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至来川(4)

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至来川(1) [2012/06/10]
至来川(2) [2012/06/12]
至来川(3) [2018/08/13]

Google map 至来川 20190813

Google map 至来川空中写真 20190813
↑ 庄内川から至来川に沿って歩いてくると、水路は「吉根階子田」交差点の下を暗渠に
なって向こう側に抜けてゆきます。交差点の向こう側はスカイ保育園の建物と駐車場に
なっています。




にじ色茶屋 20190813
↑ 至来川は「川」から「水路」並みにぐっと規模を落として、保育園駐車場とデイサービスの
間を山の方向へと向かいます。




熊野神社参道石柱 20190813
↑ デイサービスのところから入ると水路(至来川)脇に「熊野神社参道」を示す石柱が
あります。




至来川源流方向 20190813
↑ 至来川の上流方向へと視線を移すと、未舗装の農道に軽トラのタイヤでできた
わだちと、夏草が生い茂る昭和の里山風景が続いています。
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[ 2019/08/14 14:12 ] | TB(0) | コメント(0)

至来川(3)

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至来川(1) [2012/06/10]
至来川(2) [2012/06/12]

久しぶりに至来川近くの話題を書きます。
至来川は吉根の山を水源に、庄内川に落ち込む長さ1キロにも満たない
水路です。「吉根階子田」に梯子(はしご)をかけて行き来するような
段々畑や棚田があったころには、農業用水として使われていたのかも
知れませんが、もはやその痕跡を探すのも困難になりました。

至来川とはすこし風変わりな名称です。
私の郷土史の大先輩である徳田百合子さんは、至来川の名称の
由来はもしかしたら蓬莱からの転訛ではないかと仮説を立てられました。
蓬莱とは「ひつまぶし」の老舗・熱田蓬莱をすぐに思い出してしまいますが、
もちろんWikiでいうところの「古代中国で東の海上(海中)にある仙人が
住むといわれていた仙境の1つ」なわけです。
また、「熊野、熱田などの霊山や仙境を蓬莱と呼ぶ」ともWikiに
書かれています。

渡来系の人々が熱田の浜に上陸して、熱田の地に大規模なクニを
作ったであろうことは巨大な古墳の数々が物語っておりましょうし、
東谷山山頂の尾張部神社が熱田さんの奥の院であり、熱田さんと
守山が強いつながりがあったことも事実です。

したがって蓬莱が訛って至来になったとする説には一定の強さが
あると思います。しかし上記Wikiによる「熊野、熱田などの霊山や仙境を
蓬莱と呼ぶ」に着目すると熊野が例示されていることに驚きます。
かって至来の集落は竜泉寺街道の西側(庄内川側)を西至来、東側
(吉根の山側)を東至来とよんでいました。その竜泉寺街道・東至来の
際に熊野神社参道入り口の石柱が現存しています。

もしかしたら、この地は古来より熊野信仰に関連しての蓬莱、そして
転訛して至来を地名としていたのかも知れません。

[ 2019/08/13 10:01 ] | TB(0) | コメント(0)

別小江神社 参拝

別小江神社 御朱印 20190519

北区の別小江神社さんにときどきお参りに行きます。
初めて行ったときは、ちょっと分かりづらい場所でしたが、参道の入り口に社名碑の石柱が
あるのを目印に表道路から入れば真正面まで参道が続いています。

いつ行っても参拝客が途絶えることがない、いまどき稀有な神社です。
参拝客のお目当ては御朱印にあります。ほぼ毎月更新されるデザインはとても
彩色豊かで、とりわけ画像のデザインは私のお気に入りです。

実はこのデザインで別小江神社さんのオリジナル御朱印帳と、その専用袋が
頒布されています。神功皇后様のキュートなお姿にもほっこりさせられます。
しかも同じデザインそのまんまが手水舎にどどーんとパネルで置かれているのが
最高にいいわけです。

本日は境内でフリマが開催され大層な賑わいでした。
かたや、社務所横にひっそりと咲くヒメヒオウギも楚々として味わい深いです。
これおススメです。
[ 2019/05/19 20:40 ] 神社 | TB(0) | コメント(6)

中村公園豊国神社(2)

前記事
中村公園豊国神社(1) [2019/02/10]

 前記事で中村公園(尾張豊国神社さん)の古い絵ハガキをご紹介しましたが、
他に持っている同じ角度の絵葉書を続けてご紹介します。

中村公園20190210(7)

社務所のカウンターにて配布の絵葉書
中村区ではこうした「まち歩きカード」を作っているんですね。守山区でもほしいです。
「明治43年ごろの豊国神社」と書かれています。本殿に向かって踏み固められた
参道状の径が続いていますが、この年代ではまだ参道と植樹帯の仕切りの杭
などは入っていません。



中村公園20190210(5)


その次に古いと思われる手持ちの絵葉書がこれ↑です。
前記事でご紹介した一対の灯籠と狛犬が写っていないです。
上の明治43年の写真に較べると、樹が随分育っているのがわかります。
しかし仮に戦時供出で樹木が伐採されていたとすれば、昭和初期の撮影かとも
思います。




中村公園20190210(6)

ここで一対の灯籠が現れますが、狛犬はまだ見えないような・・・
採色画なので新しそうに見えますが、そのような理由でこちらのほうが古いと
思われます。この絵葉書をよくよく見ますと、構造物や樹木の影が写って
いません。南中時刻に撮影したとしても影はできますが、曇天だったのかな。
それと背景ですが、淡い緑色になっています。
まるで伊勢神宮の背後に朝熊山があるような感じで。
現在の名古屋競輪場の方向はこういう背景にはなっていませんので、
そういうことからも着色の絵葉書であることがうかがえます。




中村公園20190210(4)

これが前記事でご紹介の絵葉書再掲です。
各一対の灯籠、狛犬が現れます。
樹木もだいぶ間伐されているようです。

参道は中村公園豊国神社のスタートにすぎませんので、比較はこのあたりまでに
しておきましょう。続きのほうがたくさん残っていますが、また機運が高まれば
記事にしたいと思います。
[ 2019/02/12 11:36 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)

中村公園豊国神社(1)

中村公園20190210(1)

中村公園に行きました。
一昨年京都を旅行した時に、空き時間で豊国神社に立ち寄りました。
そのときの居場所に近い有名どころということで行っただけで、事前に計画して
いたわけではありませんでした。そのとき、これまた行き当たりばったりで社務所で
御朱印帳を買って、その場で御朱印の記帳もいただきました。
以来、名古屋の豊国さんも気になってはいましたが、ようやく重い腰を上げて
という感じです。
(つまり、尾張豊国さんは中村公園の中にあります)



中村公園20190210(2)

カーナビの案内で車を走らせたら、見覚えのある大鳥居から入らず、ずいぶん
ショートカットして到着してしまいました。
中村に大門という地名があります。想像するに廓街の出入り口のことですが、
お寺や神社の参道の入り口にあった大門に由来した地名である場合もあると思います。
守山区にも大門(だいもん)という小字があります。だったら場所的に宝勝寺さんの
門前だったのかというと、そうではないらしく、川向こうの長母寺に至る参道の
大門だったと思われます。
というのも例の明和の洪水で矢田川の流路が変わり、長母寺が今でいう東区に
なったわけですが、流路が変わったために水没したのが大門の集落だったとの
ことです。
そのため大門の人たちは小字ごと現在地に移転したのです。
現在の地図をいくら眺めても読み取れない故事ですね。
(地名の由来が鳥居ではなくなぜ大門なのかというつっこみは、また回を改めて
お話ししましょう)




中村公園20190210(3)

中村公園20190210(4)

境内地に入ると参道が一直線に伸びています。
どこかで見たような気がしたので、手持ちの古い絵ハガキを探してみたらありました。
それも全部で3枚も!
狛犬さんの位置も、橋も同じですね。
ただし灯籠がこの昔の写真では一対しかなかったです。
他の2枚の写真では、灯籠が写っているのと無いのに分かれますので、年代の表記は
ないもののそういう撮影年代の順番なのかと推測できます。

つづきはまた
[ 2019/02/10 20:37 ] 神社 | TB(0) | コメント(0)
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Author:加藤
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