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吉根ムラの疫病除け

吉根疫神除2014
疫病除けのお札が更新されました
吉根の八幡神社さんによって、吉根ムラへの入り口にあたる場所に、疫病除けのお札が
立てられています。これが最近更新されているのに気がつきました。
しかも今年は、いままで確認できていなかった本来の4ヶ所すべてを確認できましたので
ここに書き留めておきます。


龍泉寺北
龍泉寺さんの北側



吉根橋
吉根橋の南側



東名高速下
東名高速の下



兵隊道
国立病院からジャスコに下る道

私の過去の各連記事
疫病除けのお札(吉根)わが町 守山区
疫神除わが町 守山区
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[ 2014/08/23 14:50 ] 民俗 | TB(0) | コメント(0)

火の見櫓と半鐘(小幡北消防団)

小幡北消防団位置
小幡北消防団
の詰所は、龍泉寺街道を龍泉寺さんの駐車場とか、龍泉寺の湯の方向に曲がる交差点にあります。
かってはこの曲がってゆく道こそが街道そのものでしたので、もう随分昔からこの場所にあったのでしょうね。




小幡北消防団1
ここだけ昭和レトロ
写真をここだけに限定して撮影すると、まるでこの一角だけが昭和レトロそのものの景観です。
広い道路(龍泉寺街道=県道名古屋多治見線)と信号待ちのの自動車が写真に入っていなければ、
昭和40年代の風景としてでも通用しそうです。
この小幡北消防団の詰所にある櫓(やぐら)=鉄塔にはてっぺんに半鐘が残っております。
町歩きイベントの下見などで区内の各所を歩いていますが、名残り=残骸はときどき目にしますが、
ここまでの完全体はなかなかありません。



小幡北消防団半鐘
小幡北消防団の半鐘
この半鐘が現役で打ち鳴らされることはあり得ませんが、防災教育の一環として
永く残されることを願います。
[ 2013/12/31 15:19 ] 民俗 | TB(0) | コメント(0)

疫神除

疫神除位置フクリョウ
疫神除の護符
天王信仰の盛んな尾張地方のムラには、疫病からムラを護るための護符が、ムラの境界に立てられていました。
吉根の場合は上の地図で龍泉寺の湯の少し北側のフクリョーさんの交差点と、吉根橋のたもとにもあります。
かっては志段味西小学校の東名高速下と国立病院の北側にもあったそうですが、今はありません。



疫神除
吉根階子田南交差点の
護符がながらく更新されていなかったのですが、ふと代わっているのに気が付きました。
かってのような竹ざおに縄と御幣で作った高〆(たかしめ)ではなく、写真のようなものです。
かっては八幡社さまの川本神職が立てられていたと聞いたことがありますが・・・



DSC00156.jpg
1年半ほど前の写真ですが
立ててから随分経過していただろうにしてもこんなカタチをしておりました。
前にこのブログにも書きましたが、かって道が狭かったころには、道の両側にそれぞれ竹ざおを立てて、その2本の竹ざおの間にしめ縄を渡していたそうです(猪子石地区)。
まさしく結界そのものだったんですね。
[ 2013/12/30 23:10 ] 民俗 | TB(0) | コメント(0)

疫病除け(猪子石)

吉根ムラから見ると南の方角に、大森ムラを間にはさんで猪子石のムラがあります。
現在の名東区です。この名東区の旧猪子石地区で香流川地域センターの方々が編纂した
「猪子石今昔」という文献があります。
その中から、吉根の疫病除けのお札に類する記述をご紹介します。

新屋敷では現在、7月1日に「高〆」を行う。
これはしめ縄に御幣をつけたものを背の高い二本の竹の間に張り、
これを部落への入口の道路にわたして立てた。
四、五か所に立てて28日までおくが、トラックが通るようになって
邪魔だというので、戦後は片側だけ立てるようになった。
新田は7月11日に立てたが、整理事業後はやらなくなった。

以上「猪子石今昔」、昭和59年10月20日より

先日このブログで引用した次の文章が、今回の猪子石の文献で理解できました。
「ムラ境4ヶ所(→ムラの霊・神)に立てる。」
立てる位置は同じですが、猪子石の文献の表現「部落への入口」これが重要です。
部落外から入ってこようとする疫病を、入口で防ごうという目的が明確に
読み取れるからです。

「今は笹竹を道路の片側に寄せてあるが、もとは両側に笹竹を立てシメ縄を渡していた。」
これも両側から片側になった経緯がよく理解できます。
元々はバリケードのようにしていたのが、進入禁止の交通標識のようになったわけです。

時代とともに習俗も変化する面白い例です。
吉根、猪子石に限らず、広くこの風習が行われていたと思われます。
また他の地区の文献や実物を見つけたら、このブログでご紹介します。

猪子石1

猪子石2
[ 2012/07/10 22:48 ] 民俗 | TB(0) | コメント(0)

疫病除けのお札(吉根)

「志段味地区民俗調査報告書」、昭和60年3月31日、志段味地区民俗調査会に
「ムラの霊的な境と方位」の章があり、次のように書かれています。

吉根では、土用過ぎにムラ境4ヶ所に疫病除けのお札を立てる。
吉根橋の手前、東名高速道路の東、笹ヶ根の兵隊道の人家のはずれ、松ヶ洞の滝泉寺門前境である。

原文まま
(加藤註:滝泉寺とは龍泉寺のタイプミスあるいは誤植ですね)

また、章をあらためて次のようにも書かれています。

吉根の氏神八幡社では、現在、8月16日ごろに行われる夏越祭の折、「疫病除」のお札を
竹の先端に挿し、ムラ境4ヶ所(→ムラの霊・神)に立てる。今は笹竹を道路の片側に寄せてあるが、
もとは両側に笹竹を立てシメ縄を渡していた。このお札は土用に入ったら出してもよいと
いわれていたが、戦前はこの行事を旧6月晦日(大祓い)に行っていた。
戦後になって、新7月中旬になり、昭和55、6年ごろから8月に行うようになった。
戦前は1メートルほどの背丈の藁人形を作って、お札と一緒に立てていたという。


そこで現地調査のために地図を用意して、上の文献に書かれていた辺りを赤マルにしてみました。
早い話が、吉根に通じている主要道路が、吉根に入るあたりと言う位置なのです。
もしかしたら古来はこれに加えて舟の渡し場にもあったかも知れません。

推定図

↓ 「松ヶ洞の滝泉寺門前境」すなわち龍泉寺さんとの境界はすぐに見つかりました。
場所は、龍泉寺ゴルフの北の「吉根階子田南」交差点です。
交差点かどは服良さんの物流センターやチベット寺院のあるところです。
その交差点龍泉寺街道の庄内川側にありました。

DSC00156.jpg

↓ 次に吉根橋ですが、下の写真は文献に載っていたものです。
今では貴重な昔の吉根橋の写真です。橋のたもとに疫病除けのお札がありますね。

古い写真

↓ ところが今は同じところにはありませんでした。

DSC00165.jpg

↓ あたりをキョロキョロしたところ、こんなところにありました!
ここは神明社に通じる坂道のたもとです。

DSC00167.jpg

↓ 下の写真の角度で見れば、文献の写真とイメージが合ってきますね。

DSC00170.jpg

↓ この場所はまさしく吉根に入る境界に位置しています。
昔はこのように疫病がムラに入ってこないように神様に祈ったのでしょう。

DSC00195.jpg
[ 2012/07/08 17:08 ] 民俗 | TB(0) | コメント(0)
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