わが町 守山区 TOP  >  自分史にほんブログ村 人気ブログランキング

愛知県公文書館

愛知県公文書館
市役所西庁舎の西隣に自治センターがあります。
その7階と8階にあるのが愛知県公文書館です。
本日はわが家のルーツ探しに行きました。


20130417-1.jpg
わが家の最古の戸籍
わが家は愛知県豊橋市の出身で、この最古の戸籍には「豊橋村433番戸」と書かれています。
永らくこの番地がどこなのか気になっていました。
今回の愛知県公文書館行きは、同館が収蔵する明治17年の地籍図の閲覧が目的でした。
事前に同館のホームページで、渥美郡豊橋村の地籍図が収蔵されていることを確認して
おりましたが、一筋縄には進みませんでした。



20130417-2.jpg
これが地籍図です
最大の問題は、豊橋村の下に本来は字名があるのですが、それが戸籍には記載されていないことです。
字名があろうと無かろうと、番地が1番からn番まで、豊橋村単位で連番であれば
そんなに苦労はしなかったのですが、どうも各字単位で連番になっていて、
字名が決まらないと、どの小字の番地なのかが特定できません。
さいわいなことに433番という大きな数字は、この地籍図の「旭町」にしか存在しませんでした。



20130417-3.jpg
地籍図の全体
かっての(旭町)433番が現在のどこなのかが次の問題となりました。
現代で言うならば住宅地図の、とある片隅をコピーしたような状態ですから、
目印となるものを使って現在の地形に当てはめないと、433番がどこなのか特定できません。
地籍図の全体図から、大きな範囲をコピーしてもらいました。
そこには現在も存在する「花谷院」「談合神社」がはっきりと記載されていました。
これらが明治17年当時と現在とで同じ場所にあったと仮定すると、めざす433番が
特定できそうです。



20130417-4.jpg
Googleマップにて
だいたい同じあたりを閲覧し、「花谷院」「談合神社」から東へどれだけ、北へどれだけと
定規をあてると、マップの赤丸あたりになりました。
驚くべきことに、旭町の道路はかっての条里制のような極端な縦長の区割りが
現在もほぼ同じに残っているのがわかります。

永年気がかりだった戸籍の所在地がこれでほぼ特定できたことで、
私のルーツ探しは次のステップに進めそうです。
スポンサーサイト
[ 2013/04/17 20:44 ] 自分史 | TB(0) | コメント(0)

自分史探訪(1)

20120912-1.jpg

守山区ではありませんが、自分史のレポも織り交ぜてゆきましょう。
豊橋市の西光寺さんに、母と叔母の運転手をして来ました。
このお寺には母の実家と、母の親友のお墓があります。
今から10数年前、亡き祖父の墓参に訪れた時、何気なく墓地をふらふらしておりましたら
思いがけず父方の墓石を発見しました。
父方にはすでにここが菩提寺との伝承が失伝していただけに、私の当時の驚きは
筆舌に尽くしがたいものがありました。
そういうのをご先祖様のお導きというのだと、信心などカケラもないくせに感心したものです。

今回は父方の叔母にも是非見てもらいたくて同道願ったわけです。
10数年ぶりのご無沙汰の間に、新しい仏様が増えており、代わりに明治初年の墓石が
無くなっておりました。
墓参のあと豊橋中央図書館の郷土史コーナーで資料探しや、現在の戸主宅を住宅地図で確認したり。

明治末の記憶では、東京からはるばる父と豊橋の実家を訪ね、その当時の家業であった旅館に宿泊。
おねしょをして、お布団と一緒に欄干に干されてしまったと、幼子だった我が祖父の述懐。
昭和30年代に祖父と同居していた叔母が、祖父から聞かされた昔話です。
図書館を出て、住宅地図で確認したその場所に向かうと、現戸主の家と、裏手に地図どおりの
旅館がありました。
旅館で開業をお尋ねしたら明治42年とのこと。
祖父は明治34年の生まれだから、開業時は8歳か。まだおねしょはあったかもしれませんね。

現戸主には100年前の伝承は伝わっているのでしょうか。
今回はアポなしだったので、もう一度、資料、記憶を整理してから連絡をとってみましょう。
普通なら明治11年の分家(他家養子再興)のことなど、失伝しているとは思いますが。
[ 2012/09/14 07:10 ] 自分史 | TB(0) | コメント(0)
FC2カウンター
プロフィール

加藤

Author:加藤
守山区在住の歴史、自然、イベントファンです。
散策仲間を常時募集しています。
ご連絡は右側のメールフォームよりお願いします。
記事に対するご意見、ご感想は各記事の最下行にあるコメントを押してください。

最新トラックバック