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アメリカ村(補遺) ③

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[ 2017/08/27 12:57 ] 戦跡 | TB(-) | CM(-)

アメリカ村(補遺) ②

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[ 2017/08/27 11:31 ] 戦跡 | TB(-) | CM(-)

アメリカ村(補遺) ①

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[ 2017/08/26 10:32 ] 戦跡 | TB(-) | CM(-)

戦争展2017(3)

戦争展6
守山の戦跡
「平和のための戦争展守山」さんによる展示パネルを拝見しました。




戦争展7
ガスタンク(新守山)
展示パネルの中から一つですが、ガスタンクを取り上げさせていただきます。
大変大きな構造物ですので、比較的遠くからでも見ることができますが、場所としては
アピタ新守山店の向かい、南側になります。
この巨大なガスタンクが旧陸軍造兵廠鳥居松製造所にガスを供給していたとは知りませんでした。
また、戦争展当日、ご説明係としていらした旧知の岡田先生によれば、その当時は球形ではなくて
円筒形であることもご説明いただきました。



勝川今昔ものがたりガスタンク
勝川今昔ものがたり より
春日井市勝川の著者・長谷川さんが「昭和20年の春」、「南西の空にB29の編隊が見られ」、
「日本の高射砲が迎撃」と書かれているページです。
このページの左下に円筒形の構造物が描かれています。
亡き小島さんとこのカットを見ていたときに、小島さんは即座にガスタンクだと仰いましたが
これがそうなのか・・・



守山市史ガスタンク
守山市史 より
国鉄・新守山駅建設の様子を撮影した写真
盛り土をして線路の地盤を作り、架道橋をかけて往来ができるようにしてあります。
このトンネルのように見られる橋の名称が守山第三架道橋で、もしかしたら現在の
アピタ新守山店のすぐ東側の橋かも知れません。
この写真に円筒形の構造物が写っています。これがガスタンクなのでしょうね。

守山第三架道橋についてはまた後日ということで・・・

戦争展2017についての記事は以上です。
[ 2017/08/19 10:20 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(2)

戦争展2017(2)

戦争遺跡研究会20170813(1)
戦争遺跡研究会のブース
行った日時が悪かったのか、どなたもいらっしゃいませんでした。
清水先生がいらっしゃったらご挨拶をと思っておりましたが、アポなしではいけませんね。
昔は軍人像が千種区の平和公園にたくさんあって、小学校の低学年のときにセミ取りに行き、
おびただしい軍人像にまるで取り囲まれたような恐怖感から、早々に帰宅した記憶があります。
これらの像の多くは平和公園から撤去されて、現在は知多のお寺に移設されたと聞いています。



戦争遺跡研究会20170813(2)

戦争遺跡研究会20170813(3)
[ 2017/08/15 16:04 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

アメリカ村(SMITH TOWN) ③

 スミスタウン関係の文書類は愛知県公文書館に収蔵されています。
他に多くの駐留軍住宅があったにもかかわらず、その記録は一切なく、スミスタウンのみが
文書保管されてきたのには理由があります。

 その理由を文書から拾い読みすると、昭和31年1月、スミスタウンの建築請負業者と
発注者(駐留軍、愛知県ではなく、民間業者)との間の「住宅建築工事代金支払いに関して
契約不履行についての嘆願書が県に提出された」ことによります。
それについて県が第5空軍の住宅課に問い合わせを入れ、第5空軍より軍は関知せずの
回答がありました。その経緯として保管されるに至ったものと思います。

 人名、会社名は当ブログ記事には何ら必要事項ではありませんので、ここでは非公開に
しておきます。また契約不履行の内容につきましても題意ではありませんので省略します。

 これらの文書の中で記されている文言から、はからずも史実として明確になった
ことがらがいくつかあります。

 まず「スミスタウン」の呼称ですが、第5空軍に宛てた照会の返信中に記されている英名は
"Smith Town, Dependent Housing area for Security Forces at Moriyama" となっています。
つまり拙訳ですが、スミスタウン:在守山 (米空軍)通信隊家族住宅街区でしょうか。
文書の日付は1956年1月27日で、米陸軍第5航空隊所属第1通信隊が大府へ移駐する
段階かつ、第5空軍の本部が入る前、しかし編成上は陸軍から空軍が独立したあと、という
時期かと思います。

 次にスミスタウンの建設時期ですが、「嘆願書」によれば昭和30年8月から建築となっています。
「嘆願書」から読み取れる経緯としては、昭和29年に駐留軍住宅建設の話が「発注者」からあり、
同年猪高村(現在の名東区)にモデルハウスを作って観覧に供したところ好評で、
「発注者」は猪高村付近に150戸の建設を企画しましたが土地の入手が困難で、
守山市牛牧字ハナレ松に土地を確保しました。

 昭和30年8月2日付けで、第5空軍住宅課より約200戸の駐留軍用住宅建築の通知が
あり、まず44戸がスミスタウンとして建築されることになりました。(その内の1戸は監理事務所)
スミスタウンは昭和30年10月1日に10戸、10月16日に16戸が竣工し、他には嘆願書作成時点で
工事完成が2戸、未完成1戸、未着手15戸となっていて、嘆願書訴えの経過にもよっては
未着手15戸はそのまま作られなかった可能性もあり、空中写真で白沢川の北側に
住宅が写っていなかった理由がそれかも知れないと考えれば合点がゆくというものです。

 3回に分けて掲載のスミスタウンに関しては以上で終了です。

おわり 
[ 2017/08/15 11:58 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(2)

アメリカ村(SMITH TOWN) ②

スミスタウン配置図部分拡大
配置図の部分拡大
 先の「SMITH TOWN 配置図」の左上に、このスミスタウンの立地図がラフに書かれています。
これを拡大したのが上の画像です。文字情報としてそこに記されているのは「竜泉橋」、「白沢
バス停留所」、そして「水路」の三つです。

 橋の名前が変わるのはままあることで、もしかしたら現在の「白沢橋」をむかしは、と言っても
昭和30年頃は「竜泉橋」といったのかも知れませんが、今のところは未確認です。
余談ですが、上の部分拡大図で白沢バス停留所から左に折れて、スミスタウンと白沢川を
横断する道路があります。ここに架かる橋は、現在は見返橋となっていますが、ここも
むかしは小坂橋といったそうです。小坂町の町名消失とともに見返橋に変わったものと
思います。

 次に「白沢」バス停留所ですが、現在は図示の位置と思しきところには、名古屋市バスの
「緑ヶ丘住宅」バス停があります。時代は少し新しくなりますが、旧守山市発行の広報誌
「もりやま」名守合併記念1963年版によれば、この位置にあった国鉄のバス停は
「白沢口緑地公園前」になっています。

 三つ目の「水路」は白沢川のことで間違いはないでしょう。



スミスタウン航空写真19590525(昭34)
昭和34(1959)年の空中写真
中央に不規則な湖岸のような形の白沢川が見られます。
ボートが浮かべられ、プールとしても使われていた頃でしょうか。
その貯水地の右側にスミスタウンが細長く連なっているのが見られます。
しかし昭和32年の第5空軍の撤退から2年が経過し、白沢川を挟んで北側の街区が消滅して
何やら整地されているようにも見られます。
(空中写真は国土地理院の国土変遷アーカイブスより)

つづく

[ 2017/08/15 09:52 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

戦争展2017(1)

戦争展1
2017あいち平和のための戦争展
今年はいつもの鶴舞公会堂が工事のために使えないので、名古屋ドーム近くの、市民
ギャラリー矢田で開催されました。2階に連絡通路があり、イオン、名古屋ドームと
繋がっていますので、とても便利です。



戦争展2
戦争展のポスター
いわさきちひろ風のほんわかとしたデザインでセピア調なのがイイですね。



戦争展3
名古屋・学童疎開を記録する会
亡き小島さんの関係された会で、こちらの展示を手伝いさせていただいたこともありました。
中央に展示されている紙芝居のカットは小島さんの直筆を縮小したものです。



戦争展4
小島さんの紙芝居
こうした絵を苦も無く作られる小島さんにはいつも感心させられました。
私のノートパソコンにはこの紙芝居が入れてあって、小島さんが戦争展やピースあいちで
紙芝居講演をされるときにスクリーンへの投影のお手伝いをさせていただきました。
この展示を見て、よき師との思い出がよみがえりました。



戦争展5
取材を受ける晩年の小島さん
たしか読売新聞だったか、「どこで聞いたのか知らんが、取材にみえてね」とお話に
なられていました。またそのご縁だったと思いましたが、ピースあいちでの紙芝居
講演のときにも取材してくださり、新聞に載せて下さりました。

つづく
[ 2017/08/14 10:04 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(2)

名城大学鷹来農場見学会(2)

7月17日に、名城大学鷹来農場見学会に参加しました。
前記事 http://icr7700.blog.fc2.com/blog-entry-421.html

実はこれ、きっかけは関東からのお客様をご案内する案件があって、
以前ご挨拶をしたことがあった本学の先生に、農場への立ち入りについて
お伺いを立てたのがはじまりでした。

ところが驚くことに、先生による農場での見学ツアーがまさしく直近で予定されていて、
関東からのお客様の日程が間に合わない中、私も自身言いだしっぺのヤマユリ鑑賞会を
ドタキャン&1日繰り上げしてこちらの見学ツアーを優先させました。

余談ですが、ヤマユリ鑑賞会の私のお友達も巻き込んで農場見学に参加し、
1日繰上げのヤマユリ鑑賞は無事に終了しました。

そのような経緯があったうえでの7月17日名城大学鷹来農場見学会は前記事のとおり
無事に参加できましたが、本日はその関東からのお客様をご案内する日となりました。
2回目の来訪の意は、7月17日にすでに本学の先生にお願いしてありまして、
私にとっても記憶の新しいうちにご案内することができました。

王子バラ園20170728
王子バラ園
関東からのお客様方をJR春日井駅で私の車に乗り換えていただき、最初の訪問地は
王子バラ園でした・・・・違います。王子製紙(株)春日井工場でした・・・・まだ少し違います。
旧陸軍鳥居松工廠があった現在の王子製紙です。
まず敷地の外周を車でひと回りして、引込線の線路の確認、旧軍の遺構の有無の確認を
してから上の写真のバラ園へとご案内しました。



鷹来線分岐点20170728
鷹来工廠への引込線分岐点
旧名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所への引込線は、JR春日井駅からしばらくは中央本線と並走して、
北上し、写真の橋のところで大きくカーブしながら本線から離れて行きました。
現在その経路はほとんど市道となって、区画整理された市街地の中に妙なカーブの道と
なって残っています。



鷹来線鉄橋跡20170728
今に残る鉄橋の跡
この角度からの写真はあちらこちらでよく見かけます。
普通は廃線になると順次撤去されるものだと思いますが、なぜかここの鉄橋だけはこうして
戦後70数年も残っています。



鷹来製造所通用門の一つ20170728
鷹来製造所通用門の一つ
当時の鷹来製造所の敷地は大変広大で、現在はその跡地が前述の名城大学農学部付属農場や
パナソニック、水道局浄水場、春日井市民病院、スポーツセンターなどになっています。
この写真は現在の水道公園の敷地角にある当時モノの通用門の遺構です。
このあと、私たち一行は名城大学の農場に入り、往時の製造所本部建物の周りを散策させて
いただきました。




中部管区警察学校遺構20170728
名古屋陸軍幼年学校の遺構
次に向かった先は旧名古屋陸軍幼年学校の跡地遺構です。
跡地の外周を散策したところ、写真の通用門を見つけました。
もちろん開かずの扉になっています。
時間がよくなってきたところで、餃子の王将でお昼ご飯にしました。




小牧空港引込線跡20170728
小牧空港引込線の跡
小牧空港の東側を走る県道小牧線を斜めに横切るような形で引込み線が通っていました。
旧軍時代から昭和40年代まで航空燃料などを基地に運搬していたとのことです。
踏切信号のような遺構もありました。




田縣神社20170728
田縣神社
暑い中での戦跡めぐりで少しお疲れかもと思い、田縣神社にご案内しました。
そうです、あの天下の奇祭の田縣神社です(笑)
シンボル的な大小おびただしい数の奉納物で、お疲れが癒されましたらよかったのですが。
そういえば御朱印帳をお買い求めになられていらっしゃいましたね!
私は買ったところで、家に持って帰るのが少し恥ずかしかったので、また今度
奥さんと一緒のときに買います。

このあと、案内役の私めは写真を撮るのをさぼってしまいましたが、帰途につきまして、
途中で、小幡緑地公園の高射砲陣地跡、兵舎跡、小幡が原演習場境界標柱、
騎兵連隊専用水道の敷地境界標柱、森孝の補給廠守山分廠境界標柱に
ご案内しました。

お客様には超ハードな探訪を強いてしまい大変申し訳ない気持ちです。
ご帰宅後はどうぞゆっくりと疲れを癒していただきたいと思います。

いろいろな余談、ハプニングはまた後日談で・・・(笑)
[ 2017/07/28 22:46 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

名城大学鷹来農場見学会

名城大学農学部付属農場本館20170717(3)
陸軍工廠遺構見学会
春日井市鷹来町の総合体育館前交差点にある石碑
名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所跡と刻まれています。
本日はこの遺構の見学会に参加させていただきました。



名城大学農学部付属農場本館20170717(1)
現在の名城大学農学部付属鷹来農場の本館
石碑のあった交差点から500mほどで名城大学付属農場の入口に到着します。
ここの本館建物は、旧名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所の司令部が入っていた建物で、
本館入口の時計盤は針はありませんが当時ものだそうです。
時計の下方に★形の跡がありますが、旧陸軍のシンボルマークです。
CGで★形に赤く塗って、軍服姿の俳優さんが出入りすれば、たちまち戦争中のロケが
できそうな雰囲気ですね。
手前の池はこれまた当時からあった防火水槽だと思います。




名城大学農学部付属農場本館20170717(2)
こんな環境で農業実習や研究ができる若い人たちにエールをお送りしたいです。

本日こうして見学の機会をいただき、現地指導をしてくださいました名城大学の先生と、
同行してくださいました学生さん、そして付属高校の先生に厚くお礼申し上げます。
[ 2017/07/17 22:38 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

八龍市民緑地の陸軍境界標柱

八龍湿地20170501(10)
旧陸軍境界標柱
 守山区には終戦時まで陸軍演習場や、師団があったことから、多くの境界標柱がいまだに
現存しています。本日は有志による散策会で、八龍市民緑地を中心に散策してきました。
新緑の清清しい中、せせらぎの音に癒されて遊歩道をゆるーく、のたりたのたりと散策。
 標柱はこれ1本だけかと思ったら、帰り道に長老がもう1本見つけてくれました。
池のほうを向いて陸軍と刻まれ、遊歩道からは何もない背中が見えるだけなので
ぼーっと見だと気が付かないかも知れません。


八龍湿地20170501(8)
 これってなんの花?
 この愛らしさは庭木にしても十分すぎるほど可憐ですよね。
長老はご自宅のヒメリンゴの花に似ているといわれました。

5/4は戦跡つながりで、小幡緑地公園を有志で散策します。
[ 2017/05/01 21:13 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(2)

小幡緑地の高射砲陣地(2)

これまでの経過をここにまとめておきます。

小幡緑地公園の高射砲陣地に関しては、平成12年10月7日の当ブログで少し書きました。
小幡緑地公園の高射砲陣地

その後、得られた知見をまとめて、平成14年8月7日に、名古屋市鶴舞公会堂にて発表をしました。
2014あいち・平和のための戦争展

ほぼ同じ内容ながら、より守山郷土史愛好家向けにアレンジして、
平成14年9月20日の守山郷土史研究会の月例会で発表しました。
守山郷土史研究会にて研究発表

内容を守山区全域の高射砲部隊に拡大し、守山郷土史研究会の会報「もりやま」、
第34号に投稿、掲載していただきました。
会誌「もりやま」バックナンバー

小幡緑地内にあった龍泉寺陣地の現地調査は、戦後70年の経過で樹木が繁茂し、冬季限定で進めております。
新たな知見もごくわずかありますので、近日、少しずつこの場で公開してゆく予定です。
[ 2015/12/27 13:30 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

戦災・空襲記録づくり 第30回東海交流会

20141214(1).jpg
戦災・空襲記録づくり 第30回東海交流会

師事する小島さんの代理で行ってきました。
朝10時から16時まで、長かった・・・
戦争遺跡の清水先生にお会いできました。
金子 力先生のご尊顔を拝することもできました。
名城大学の先生方とも名刺交換できました。
閉じこもっていちゃーダメよ~ダメダメってやつですね。
[ 2014/12/14 21:32 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

守山に存在したか?陸軍気球隊

鳥羽見分教場 の建設に旧軍の建築古材を使ったことは先日のブログで書きました。
同校の社会科副読本として、開校30周年記念に製作された「郷土 鳥羽見」には、
その旧軍を「元補給廠」と書いてあります。
多くの部分を元補給廠の古材でまかなったものと推定しますが、なかにはこんな
部隊からの古材流用もありました。


気球隊古材売払申請書1
国有資産の払下申請書
ただし、年月日が記されていないのと、移転後の使用目的を記した「別紙」がないので
断定はできませんが、これも鳥羽見分教場建築古材の一部であったろうと推定します。
ここでは申請書中の黄色で囲んだ部分に注目します。
所在地に続いて「種目」の項があり、そこには「守山気球隊バラック建」の文字が判読できます。



雑種財産売払申請書見取図sノースアップ
払下申請の見取図
ちょっと見づらいのですが、上を北にしたかったので、建物等の名称が横になってしまいました。
図面下の大きな敷地には「元 騎兵連隊跡」と書かれています。
現在の守山自衛隊がある敷地のことです。
そこから図面上に向かって細長く描かれているのが「気球隊 バラック建」、
その上にカギ形に描かれているのが「気球板壁」です。
申請書に書かれている黄色の囲み部分の「種目」と合致することから、
申請書の添付図面か、申請書を起案するときに使った見取図だったと思われます。
さて、その守山気球隊はどこにあったのか?



気球隊19460528米軍空中写真
昭和21年の米軍写真
この写真は先日の鳥羽見分教場の記事で使ったものを、部分的に拡大したものです。
写真の左端にその鳥羽見分教場の校地が見えるでしょうか?
さて、この写真と先ほどの見取図を見比べると・・・
見取図によれば、連隊の敷地の北辺中央あたりから北へ「気球隊バラック建」があり、
その北にカギ形の「気球板壁」があることになっています。
いかがですか?
旧守山市民病院か、あるいはその西隣くらいが、そんなふうに見えませんか?

そして気球隊とは?
飛行船形の気球、気象観測のための気球、・・・
たぶん後者だと思いますが、あったんでしょうね?
[ 2014/08/28 10:51 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

緑丘商業高校とその南側(3)

緑丘商業建築中 もりやま1961


緑丘商業 MCB631-C1-16 19630507

1963年5月撮影の航空写真
緑丘商業高校は立地環境の良さもあり、生徒数が急増したとのことで、
創立間もなく増築となりました。

守山市史の刊行が昭和38(1963)年1月なので、上の1963年5月撮影の航空写真と半年くらいの
違いかと思います。

建築中の写真は旧守山市の広報誌「もりやま」1963に掲載されたものです。
[ 2014/04/24 22:30 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

緑丘商業高校とその南側(2)

緑丘商業 MCB613-C11-3375 19620506

1962年5月の航空写真から
写真中央の、山を切り開いたところに一棟だけあるのが、緑丘商業高校です。
その真南に二つの小さな池があります。
守山市史の写真は、この二つの池の間から緑丘商業を見上げるように撮影したものと推察します。

二つの小さな池の左側にあるのが自衛隊の宿舎です。
いまでも同位置に自衛隊の団地が建っていますね。
[ 2014/04/23 22:29 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

緑丘商業高校とその南側(1)

緑丘商業高校 守山市史blog用

愛知県立 緑丘商業高校
故あって緑丘商業とその南側地域の変遷を調べることになりました。
あまり深くは調べを掘り下げられないかも知れませんが、今年の9月の守山郷土史
研究会の例会で研究発表をさせていただくつもりです。
短期決戦になるので、ダラダラと進めないように気合を入れます。

この写真は守山区の前身、守山市の歴史書「守山市史」から借りました。
今では自衛隊の団地とかあって、302号線からはチラ見しかできませんが、
創立間が無い緑丘商業です。
現在グラウンドになっている場所は、その当時は急斜面の崖と池だったようです。

研究発表のテーマは学校ではなくて、どちらかと言うと池およびその周辺と言うべきですが、
このブログでは一般公開する記事の性格上、ブログタイトルの通りとしました。
[ 2014/04/22 22:57 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

小幡緑地の高射砲陣地

現在地20121007-1
高射砲の陣地
太平洋戦争中、小幡緑地の山には高射砲の陣地がありました。
しかし戦後67年が経過して、そこに戦争遺産の立て看板でも無い限り、場所を特定するのは
年々難しくなり、ご存知の方々の記憶も風化してきます。



愛知の戦争遺跡ガイド20121007-2
愛知の戦争遺跡ガイド という文献に所在地が掲載されていました。
高射砲の陣地は2ヶ所にあって、片方は現在は駐車場になっているようです。
これは大きな手掛かりです。では、もう一ヶ所は・・・


1985郷土の歴史20121007-3
守山東中学校 の「郷土の歴史」に、1985年当時の中学生が、
地元の古老に聞きとり調査をしたレポートが掲載されていました。
それによれば、現在の殉国慰霊塔のある場所に第2中隊があったとのことです。
高射砲陣地の場所特定はプロットされていませんが、これも大きな手掛かりです。



縮小1948米軍USA-R1595-1
1948年の、米軍航空写真 でこれらを見ると、確かに現在の駐車場にほぼ円形の
陣地らしきものが見えます。また現在の殉国慰霊塔のあたりにも建物らしきものがあります。
しかも両者の間には別の陣地のような塊と、その南側、池の近くに兵舎のような建物が
たくさん写っています。「愛知の戦争遺跡ガイド」と守山東中学校の「郷土の歴史」の記述を
裏付けるような写真証拠が得られたと思います。

とりあえず、これを取りかかりに調査を進めてまいります。
[ 2012/10/07 06:27 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)
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プロフィール

加藤

Author:加藤
守山区在住の歴史、自然、イベントファンです。
散策仲間を常時募集しています。
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