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アメリカ村(補遺) ③

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[ 2017/08/27 12:57 ] 町並 | TB(-) | CM(-)

アメリカ村(補遺) ②

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[ 2017/08/27 11:31 ] 町並 | TB(-) | CM(-)

アメリカ村(補遺) ①

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[ 2017/08/26 10:32 ] 町並 | TB(-) | CM(-)

アメリカ村(SMITH TOWN) ③

 スミスタウン関係の文書類は愛知県公文書館に収蔵されています。
他に多くの駐留軍住宅があったにもかかわらず、その記録は一切なく、スミスタウンのみが
文書保管されてきたのには理由があります。

 その理由を文書から拾い読みすると、昭和31年1月、スミスタウンの建築請負業者と
発注者(駐留軍、愛知県ではなく、民間業者)との間の「住宅建築工事代金支払いに関して
契約不履行についての嘆願書が県に提出された」ことによります。
それについて県が第5空軍の住宅課に問い合わせを入れ、第5空軍より軍は関知せずの
回答がありました。その経緯として保管されるに至ったものと思います。

 人名、会社名は当ブログ記事には何ら必要事項ではありませんので、ここでは非公開に
しておきます。また契約不履行の内容につきましても題意ではありませんので省略します。

 これらの文書の中で記されている文言から、はからずも史実として明確になった
ことがらがいくつかあります。

 まず「スミスタウン」の呼称ですが、第5空軍に宛てた照会の返信中に記されている英名は
"Smith Town, Dependent Housing area for Security Forces at Moriyama" となっています。
つまり拙訳ですが、スミスタウン:在守山 (米空軍)通信隊家族住宅街区でしょうか。
文書の日付は1956年1月27日で、米陸軍第5航空隊所属第1通信隊が大府へ移駐する
段階かつ、第5空軍の本部が入る前、しかし編成上は陸軍から空軍が独立したあと、という
時期かと思います。

 次にスミスタウンの建設時期ですが、「嘆願書」によれば昭和30年8月から建築となっています。
「嘆願書」から読み取れる経緯としては、昭和29年に駐留軍住宅建設の話が「発注者」からあり、
同年猪高村(現在の名東区)にモデルハウスを作って観覧に供したところ好評で、
「発注者」は猪高村付近に150戸の建設を企画しましたが土地の入手が困難で、
守山市牛牧字ハナレ松に土地を確保しました。

 昭和30年8月2日付けで、第5空軍住宅課より約200戸の駐留軍用住宅建築の通知が
あり、まず44戸がスミスタウンとして建築されることになりました。(その内の1戸は監理事務所)
スミスタウンは昭和30年10月1日に10戸、10月16日に16戸が竣工し、他には嘆願書作成時点で
工事完成が2戸、未完成1戸、未着手15戸となっていて、嘆願書訴えの経過にもよっては
未着手15戸はそのまま作られなかった可能性もあり、空中写真で白沢川の北側に
住宅が写っていなかった理由がそれかも知れないと考えれば合点がゆくというものです。

 3回に分けて掲載のスミスタウンに関しては以上で終了です。

おわり 
[ 2017/08/15 11:58 ] 町並 | TB(0) | コメント(2)

アメリカ村(SMITH TOWN) ②

スミスタウン配置図部分拡大
配置図の部分拡大
 先の「SMITH TOWN 配置図」の左上に、このスミスタウンの立地図がラフに書かれています。
これを拡大したのが上の画像です。文字情報としてそこに記されているのは「竜泉橋」、「白沢
バス停留所」、そして「水路」の三つです。

 橋の名前が変わるのはままあることで、もしかしたら現在の「白沢橋」をむかしは、と言っても
昭和30年頃は「竜泉橋」といったのかも知れませんが、今のところは未確認です。
余談ですが、上の部分拡大図で白沢バス停留所から左に折れて、スミスタウンと白沢川を
横断する道路があります。ここに架かる橋は、現在は見返橋となっていますが、ここも
むかしは小坂橋といったそうです。小坂町の町名消失とともに見返橋に変わったものと
思います。

 次に「白沢」バス停留所ですが、現在は図示の位置と思しきところには、名古屋市バスの
「緑ヶ丘住宅」バス停があります。時代は少し新しくなりますが、旧守山市発行の広報誌
「もりやま」名守合併記念1963年版によれば、この位置にあった国鉄のバス停は
「白沢口緑地公園前」になっています。

 三つ目の「水路」は白沢川のことで間違いはないでしょう。



スミスタウン航空写真19590525(昭34)
昭和34(1959)年の空中写真
中央に不規則な湖岸のような形の白沢川が見られます。
ボートが浮かべられ、プールとしても使われていた頃でしょうか。
その貯水地の右側にスミスタウンが細長く連なっているのが見られます。
しかし昭和32年の第5空軍の撤退から2年が経過し、白沢川を挟んで北側の街区が消滅して
何やら整地されているようにも見られます。
(空中写真は国土地理院の国土変遷アーカイブスより)

つづく

[ 2017/08/15 09:52 ] 町並 | TB(0) | コメント(0)

アメリカ村(SMITH TOWN) ①

終戦後の 昭和20(1945)年10月、守山の連隊にはアメリカ陸軍第25歩兵師団がやってきました。
彼らが昭和21(1946)年2月に大阪に移駐したあと、米陸軍第5航空隊所属第1通信隊が昭和21(1946)年6月より
無線テレタイプ通信の業務を開始しました。

昭和29(1954)年から翌昭和30(1955)年にかけて、名古屋の都心にあった第5空軍本部や他の部局が入る
新しい建物を守山に作るために、駐屯地にあった多くの古い建物を取り壊し、通信隊の無線通信機や
アンテナは大府の通信所に新たに再構築されました。

昭和31(1956)年、第5空軍本部は名古屋から守山に移駐しましたが、移駐まもなく昭和32(1957)年9月には、
再び東京の府中へと移って行きました。
ここまでは ‘Moriyama Compound Today’, 14 February 2004 より抄訳して引用しました。
本日の話題は、この第5空軍が守山にやってきた昭和31年頃のお話です。


アメリカ村
終戦後、進駐してきたアメリカの軍人、軍属が居住した地区を、当時の日本人はアメリカ村などと
呼んでいました。そして、ここ守山でも同じようにアメリカ村と呼んでいました。

その話題はしばらく私の中でもネタとして温存していたら、使うのをすっかり忘れておりました。
先日赤井さんとの会話の中で、「陸軍の境界標柱を思わぬところで見つけて、近くで魚釣りをしていた
おじいさんとそのことを話していたら、この近くにアメリカ村があってねと聞きましたよ」、とのことでした。

私はとっさにスミスタウンのことだと直感し、ブログネタとして記憶の中に仕舞っぱなしにしていたことを
思い出して、本日は記憶を整理して、他の資料で補完しながらブログにまとめています。


スミスタウン
今からご紹介する守山区におけるアメリカ村のことを、正式にはスミスタウンと呼称したのか
そこまではよくわかりませんが、以下スミスタウンと書きます。

第5空軍の本部が守山に来ると決まって昭和30(1955)年5月13日に守山地区日米地方連絡
協議会が設立されました。そうした中でおそらく愛知県から米軍居住用の住宅用地確保と
住宅建設の指示が守山市にあったのかと思います。


スミスタウン
スミスタウンの配置図
小幡緑地公園本園に県道に面して見返池(通称しゃぼ池)があります。
今では名進研小学校の北西側で、白沢川の水源池と言ったほうがわかりがよいかも知れませんが。
その県道と、見返池から流れ落ちた白沢川の交差する位置の橋が「白沢橋」で、その橋から下流に向かって、
白沢川の両側に44軒の住宅が作られました。
上の配置図のタイトルは「SMITH TOWN U.S」となっていて、おそらくこれが正式名称だと
思われます。
竹元さんによれば、このアメリカ村には米軍の将校が住んでいたとのことです。

つづく
[ 2017/08/14 20:21 ] 町並 | TB(0) | コメント(5)

御菓子司・大泉堂

大泉堂地図
御菓子司 大泉堂さん
和菓子の大泉堂(だいせんどう)さんは、名鉄瀬戸線「大森・金城学院前」駅から南下し、
瀬戸街道・大森交差点を東に折れて約100mのところにあります。


大泉堂正面
お話をうかがったご主人は昭和16年のお生まれで、同店の二代目ということです。
先代はもともと車道(くるまみち)で和菓子店を営んでいらして、戦争の悪化で大森に
疎開されてきたそうです。
先代は中国戦線から復員後しばらくは矢田の三菱に勤務されていて、砂糖の入手が
回復した頃にお店を再興されました。
お店の奥では忙しそうに働く三代目のお姿もありました。


銘菓瀬戸街道
銘菓・瀬戸街道
名古屋名物両口屋さんの千なりのような形をしています。
千なりは小豆の粒あんですが、瀬戸街道はこしあんです。
ほかに「棒の手」「葵泉最中」を買い求めて帰りました。

そうそう、お店の裏手に弘法堂がありますが、何年か前に熱心な方がお亡くなりになって、
そのときに弘法様を大森寺さんにお引取りいただいたそうです。
その弘法堂は、今ではときどき御詠歌の会が使われるくらいだそうです。
[ 2016/07/30 13:36 ] 町並 | TB(0) | コメント(2)

町並み(守山)

守山探検隊 まちあるきイベントの帰り道、瀬戸街道「守山」交差点近くでの撮影。
歴史のある町並みには、白黒やセピアカラーの写真が似合います。


小川水道工事店20121103-2
逞しく太い文字で書かれた看板が往時をしのばせます。
ご店主は実直で豪快な親方だったのかなぁと、しばらくもの思いにひたりました。
失礼ながら、もうご商売はされていらっしゃらないのでしょうか。



小川水道工事店20121103-3
おやっ、「守山市協力補助員」の門票がありますね。
ということは、守山区制50周年ですから、こちらの工事店さんは50年以上!



小川水道工事店20121103-4
丸いプレートには「守山町」の文字がかろうじて見えます。
これは50年どころの歴史ではありません。
随分歴史がある工事店さんだったんですね。今度ご挨拶にお邪魔しましょう。
[ 2012/11/08 06:13 ] 町並 | TB(0) | コメント(0)
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