
関連:[ 2013/05/06 19:13 ]
史跡散策会「竜泉寺界隈めぐり」の下見 5月ゴールデンウイーク頃のマメナシの様子です。
マメナシについてはそれ単独での鑑賞会、現地説明会が催行されるほど守山区では
保全、ピーアールに官民挙げて努めている植物です。
最近のことは知らないので、違ったことを書くかも知れませんが、私の思い違いが
あったので忘れないうちに記しておこうと思います。
「
小幡緑地本園のマメナシ自生地の保全と保護の現状」と題する石原先生の論文で、
守山区におけるマメナシの発見経緯を次のように要約されてみえます。
-----ここより引用-----
名古屋市守山区では,マメナシが現四日市市の東阿倉
川で発見されてから71年後の1973年(昭和48年)9月に,
県立千種高校英語教諭大岡幸雄が守山大森八竜でマメナ
シを発見され,1974年(昭和49年)2月には,大森御膳
洞の蛭池(弥吉池)でマメナシの自生地の大群落を発見
された(大岡,私信).
----ここまで引用----
ここだけの引用では、守山区におけるマメナシの発見は1973年ということかと
早合点しそうになりますが、この文章は「大岡幸雄が守山大森八竜でマメナシを
発見」したのが1973年(昭和48年)9月と解釈するのが適当なのです。
つまり、守山区で発見されたのはいつかはわからないけど、1973年が最初では
ないかも知れないと・・・。
なに?みんなそう思っている、余計なお節介だって?
では知らなかったのは私だけということにしてお話をすすめさせていただきます。
もちろん植物ですから、大昔からそこに自生していたと考えるのが自然ですので、
大岡先生がご報告をされたのが最初であって、近くの人にとっては春になると
桜のようなキレイな花の咲く樹がたくさんあることは周知のことであったろうことは
容易に想像がつきます。
ではそういう屁理屈は横に置いておき、植物学的に守山のマメナシが認知
されていたのはいったいいつ頃からなのかと調べてみました。
ただし重要な前提条件として、マメナシ=イヌナシとして話を進めます。
愛知県史蹟名勝天然紀念物調査報告. 第1 これは国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる資料です。
この中に「東春日井郡守山町內ニ於ケル犬梨ノ分布」という項目があり、
次のように解説されています。
3.東春日井郡守山町內ニ於ケル犬梨ノ分布
犬梨(以下、イヌナシ)の名称
イヌナシは明治41年牧野富太郎氏によりて始めて植物学会に発表せられたる
新種にして学名を pirus dimorphophylla Mak と言う。その当時採集せられたる
ものは実に三重県海蔵村の産にして方言を「いんなし」と言い、守山附近にては
山梨、澤梨あるいは往々「がんたち」の名を呼ばるるもの即ちこれなり。
中略
分布区割
今、守山町付近にあるイヌナシ散布の状態を便利のため7区に分かちて
ここに記録すべし。
甲 大字小幡字南島3248番 愛宕社内のもの3株
乙 小幡原東端城山の西北に接する地
丙 守山町大字大森垣外字城山1631番の20 林
丁 大字小幡字稲荷南4457番地 林
戊 大字小幡字大屋敷第3800番
己 大字小幡字西浦市場にあるもの
庚 小幡原中に散見するもの
イヌナシの価値
前陳のごとくイヌナシはわが邦の特産なるのみならず、実にわが県に誇るべき
樹種なるをもって植物学上において尊重すべきものなるのみならず、
果実栽培家は
ナシ、リンゴを接ぎ木するときその母樹となしてすこぶる有益にかつ古来黄色の
染料に供したりしところの有益の品種たり。
愛知県によってこの報告書ができたのは大正12年3月のことで、文中にもあった
ように牧野富太郎によって学会で新種発表されたのが明治41年となっています。
したがって発表からわずか10年内で愛知県の天然記念物に指定されていたことに
なるわけです。
そして驚くべきは、イヌナシが接ぎ木を取る時の母樹として有益とか、黄色の
染料に利用されたりと認識されていたこと。いま、守山区では「なごや生物多様性」の
観点からマメナシの保全、環境改善を情報発信し、多くの共感が得られているところ
かと思いますが、もしかしたら明治、大正の昔には、接ぎ木の母樹や染料として
乱獲が進み、かっては守山のどこにでも雑木として分布していたマメナシが愛知県の
天然記念物に指定された上記の7区も含めて消滅し、研究者の間では守山区に
おいては絶滅したと思われていたところに、大岡先生が教会までの空き時間を
たまたま散策に費やしていて研究者には未知の群落を発見され、発表をされた。
もしかしたらそんな構図だったのかなと、晩秋にしては暖かすぎる日和に
うつらうつらしながら、とりとめもないことを書き留めてみました。