時の写真です。

高座山20100530-1

↑ 庄内川の蛇行を写しました。

高座山20100530-2

↑ 名古屋第二の標高吉根太鼓ヶ根山から大森八龍山方面です。

高座山20100530-3

↑ 東谷山が低く見えました。

突き出たマンホール

20120701-1.jpg

↑ 東谷橋の南端にこんなマンホールがあります。
都市計画の中で、このマンホールを含む道路は、将来的にはこの高さまで「かさ上げ」されます。
そのときに東谷橋はどうなるのでしょうか?

20120701-2.jpg

↑ すぐ近くにもう一か所あります。
こちらの方がわかりやすいですね。庄内川に沿った道路を手前まで延長させると、このマンホールの
高さにちょうどなります。
[ 2012/07/01 08:26 ] マンホール | TB(0) | コメント(0)
FC2カウンター
プロフィール

加藤

Author:加藤
守山区在住の歴史、自然、イベントファンです。
散策仲間を常時募集しています。
ご連絡は右側のメールフォームよりお願いします。
記事に対するご意見、ご感想は各記事の最下行にあるコメントを押してください。

最新トラックバック