「志段味地区民俗調査報告書」、昭和60年3月31日、志段味地区民俗調査会に
「ムラの霊的な境と方位」の章があり、次のように書かれています。
吉根では、土用過ぎにムラ境4ヶ所に疫病除けのお札を立てる。
吉根橋の手前、東名高速道路の東、笹ヶ根の兵隊道の人家のはずれ、松ヶ洞の滝泉寺門前境である。原文まま
(加藤註:滝泉寺とは龍泉寺のタイプミスあるいは誤植ですね)
また、章をあらためて次のようにも書かれています。
吉根の氏神八幡社では、現在、8月16日ごろに行われる夏越祭の折、「疫病除」のお札を
竹の先端に挿し、ムラ境4ヶ所(→ムラの霊・神)に立てる。今は笹竹を道路の片側に寄せてあるが、
もとは両側に笹竹を立てシメ縄を渡していた。このお札は土用に入ったら出してもよいと
いわれていたが、戦前はこの行事を旧6月晦日(大祓い)に行っていた。
戦後になって、新7月中旬になり、昭和55、6年ごろから8月に行うようになった。
戦前は1メートルほどの背丈の藁人形を作って、お札と一緒に立てていたという。そこで現地調査のために地図を用意して、上の文献に書かれていた辺りを赤マルにしてみました。
早い話が、吉根に通じている主要道路が、吉根に入るあたりと言う位置なのです。
もしかしたら古来はこれに加えて舟の渡し場にもあったかも知れません。

↓ 「松ヶ洞の滝泉寺門前境」すなわち龍泉寺さんとの境界はすぐに見つかりました。
場所は、龍泉寺ゴルフの北の「吉根階子田南」交差点です。
交差点かどは服良さんの物流センターやチベット寺院のあるところです。
その交差点龍泉寺街道の庄内川側にありました。

↓ 次に吉根橋ですが、下の写真は文献に載っていたものです。
今では貴重な昔の吉根橋の写真です。橋のたもとに疫病除けのお札がありますね。

↓ ところが今は同じところにはありませんでした。

↓ あたりをキョロキョロしたところ、こんなところにありました!
ここは神明社に通じる坂道のたもとです。

↓ 下の写真の角度で見れば、文献の写真とイメージが合ってきますね。

↓ この場所はまさしく吉根に入る境界に位置しています。
昔はこのように疫病がムラに入ってこないように神様に祈ったのでしょう。