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川北ポンプ所

川北ポンプ所位置
川北ポンプ所
名古屋市上下水道局の川北ポンプ所運転状況というページに、所在地は守山区川北町115番地と
あります。 総排水能力は毎分1180立方メートルと書かれていますが、これがどれだけすごいのか
ピンときませんね。
同じく名古屋市上下水道局の雨水ポンプ所一覧にここがリストされていることから、このポンプ所は
集中豪雨などで自然排水が出来なくなった雨水を河川に放水するための施設であることが
わかります。



川北ポンプ所外観
川北ポンプ所の外観
庄内川の堤防道路を散策するとこんな感じで見えてきます。
外壁は優しく淡いグリーンで、水と緑の守山区にふさわしいカラーだと思います。
写真に白いガードレールが写っています。この内側に用水路が流れています。
かっての御用水の水路跡といわれる八ヶ村用水の流れの一つです。
用水路の流れはポンプ所の北東角で分かれて南進するコースもありますので、
このポンプ所は二つの用水路にはさまれて立地しているとも言えましょう。
しかし、この階段はなんのためにあるのでしょうか・・・




川北排水樋管
川北排水樋官
実は川北ポンプ所から階段をとことこっと登ってくると、堤防道路をはさんでこの「ひ管水門」が
あります。ポンプ所と一体で運用されている設備なんですね、階段があるということは。
で、この構造物の屋上に3本のポールがあります。よーく見ると、それぞれにハンドルがついていて
どうやら水門の開閉をこのハンドルで操作するようです。



川北排水樋管銘板
「川北排水樋管」と書かれています。

川北排水樋管銘板2
「門数 3門」というのがすごいですね。
まるで高射砲か軍艦みたいな言葉の響きです。


川北排水樋管2
注意書きがあった!
河川敷に降りて水門を下から見上げたら「注意」書きがありました。
「黄ランプが点灯しサイレンが鳴ると放流口より水が放流されます。危険ですから
近寄らないでください。」と書いてあります。
黄ランプってどこにあるの?ってきょろきょろしたら、こんなところにありましたよ、ええ。
愛知県の、水防上重要な工作物を調べたら、ここ川北ポンプ所の構造は「手動捲掦3門」と
書かれていました。やはり構造体の上に立っているハンドルは3門独立開閉のハンドル
だったのですね。しかし「手動」ですか~、厳しい。


全体
上空から見たところ
上空からこのあたりを観察すると、水門から庄内川の流れに向けて、妙に整地された
グリーンが続いています。そのグリーンの先にはなにやらまた他の構造体が写っていますね。



川北排水口
部分拡大しました
何かよくわかりませんが、ここから先が水になっていますから、ここに放流口があるのでしょうね。
毎分1180立方メートルってことは、1トンタンクが毎分1180個も流れてくるわけなので、
そんなのに飲み込まれたら相当危険なわけです。
ちなみに普通の25mプールの水量は500トンくらいだそうです。プールの倍の水が
たった1分で放水されるのですから、それは大変なものです。
(ポンプ所の排水能力としてです。フルパワー操業なんてそうそうあったら困りますが・・・)

いつか見学したいです。
広報とか注意して見ていないと!
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[ 2017/04/11 19:39 ] 用水路 | TB(0) | コメント(2)

八ヶ村用水より下流の排水

八ヶ村用水から下流側(1)
▲ 八ヶ村用水の水を逃がすルート
八ヶ村用水は名二環の庄内川大橋の下を進み、白沢川の下を伏越という方法で交差した
ところで、堤防下をくぐり抜けて用水路へと導かれています。
上の地図において、八ヶ村用水が堤防の方向へと90度曲がるところ(赤い曲がり線)で、
いまひとつの水路がくねくねと不規則に枝分かれして続いています。



八ヶ村用水取水口20120826-15
▲ 八ヶ村用水と、いまひとつの水路の分岐点
前記事
2012年8月26日 八ヶ村用水

上の写真で、転落防止のグレーチングのような金網がはめ込まれているのが八ヶ村用水で、
八ヶ村用水が向きを90度変えるあたりで、確かにいま一つの水路が画面左方向に伸びています。



八ヶ村用水から下流側(2)
▲ 白沢川河口の改修工事
現在、白沢川が庄内川に落ちるところで、改修工事が行われています。
そのためブルーシートがかけられているところ、これは八ヶ村用水が伏超で下を通り抜けて
いる場所ですが、ここで白沢川の水をせき止めて、その水をポンプを使って八ヶ村用水に
逃がしています。



八ヶ村用水から下流側(3)
▲ 八ヶ村用水と排水路の分岐点
せき止められて、ポンプでくみ上げられた白沢川の水は、八ヶ村用水に逃がされています。
いまは冬で田畑に水の必要のない農閑期ですから、この水は八ヶ村用水へは行かずに、
排水路へと逃がされます。



八ヶ村用水から下流側(4)
▲ まるで「春の小川」のような排水路
例年の冬には水が無いのに、まるで「春の小川」と化した排水路です。



八ヶ村用水から下流側(5)
▲ やがて作業用道路が横切る場所で、地中管に吸い込まれます



八ヶ村用水から下流側(6)
▲ 地中管の反対側(下流側)、遠くに見えるのは松河戸橋
このように、コンクリート護岸も何もない小川です。
ここは庄内川の河川敷ですから、護岸の必要はなし、されど立ち入り禁止のフェンスも看板もなし。



八ヶ村用水から下流側(7)
▲ 排水路沿いには道などはなく、庄内川の護岸下を歩きました
やがて目の前に松河戸橋がせまってきた頃、排水路が再び見えてきました。



八ヶ村用水から下流側(8)
▲ 松河戸橋の下で庄内川に合流する排水路
このページの一番上の画像とだいぶ違っていますが、現状ではこんなかんじで庄内川に
合流していました。
[ 2016/03/12 22:08 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(6)

旧八ヶ村用水跡を探る
▲ 龍泉寺霊園の階段路の下あたりか?
八ヶ村用水の旧取水部は、庄内川の流路が変わってしまったので、今となってはこの流れの
中にあったのであろうとしか推測できません。
その取水口は流れの中に没したにしても、そこを基点にした水路は、上の写真で、
龍泉寺霊園の階段道の真下辺りから先が現存しているかも知れません。
あるいは堰堤からの取水に変更したときに旧用水路は埋め戻しをしたかも知れません。



現在の取水口分岐点
▲ 現在の八ヶ村用水の分岐点
現在の八ヶ村用水をたどると、水路は写真のように土砂が堆積した状態で寸断され、
写真の水溜りの箇所で右側に樋管がのぞいています。



現在の取水口分岐点(2)
▲ 樋管のところはこんなふうになっていました
いかにも後でとってつけた感じの樋管で、これが地中を直角に進んで、堰堤の現在の取水口に
向かっているものと思います。



現在の取水口分岐点(3)
▲ 土砂の堆積の反対側
用水路には土砂が堆積し、そのすぐ下流側には堰堤へ向けての現在の樋管が
確認されました。しかし用水路はそのまま現存していて、堆積していた土砂の向こう側は
数メートル浅瀬の水路が続き、そこから先は地中へと2本の土管で消えていきました。
かってはこの土管部分はトンネルになっていて、トンネルの上に通り道がありました。
これより上流は、庄内川にいたるまで埋められてしまったか、危険な状態ながら、
草木の下に用水路が隠れているのか、確かめようがありません。
仮に暗渠のように現存していたら、不用意に踏み込むと事故になりますので、
これ以上は自重しておきます。
[ 2016/03/11 23:24 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(5)

用水路1959-1960
▲ 今昔マップにて1959-1960国土地理院地形図を表示
今までの考察で使ったマーカーNo.1~5に加えて、①の中切の堰堤の横を北上する
用水路にNo.A~Dをマーキングしました。
マーキングはおのおのの四角囲みの左上が用水路に接するようにしてあります。
このマーキングを今昔マップで透過させて、用水路のその後の変遷確認に使用します。


用水路1976-1980
▲ 今昔マップにて1976-1980国土地理院地形図を表示
庄内川の流路が変わって、取水口であったDポイントは流れの中央になってしまっています。
かわってCポイントが川岸になっていますが、用水路は少し南にしかも点線で描かれていて、
この時点で機能していたのかは疑問です。


19610506.jpg
▲ 1961年3月10日の空中写真
八ヶ村用水の水路を青色で着色し、庄内川との接点(取水口)に赤い矢印を付けました。
これを現在のGoogle Mapに、慎重に方位と縮尺の調整を行ったうえで青色の水路のみを
透過させたのが次の画像です。


GoogleMap八ヶ村用水取水口位置を推定
▲ 現在の写真に透過
非常に細い線で旧の水路を塗っていますので、画像をクリックして元のサイズでご覧下さい。
赤い矢印の先端が旧水路の取水口になります。
つまり、かっての取水口は現在では庄内川の中に没してしまっています。
上で示した今昔マップとまったく同じ結論となりましたので、何も痕跡はないにしても、
「現在のこのあたりに水路が通っていた」との庄内川の写真を撮って締めくくりとしたいと思います。
[ 2016/03/05 22:41 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(4)

取水口国土地理院KK593YZ19590525(昭34)
▲ 昭和34年の国土地理院による空中写真
米軍による空中写真で公開されているものは昭和24年撮影が最後で、次はこの国土地理院撮影の
昭和34年まで間隔が開いてしまいます。
前日のブログで使用した、昭和23年の米軍撮影による空中写真で確認された、八ヶ村用水の
取水口がかなり上流に移動した様子が、この昭和34年の空中写真でもはっきりと確認できます。

また旧取水口と新取水口の中間地点に、中切の堰堤が姿を現しています。
この堰堤の出現は、2016/2/15の拙ブログ「休日ウォーキング 下津尾の渡し跡(3)」で
お示しした次の写真と大変よく符合するものです。

今昔マップ下津尾の渡し1959-1960

さらに、よくよく見れば、八ヶ村用水の水路が地図中の①の右側を通り抜け、北上し、
空中写真と同様な位置にて庄内川より導水しているよう描かれているのもわかります。

こうした用水路や取水口の変遷には大きな理由がありました。
拙ブログの2012年8月23日「八ヶ村用水記念碑」にて引用した碑文を再掲載します。

---------------------------------
八ヶ村用水導水路は昭和二十五年八月庄内川
大出水のため殆んど壊滅に等しい被害を受け
た。時に関係者一同善後策研究の結果国費の
補助を得て恒久的復旧工事の実施を決意し八
ヶ村治水水利期成同盟会を結成市の委託工事
として翌二十六年三月着工した。尓来関係当
局及び地元民必死の努力により幾多の難関を
超え昭和二十九年九月竣工した。この間丹羽
兵助会長の絶大なる尽力の結果県直営の巨費
を投じ床止堰堤復旧工事の完成を見両者相俟
って用水取入の完璧を期することを得地元民
多年の宿望と幸福を達成したのである。
昭和三十五年三月建之
-----------------------------------

従いまして、昭和23年撮影の米軍空中写真には無かった中切の堰堤は、
昭和25年の庄内川の大出水で壊滅的な被害を受けた後の、昭和26年に着工し、
昭和29年に竣工、その結果として1959-1960の国土地理院地図や空中写真に
載っていたわけです。
[ 2016/03/04 22:44 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(3)

取水口CA-144
▲ 米軍空中写真 1946/05/28(昭21)
八ヶ村用水を青色、古道を赤色で着色しました。
赤色で示した古道は、ほぼ現在の愛知霊園の中の園路と重なるものと思います。
それに対して青色の八ヶ村用水は現在よりも随分庄内川寄りにあって、しかも現在の堰堤よりも
325mほど下流で取水していたことがわかります。
青色の用水取水口近くにある堰堤は、現在の中切の堰堤とは異なります。


取水口USA-R1595-1
▲ 米軍空中写真 1948/07/27(昭23)
青色で示した八ヶ村用水の取水口は、おそらく豊富な水量の安定需給を求めて
かなり上流へと移動しております。


取水口USA-R1595-1部分拡大
▲ 取水口付近を拡大すると・・・
青い矢印で示したように、庄内川の川筋に段差ができています。
これはおそらく伝統的な堰堤である「蛇籠」を沈めて、庄内川より取水口に水を
効率よく導入しているのではないかと思います。
また赤い矢印線で示したところに、何やら線が確認できます。
この線は陸地(川砂の堆積した洲)にも及んでいることから、もしかしたら渡し舟用か
渡河用のロープであるかも知れません。
下津尾の渡しでは(渡し舟誘導用の)針金は使っていなかったと記述されていますが、
川筋に対してキレイに直角がでていますので、なんらかの人造的な造作物のような
気がします。
[ 2016/03/03 22:13 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える(2)

取水口Googlemap
▲ Google map では取水口は描かれていない
八ヶ村用水の水路は、あたかも行き止まりのような書き方で始まっています。
実は、用水路は直角に曲がるところから地下埋設となっています。
ですから、これはこれで正しいともいえます。
せめて地中の部分は点線ででも描いてほしいという気もいたしますが・・・
ちなみにYahoo mapでもまったく同じです。両者はゼンリンから提供を受けているので
そういう意味で同じになります。


取水口都市計画図H22
▲ 名古屋市都市計画基本図H22年版でもほぼ同じ
元の基本図は白黒ですが、わかりやすいように水路を水色で着色しました。


取水口都市計画図S39-S43
▲ 名古屋市都市計画基本図S39-S43で見ると・・・!
用水路は堰堤のはるか上流で取水していたことがわかります。


取水口国土地理院
▲ 国土地理院の電子国土基本図には点線で描かれています
しかも先日、ひーひー言いながら踏破した古道のすぐ近くみたいです
[ 2016/03/02 22:46 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水の取水口を考える

20160227歩行ルート(1)
▲ 休日日課のウォーキングルート
いままで何度も古道を見つけられなくて、行く手を阻まれていた、八ヶ村用水の取水口から
先のルートを、なんとか歩くことができて、念願がかないました。


関連記事
2012年8月26日 八ヶ村用水


八ヶ村用水取水口と堰堤
▲ 中切の堰堤と、八ヶ村用水の取水口
この堰堤でダムのように水深を稼いで取水します。
今は農閑期なので取水口は閉じられていて、水は取り込んでいません。


欠下古道(1)20160117
▲ ここが古道の入り口なんだが・・・
1月17日、真冬で雑草、雑木がもっとも少ない時期のはずなのにこのありさま。
それでも10mくらい踏み込みましたが、踏み固められた古道の部分を見失って
このときは断念しました。矢印は入り口の痕跡で、ここから踏み込みましたが
途中で諦めました。


20160227歩行ルート(2)
▲ 2月27日にはこのとおりスッキリ!
これは完全に伐採が入った後です。
たとえ道があったにしても冬以外は有害な鳥獣や虫、マムシ、野犬に遭遇する危険が
ありますから、絶対に立ち入りできません。
これを逃したらと思うと、勇気をもって突撃しました。

[ 2016/02/27 22:22 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

神明用水(4)

もりやま第5号-1
もりやま第5号-2
もりやま第5号-3
もりやま第5号-4

守山郷土史研究会
会誌「もりやま」第5号より転載
[ 2012/08/28 22:43 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

八ヶ村用水

八ヶ村用水のことは前から知っていましたが、取水口の探検調査は背丈ほどもある雑木、
雑草にはばまれ、なかなか踏み込めない場所にありました。
ところが最近除草車が入ってくれて、絶好のチャンスとなりました。
ここが堤防道路から樋門を見たところです。用水路が右にカーブしているのが見えます。

八ヶ村用水取水口20120826-1

樋門の脇の階段を下りて用水路側から撮影。堤防の下を抜けている様子がわかります。

八ヶ村用水取水口20120826-2

この樋門に貼りつけられた銘板には「八ヶ村用水樋管」と書かれています。
1979年の施工で、いまさら八ヶ村の時代でもあるまいなのですが、時代は移り変わっても
固有名詞として生きていたのですね。

八ヶ村用水取水口20120826-3

用水路はカーブのところで枝分かれし、下流にも向かっていました。
これはまた記事を改めてご紹介するとして、本日は上流に向かって歩きます。

八ヶ村用水取水口20120826-4

下の地図で矢印のところが堤防の樋管で、これから取水口の赤マルのところまで歩きます。

八ヶ村用水取水口3

用水路は上流に向かってまもなく白沢川の流れにつきあたります。
用水路に覆いかぶさる金網もそこで途切れています。実は用水路は白沢川の下をトンネルで
通っているのです。これを伏越と言います。

八ヶ村用水取水口20120826-15


除草車が通った跡はとても心地よい道になっています。足を進めるたびにバッタが飛び散り、
ハグロトンボやコミスジが目の前を右に左に行き交います。

八ヶ村用水取水口20120826-6

木々の間から愛知霊園が見えました。
そして見えませんが、実際にはこのブッシュの中を用水路が流れています。

八ヶ村用水取水口20120826-7

除草車はここでUターンしたようです。
そしてここが私の目的地でもあります。

八ヶ村用水取水口20120826-8

暑い中でしたが、バッタやチョウ、トンボと戯れながら、いつしか龍泉寺さんの近くまで
来ていました。Googleの地図でも用水路の青い線はここまでになっています。

八ヶ村用水取水口2

ここから少し雑草をかきわけて庄内川に出ると堰堤があります。
子供たちが水遊びをしていました。深いところでも子供の背丈くらいのようです。
透明度もあって、ひところより随分きれいになっています。
子供たちは対岸に自転車が見えましたので、春日井の子たちのようです。
むかし、庄内川の水遊び場をめぐって、春日井の子と吉根の子が石合戦や取っ組み合いをした
風景が見えるようです。

八ヶ村用水取水口20120826-9

ふと、右手の草むらに目をやると、取水ハンドルの付いた取水口が見えました。
堰堤で水をせき止めて、水かさを上げ、十分な水量を確保します。
そして用水路は庄内川よりも緩やかな勾配で流し、樋管のところでは堤防下を抜けるだけの
高さを確保できるように計算されています。
いまなら、お金に糸目をつけなければ、ポンプで水を汲みあげれば簡単なことですが、
そんな物のなかった時代ですから、こうした先人の知恵で用水を引いたのです。

八ヶ村用水取水口20120826-10

Googleの上空からの写真です。
用水路はわかりにくいのですが、右下の樹林帯の中を影のように伸びています。
堰堤に見える扇形をした構造物は魚道、つまり川魚が川をさかのぼるための道です。

八ヶ村用水取水口20120826-14

クズの花が咲き始めていました。屑ではなくて葛ですね。
くず餅の原料はほとんどが小麦粉ですが、葛餅と書くときにはこのクズを使っているのでしょう。

八ヶ村用水取水口20120826-11

私の背丈よりも高く咲いていました。

八ヶ村用水取水口20120826-12

セセリチョウとは言いえて妙な、せわしない蝶々です。

八ヶ村用水取水口20120826-13

夏の日中なら危なくはありませんが、それでも子供だけでは行かない方がよいです。
大人の方も、バイクがダートコースと勘違いして走り回りますし、野良犬もいるかも知れません。
十分にご注意をお願いします。
[ 2012/08/26 23:37 ] 用水路 | TB(0) | コメント(4)

神明用水(3)

神明用水のかっての取水口は、上島公園の裏手にあるグリーンビュー会館の近くになります。

20120503-0009.jpg

グリーンビュー会館と神明山の間に排水路が流れています。
その排水路に沿うように庄内川に降りる道があります。

20120503-0007.jpg

庄内川沿いの遊歩道から、更に下に降りる階段があって、その階段の先に雑草に隠れながら
変な角度で庄内川に突きだしているコンクリート製の構造物が見えます。
赤い矢印の部分ですが、これが旧取水口だと思われます。

旧取水口1

ここは大変危ないですから、子供だけでは
絶対に近寄らないでくださいね!!


旧取水口2

↑ この構造物を観察すると、カタカナの「コの字」になっています。
ふつうコンクリートで作れば、上から下まで、あるいは右から左までほとんど同じ色に
仕上がるものですが、「コの字」の奥まったところの左右が新しそうです。

旧取水口3

↑ どうやらこの新しく見える部分はコンクリートではなくて、石材を柱のように切って、
上からはめ込んでいるようです。いったい、これはどうしたことでしょうか?

吉根橋の堰堤から用水が取れるようになった時、この古い神明用水の取水口はつぶされていたのです。
口が開いていたら人や動物が入ったり、洪水の時に水が勢いよく入って山の下のトンネルが
崩れるかもしれません。
それで前もって口をふさいでいたようです。

昔はこの色が違う石のところがくり抜かれていて、そこに水門が上下していたと思われます。
木や鉄の水門は腐りやすいので、みんなが手入れを忘れて腐ってしまう前に処分したのでしょう。

もう少し続きます。
[ 2012/07/13 22:41 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

神明用水(2)

神明用水碑

神明社に立つ「神明用水碑」
かっては吉根橋の傍らにありましたが、近年こちらに移設されたそうです。

随分古い石碑と思われるのではないでしょうか?
碑文の末には「昭和9年1月」と刻まれていますが、更にさかのぼること明治初めにこの用水が
できた経緯をこの石碑は物語っています。

石碑に曰く

『吉根の地は山陵起伏して古来灌漑の便を缼
き、村民稼檣(かしょく)の效擧らず、疲弊困憊其の極に達す。
明治8年、河合利助氏等相謀り水を庄内川に需
め、堰埭(えんたい)を築き神明山下を堀鑿(くっさく)して、方三尺長百
八間の隧道(ずいどう)を貫き、延長七百八十間の水路を開
き、以て此の窮状を救わんと欲し、仍ち時の縣令
安場保和君の勸説に從り、飛騨國高山の鑛山職
都竹吉右衛門氏等を聘し、同年十一月工を起し
村民一致巨資を投じ協力事に從い、翌九年漸く
其の功を収む。爰(ここ)に於て荒無の地は拓かれて美
田と化し、年々豊穣の恵澤に浴するもの實に五
十餘町歩に及ぶ。更に昭和六年縣費補助に依り
樋門を設け以て本用水の完成を告ぐ。區民歓喜
措く能わず。茲(ここ)に之を録し永く其の偉績を傳う。
昭和九年一月
衆議院議員正七位勲四等丹下茂十郎撰文竝書』


書き起こしにあたり、できるだけ旧字体をそのまま使いました。
カナは読みづらいので、平仮名にし、適宜濁点の追加や実音表記を心がけました。
読み仮名の括弧書きはうっとうしいかも知れませんが、
私も明日になったら「何て読むんだっけ」と忘れていますので書かせていただきました。

続きはまた書きます
[ 2012/07/12 21:21 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)

神明用水(1)

↓ 吉根橋のほんの少し横に青いタラップがあります。
これは庄内川より取水する「神明用水」の水門です。
神明用水は吉根の広い水田を潤す用水路です。

吉根橋

↓ 堤防を下り降りて、水門の正面から撮影しました。
堰堤のミニダムから直角に取水して、堤防道路の下を通して吉根側に導水します。

取水口

↓ 神明用水樋管と書かれたプレートがあります。

銘板

↓ 導水された水は、カーマホームセンター脇のポンプ場から用水路に放水されます。

ポンプ場

↓ 吉根の水田を潤した水は再び庄内川へと帰ります。
排水路のプレートは平成24年5月となっています。

排水プレート

↓ 至来川の排水小屋と同じデザインですね。
草ぼうぼうだった排水路のまわりは、護岸工事ですっかりきれいになりました。

排水小屋

↓ 小屋の下には吉根排水樋管と書かれています。

排水樋管

区画整理後、吉根の水田は大幅に少なくなりました。
コメ余り、減反政策、安い外米、そこにTPPの追い打ち。
同じ区内のことで、どこか郊外の他人事ではありません。

後日、神明用水の経緯など、続編を書く予定です。
[ 2012/07/11 21:35 ] 用水路 | TB(0) | コメント(0)
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Author:加藤
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