ほっぽ山の里道ほっぽ山を縦断して、吉根から大森に通じる昔の里道が、現在の踏査ルートに微妙に
合致しないのがよくわからなくて、いろいろと検討を重ねています。
うまく合致しないのは、地図の精度が悪いのか、それとも私のパソコン操作が悪いのか、
なかなか糸口がつかめません。
もう一度「今昔マップ」を眺めてみました。
現在の地図に、今昔マップで得た昭和13年の里道を重ね合わせたのが、上に表示した地図です。
今昔マップではこの昭和13年以外に、明治24年測図の地図から見ることができます。
順番に里道の変遷に注意しながら見て行ったところ、明治24年から昭和22年までの
里道はまったく同じでしたが、次の昭和34年以降はゴルフ場ができたためか、里道そのものが
書かれなくなっていました。今昔マップからだけでは解決のヒントが得られませんでした。
それで手持ちの「明治24年測図」と「昭和35年発行版」を注意深く見てみました。
イメージスキャナで無意味かも知れませんが1200dpiでパソコンに取り込み、慎重に里道を
着色し重ね合わせたのが下の地図です。

印刷原稿でトンボを打つような、決定的な位置合わせの目印がないために、両者の地図で
適度な妥協をもって重ね合わせております。
その結果は大きくは違いが見出せませんが、里道の中間地点で、
変に迂回していた箇所が真っすぐになっていました。
もう一度、昭和35年版を思いっきり拡大して検討しました。

その結果わかったことは、青く着色した里道は、赤い矢印線で示した「尾根道」を
通らず、不自然にも沢筋を下って吉根の集落に向かっています。
今回、踏査してみて痛切に感じましたが、同じ山の中を歩くにも、沢筋よりも
尾根筋を歩いた方がはるかに楽でした。
また、「ほっぽ山」から見る遠望が大層素晴らしかったと言われるからには、
尾根道でないととつじつまが合いません。
従いまして、本来の里道は青く着色した地図表記の位置ではなく、私が赤く示した
尾根上の道であると推論するものです。
そしてその道は、もしかしたら、古い時代は下の地図で「左から2番目」で、比較的
新しい時代は「右から2番目」のルートだったかも知れません。
明治時代の県有地の境界杭を「右から2番目」のルートの、ゴルフ場との境界付近で
発見していますので、「右から2番目」ルート説がやや強いかも知れませんが・・・