
【大名古屋七七福神 集印帖】
大名古屋七七福神の集印帖をもとに戦前の名古屋における七福神巡りの
一端をひもといてきました。ここで「まとめ」としてシリーズを締めくくりたいと思います。

【名古屋趣味のスタンプ会】
この集印帖(スタンプ帳)には書籍物にあるような発行年月日や発行者の名称、印は
まったくありません。もしかしたら帳面自体は普通の市販の汎用品を流用していたのかも
しれません。あるいはこのスタンプ帳は公式のものなのか、個人が購入して押し歩いた
ものなのかも定かではありません。
ともあれ、主催者はこのスタンプから「名古屋趣味のスタンプ会」とみてよろしいかと思います。
七七福神なのですから、全部まわると49のスタンプが押されていることになりますが、
数えてみると確かに49個のスタンプがありますが、次のような事情により49か所には
なっていませんでした。
東郊七福神の福禄寿の位置には弁財天が押されていてマイナス1枚。
宝生七福神の寿老人の位置には熱田七福神の宝船が押されてマイナス1枚。
蓬莱七福神の寿老人の位置には名古屋趣味のスタンプ会が押されてマイナス1枚
合計3枚が欠印となっています。
逆に、熱田七福神は宝船も押されていて番外が1枚プラスになっています。

【七七福神連合会納経】
欠印の状態にもかかわらず、「○○寺のスタンプが無い」と判断できたのは、
実は上掲画像の別の資料があったからです。
タイトルを「七七福神連合会納経」という和とじのもので、各寺院のご住職によって
あらかじめコース名、七福神名、所在地名、山号、寺院名などが1ページに
1寺院ずつ揮毫されたものです。
これを参照することで、スタンプの欠印寺院名を補完することが可能となりました。
またこの七七福神連合会納経は書籍としての体裁がとられていて、そこには
昭和10年発行、発行者は八角堂法蔵寺七七福神連合会常務・大澤眞應師のお名前、
印刷所および頒布所・東洋巌新社、後援・新愛知新聞社と書かれています。
愛知学院大学教養部紀要 61巻2号に収録の「
名古屋の寺院に関する木版資料に
ついて(12)」には次のように書かれています。
『さらに翌年3月(註:昭和10年3月)には、印刷所の東洋巌新社(中区矢場町)から
納経帳の『大名古屋八十八ケ所御納経』が発行された。この納経帳は札所寺院の住職に
よって番号、本尊、所在地、山号、寺号が揮毫されており、番外に大名古屋三大師の
寺院も加わっている。
一方、納経帳とともに札所でスタンプを押印するスタンプ帳も発行されていた。
ただし、その発行年月日は明らかでない。「大名古屋八十八ケ所遍路スタンプ」と
題する折本帳となっており、札所の遍路スタンプがカラフルなカラーで押印されている
(後略)』
従いまして、納経帳は「大名古屋八十八ケ所納経帳」が先行販売され、その半年後くらいに
「大名古屋七七福神連合会納経帳」が発行されただろうことがわかります。
昭和9年から10年頃の新愛知新聞を丹念に読めば、広告・宣伝も含めてもっと
わかりそうですが、それはまたの機会にいたします。
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