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鳥羽見小学校 開校前の歴史

鳥羽見小学校学区
鳥羽見小学校 開校前の歴史

JR新守山駅と、守山自衛隊との間に名古屋市立鳥羽見小学校があります。
名古屋市立鳥羽見小学校のホームページでは、学校の歴史の最初の1行は「昭和24年、
守山小学校より独立開校」で始まっています。

それ以前のことを、同小学校の開校30周年記念の社会科副読本「郷土 鳥羽見」をひもとくと
次のように記されています。

-----------ここから引用、年号は昭和------------
17年2月 鳥羽見地区に独立小学校を建てるための土地を買い入れる計画が立てられました。
18年3月 春日井郡守山町議会(当時は、東春日井郡の中の守山町でした)は、鳥羽見という
学校の名まえと建設するための資金25万円の起債(お金を借りること)を提案、議決し、
土地の買い入れを行いました。
18年5月 この学校が建っている所は、当時、一面の沼地でしたので、その沼を埋め立てる工事が始まりました。
しかし、計画より四割以上多く土砂を入れても、なかなか予定の高さにならないほど、
沼は深いところまでやわらかく、埋め立ての土砂が沈んでしまったのでした。
19年7月 第一期工事として、六教室と付属建物など240余坪(一坪は、3.3平方メートル-約792
平方メートル)を、20年2月に完成する予定で、建設し始めました。
19年10月 大部分の建てまえ(柱立て、屋根ができあがること)が終わったころ、震災にあい、
建物が倒れてしまいました。再建の準備にかかったころは、太平洋戦争が激しくなり、
大空襲がひきもきらず、工事はほとんどできませんでした。そのうえ、建設資材の半分以上を
盗まれてしまい、完成予定を一年遅らせて、21年2月としました。それでも、戦争のため、
資材があまりなく、しかも、値だんがひじょうに高くなってしまい、手に入らなくなってしまいました。
20年8月15日 戦争が終わりました。
21年5月 物資が手にはいらないので、やむをえず、元補給廠払い下げの古材を使って、
21年12月までに完成することに、計画を変えました。しかし、これもだんただん遅れていきました。
22年8月30日 こうした苦労のすえ、やっと次のような校舎が完成しました。
8教室-160坪(約528平方メートル)、廊下-40坪、渡り-20坪、便所-10坪、小使室及び物置-8坪、
計238坪(約785平方メートル)
------------引用ここまで、以下省略-------------



鳥羽見小学校学区戦前陸軍空中写真
戦前の陸軍撮影
鳥羽見地区は古代の条里制のような整然とした耕地が広がっています。
現在の校地と想定される場所には何もなく、ただ不規則に水辺と思われる場所が白っぽく
写っています。上の年表から、昭和18年5月には造成をしているわけですから、
この写真の撮影はそれ以前なのかと思われます。


鳥羽見小学校学区19450406陸軍空中写真
昭和20年4月 陸軍撮影
校地の北端に、なにやら鳥が羽ばたくような白いものが写っています。
年表によれば、地震で建物が倒壊し、建て直しのための材料も入手難で、手のつけられなかった
頃なのでしょう。


鳥羽見小学校学区19460528米軍空中写真
昭和21年5月 米軍撮影
校地がキレイに四角く写っています。多少の濃淡が見受けられるのは、基礎が布設されていたり、
建築資材が保管されたりしているためかと思われます。


鳥羽見小学校学区19471013米軍空中写真
昭和22年10月 米軍撮影
校地の北辺に、横一文字に校舎と思しき構造物が写っています。
また校庭の半分ほどが白く写っているのは、排水の良い川砂を入れたためかも知れません。
年表に、昭和22年8月30日完成とあるので、この写真の昭和22年10月は完成直後の
写真ということになります。


鳥羽見分教場校舎平面図s
校舎の平面図
年表には、「8教室-160坪、廊下-40坪、渡り-20坪、便所-10坪、小使室及び物置-8坪」と
なっていますが、その配置を確認できる平面図があります。
またこれは昭和22年10月の米軍による写真とも合致しています。
この平面図は、旧守山町が名古屋財務局長宛に、旧軍の建築古材を払い下げてほしいと申請した
ときの添付書類です。この申請書は昭和21年4月に起案され、使用目的を「鳥羽見分教場の建築」と
してはいますが、元となる旧軍施設の古材のうち「減耗割合」を「八割三分減」と申告し、
その理由を「米軍による空襲で半壊以上に破損」し、さらに「終戦の混乱に乗じ、ほとんど
持ち去られ」と書かれています。
残った古材も「柱の一部分で、これも規格以下の短い柱のため」、使い道は「便所、廊下等」に
限られると窮状を訴える申請書となっております。

年表には払い下げ古材を使用するに計画変更し、となっておりますが、上記申請書の末尾には
「実際に使用した古材は案外少なく、多数の新材を加えて新築した」と、事後申請とも
とれるような結びとなっております。

戦後まもなくの混乱期に大変な苦労をして開校した鳥羽見分教場ですが、その二年後には
早くも念願だった守山小学校からの分離独立開校のはこびとなっております。
社会科副読本に書かれていない余計なことですが、同校の歴史のひとこまとして
ここに記録しておきます。

同校の関連話題として、8月28日のブログ「守山に存在したか?陸軍気球隊」に続きます。
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[ 2014/08/26 11:34 ] 学校 | TB(0) | コメント(0)
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Author:加藤
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