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名城大学鷹来農場見学会

名城大学農学部付属農場本館20170717(3)
陸軍工廠遺構見学会
春日井市鷹来町の総合体育館前交差点にある石碑
名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所跡と刻まれています。
本日はこの遺構の見学会に参加させていただきました。



名城大学農学部付属農場本館20170717(1)
現在の名城大学農学部付属鷹来農場の本館
石碑のあった交差点から500mほどで名城大学付属農場の入口に到着します。
ここの本館建物は、旧名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所の司令部が入っていた建物で、
本館入口の時計盤は針はありませんが当時ものだそうです。
時計の下方に★形の跡がありますが、旧陸軍のシンボルマークです。
CGで★形に赤く塗って、軍服姿の俳優さんが出入りすれば、たちまち戦争中のロケが
できそうな雰囲気ですね。
手前の池はこれまた当時からあった防火水槽だと思います。




名城大学農学部付属農場本館20170717(2)
こんな環境で農業実習や研究ができる若い人たちにエールをお送りしたいです。

本日こうして見学の機会をいただき、現地指導をしてくださいました名城大学の先生と、
同行してくださいました学生さん、そして付属高校の先生に厚くお礼申し上げます。
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[ 2017/07/17 22:38 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

八龍市民緑地の陸軍境界標柱

八龍湿地20170501(10)
旧陸軍境界標柱
 守山区には終戦時まで陸軍演習場や、師団があったことから、多くの境界標柱がいまだに
現存しています。本日は有志による散策会で、八龍市民緑地を中心に散策してきました。
新緑の清清しい中、せせらぎの音に癒されて遊歩道をゆるーく、のたりたのたりと散策。
 標柱はこれ1本だけかと思ったら、帰り道に長老がもう1本見つけてくれました。
池のほうを向いて陸軍と刻まれ、遊歩道からは何もない背中が見えるだけなので
ぼーっと見だと気が付かないかも知れません。


八龍湿地20170501(8)
 これってなんの花?
 この愛らしさは庭木にしても十分すぎるほど可憐ですよね。
長老はご自宅のヒメリンゴの花に似ているといわれました。

5/4は戦跡つながりで、小幡緑地公園を有志で散策します。
[ 2017/05/01 21:13 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(2)

小幡緑地の高射砲陣地(2)

これまでの経過をここにまとめておきます。

小幡緑地公園の高射砲陣地に関しては、平成12年10月7日の当ブログで少し書きました。
小幡緑地公園の高射砲陣地

その後、得られた知見をまとめて、平成14年8月7日に、名古屋市鶴舞公会堂にて発表をしました。
2014あいち・平和のための戦争展

ほぼ同じ内容ながら、より守山郷土史愛好家向けにアレンジして、
平成14年9月20日の守山郷土史研究会の月例会で発表しました。
守山郷土史研究会にて研究発表

内容を守山区全域の高射砲部隊に拡大し、守山郷土史研究会の会報「もりやま」、
第34号に投稿、掲載していただきました。
会誌「もりやま」バックナンバー

小幡緑地内にあった龍泉寺陣地の現地調査は、戦後70年の経過で樹木が繁茂し、冬季限定で進めております。
新たな知見もごくわずかありますので、近日、少しずつこの場で公開してゆく予定です。
[ 2015/12/27 13:30 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

戦災・空襲記録づくり 第30回東海交流会

20141214(1).jpg
戦災・空襲記録づくり 第30回東海交流会

師事する小島さんの代理で行ってきました。
朝10時から16時まで、長かった・・・
戦争遺跡の清水先生にお会いできました。
金子 力先生のご尊顔を拝することもできました。
名城大学の先生方とも名刺交換できました。
閉じこもっていちゃーダメよ~ダメダメってやつですね。
[ 2014/12/14 21:32 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

守山に存在したか?陸軍気球隊

鳥羽見分教場 の建設に旧軍の建築古材を使ったことは先日のブログで書きました。
同校の社会科副読本として、開校30周年記念に製作された「郷土 鳥羽見」には、
その旧軍を「元補給廠」と書いてあります。
多くの部分を元補給廠の古材でまかなったものと推定しますが、なかにはこんな
部隊からの古材流用もありました。


気球隊古材売払申請書1
国有資産の払下申請書
ただし、年月日が記されていないのと、移転後の使用目的を記した「別紙」がないので
断定はできませんが、これも鳥羽見分教場建築古材の一部であったろうと推定します。
ここでは申請書中の黄色で囲んだ部分に注目します。
所在地に続いて「種目」の項があり、そこには「守山気球隊バラック建」の文字が判読できます。



雑種財産売払申請書見取図sノースアップ
払下申請の見取図
ちょっと見づらいのですが、上を北にしたかったので、建物等の名称が横になってしまいました。
図面下の大きな敷地には「元 騎兵連隊跡」と書かれています。
現在の守山自衛隊がある敷地のことです。
そこから図面上に向かって細長く描かれているのが「気球隊 バラック建」、
その上にカギ形に描かれているのが「気球板壁」です。
申請書に書かれている黄色の囲み部分の「種目」と合致することから、
申請書の添付図面か、申請書を起案するときに使った見取図だったと思われます。
さて、その守山気球隊はどこにあったのか?



気球隊19460528米軍空中写真
昭和21年の米軍写真
この写真は先日の鳥羽見分教場の記事で使ったものを、部分的に拡大したものです。
写真の左端にその鳥羽見分教場の校地が見えるでしょうか?
さて、この写真と先ほどの見取図を見比べると・・・
見取図によれば、連隊の敷地の北辺中央あたりから北へ「気球隊バラック建」があり、
その北にカギ形の「気球板壁」があることになっています。
いかがですか?
旧守山市民病院か、あるいはその西隣くらいが、そんなふうに見えませんか?

そして気球隊とは?
飛行船形の気球、気象観測のための気球、・・・
たぶん後者だと思いますが、あったんでしょうね?
[ 2014/08/28 10:51 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

緑丘商業高校とその南側(3)

緑丘商業建築中 もりやま1961


緑丘商業 MCB631-C1-16 19630507

1963年5月撮影の航空写真
緑丘商業高校は立地環境の良さもあり、生徒数が急増したとのことで、
創立間もなく増築となりました。

守山市史の刊行が昭和38(1963)年1月なので、上の1963年5月撮影の航空写真と半年くらいの
違いかと思います。

建築中の写真は旧守山市の広報誌「もりやま」1963に掲載されたものです。
[ 2014/04/24 22:30 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

緑丘商業高校とその南側(2)

緑丘商業 MCB613-C11-3375 19620506

1962年5月の航空写真から
写真中央の、山を切り開いたところに一棟だけあるのが、緑丘商業高校です。
その真南に二つの小さな池があります。
守山市史の写真は、この二つの池の間から緑丘商業を見上げるように撮影したものと推察します。

二つの小さな池の左側にあるのが自衛隊の宿舎です。
いまでも同位置に自衛隊の団地が建っていますね。
[ 2014/04/23 22:29 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

緑丘商業高校とその南側(1)

緑丘商業高校 守山市史blog用

愛知県立 緑丘商業高校
故あって緑丘商業とその南側地域の変遷を調べることになりました。
あまり深くは調べを掘り下げられないかも知れませんが、今年の9月の守山郷土史
研究会の例会で研究発表をさせていただくつもりです。
短期決戦になるので、ダラダラと進めないように気合を入れます。

この写真は守山区の前身、守山市の歴史書「守山市史」から借りました。
今では自衛隊の団地とかあって、302号線からはチラ見しかできませんが、
創立間が無い緑丘商業です。
現在グラウンドになっている場所は、その当時は急斜面の崖と池だったようです。

研究発表のテーマは学校ではなくて、どちらかと言うと池およびその周辺と言うべきですが、
このブログでは一般公開する記事の性格上、ブログタイトルの通りとしました。
[ 2014/04/22 22:57 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

小幡緑地の高射砲陣地

現在地20121007-1
高射砲の陣地
太平洋戦争中、小幡緑地の山には高射砲の陣地がありました。
しかし戦後67年が経過して、そこに戦争遺産の立て看板でも無い限り、場所を特定するのは
年々難しくなり、ご存知の方々の記憶も風化してきます。



愛知の戦争遺跡ガイド20121007-2
愛知の戦争遺跡ガイド という文献に所在地が掲載されていました。
高射砲の陣地は2ヶ所にあって、片方は現在は駐車場になっているようです。
これは大きな手掛かりです。では、もう一ヶ所は・・・


1985郷土の歴史20121007-3
守山東中学校 の「郷土の歴史」に、1985年当時の中学生が、
地元の古老に聞きとり調査をしたレポートが掲載されていました。
それによれば、現在の殉国慰霊塔のある場所に第2中隊があったとのことです。
高射砲陣地の場所特定はプロットされていませんが、これも大きな手掛かりです。



縮小1948米軍USA-R1595-1
1948年の、米軍航空写真 でこれらを見ると、確かに現在の駐車場にほぼ円形の
陣地らしきものが見えます。また現在の殉国慰霊塔のあたりにも建物らしきものがあります。
しかも両者の間には別の陣地のような塊と、その南側、池の近くに兵舎のような建物が
たくさん写っています。「愛知の戦争遺跡ガイド」と守山東中学校の「郷土の歴史」の記述を
裏付けるような写真証拠が得られたと思います。

とりあえず、これを取りかかりに調査を進めてまいります。
[ 2012/10/07 06:27 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)
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Author:加藤
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