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元補(7)索引を見る

守山分廠索引2(20201123) 守山分廠索引3(20200323)

【元陸軍兵器補給廠守山分廠関係綴の索引②、③】

 元陸軍兵器補給廠守山分廠関係綴の索引は全部で3ページにまとめられています。
ところがつぶさに見てゆきますと、その3ページがすべて補給廠関係のものではなく、
いわゆる旧軍関係というくくりであることがわかります。

 例えばこんなタイトルが入っています。

索引番号20 昭和20年9月17日 建築物保管委託書
 これなどはタイトルだけを見たのでは重要度が低いとしか思えないのですが、内容は大違いで、
かつて守山区に展開した高射砲陣地の建築物保管委託なのです。日付を見ていただくと、
8月15日の終戦から約1か月後の文書であることがわかります。
 文書の内容としては、守山町の職員が県庁に呼ばれ、戦時中に守山区に展開していた
高射砲第125連隊の連隊長を務めていた大中正光氏が作成した「陣地要図」等をもとに
国の財産たる建築物などの保管を委託されるものとなっています。
 私はこの資料を最大のよりどころとして守山郷土史研究会会報「もりやま」34号(2015)に
「守山区の高射砲陣地 -空中写真に見る守山の現代史-」と題して寄稿しております。

索引番号24 昭和21年6月8日 元名古屋造兵廠守山気球隊バラック建1棟(60坪)等
 これは名古屋造兵廠に気象隊があり、守山に展開していたことを示唆する記述です。

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[ 2020/11/23 21:42 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

元補(6)戦後の地積調べ

守山分廠関係綴表紙 守山分廠索引1(20201122)

【元陸軍兵器補給廠守山分廠関係綴の索引①】

 先日ご紹介の「元陸軍兵器補給廠守山分廠関係綴」の表紙は昭和21年当時の表紙で、
後年になって上記の別表紙と索引が追加されて保管されています。それが何年にそう
なったかは知りませんし、それが本題ではありませんので、ここでは「後年」とさせて
いただきます。

 ここからの本稿はこの目次の中から適当に話題を選択して行きたいと思います。



森孝新田 補給廠跡地積調1(20201122)
【森孝新田補給廠跡地積調】

 目次の索引番号1は「森孝新田補給廠跡地積調」から始まっています。
残念ながら年月日は入っていませんが、「戦争が終わったんだからさっさと返してくれよ」との
旧地主さんからの声はとても大きかったと容易に想像されます。

 他方で物資を米軍に引き渡すための業務や、名古屋陸軍補給廠本廠との残務整理、
横行したであろう略奪行為など、敗戦の焦燥感の中、どこから手を付けたらよいのか
大変なご苦労があったことと愚考します。

 ともあれ現代風な言葉で言えば、まずは現状を把握しないことには何も始まりませんから、
役場としては地積調べに取り掛かったのでしょう。東海財務局、法務局の登記簿や、
役場の固定資産台帳などで接収前の地積を調べたのが上記の資料かも知れません。
これが各地番ごとに境界杭でも入っていれば、復元することができたのかも知れませんが、
よしんば接収前に杭が存在していたとしても、そんな邪魔なものは引き抜かれていたはずなので
始める前から相当な困難が予見されていたことでしょう。

 さてここでもう一度、先日ご紹介のわが恩師の著作を引用しましょう。
小林 元 著 「香流川物語」

-----------ここから引用-------------
戦後この兵器補給廠の跡地は払い下げられて開墾が進められ、今はその
ほとんどが住宅地になってしまいましたが、昔の「甲、乙、丙」の地籍が
ここでは混乱してわからなくなってしまい、とうとう新しい地籍を作って、「元補」と
呼ぶことになりました。
すなわち「元補」とは「元補給廠跡」のことで、あまり
ロマンチックな由来ではありません。
-----------ここまで引用-------------


 地積関係で妥協をする人はまずないでしょう。二束三文で接収されたなら、
タダ同然の価格で払い下げを要求して当然で、タダ同然なら一坪でも多くほしいものです。
「混乱してわからなくなってしまい」というのはウソではなかったとしても、とても全員が
納得するような復元はもはや困難で、方便という部分の方が大きかったのでは
ないでしょうか?

 「戦後この兵器補給廠の跡地は払い下げられて開墾が進められ」なのですから、
一度リセットして耕地整理し、旧地権者が納得する形での決着にかじ取りした可能性が
高そうです。
[ 2020/11/23 06:00 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

マメナシのこと

ええとこ守山下見20130506-3

関連:[ 2013/05/06 19:13 ]史跡散策会「竜泉寺界隈めぐり」の下見

5月ゴールデンウイーク頃のマメナシの様子です。

 マメナシについてはそれ単独での鑑賞会、現地説明会が催行されるほど守山区では
保全、ピーアールに官民挙げて努めている植物です。

 最近のことは知らないので、違ったことを書くかも知れませんが、私の思い違いが
あったので忘れないうちに記しておこうと思います。

 「小幡緑地本園のマメナシ自生地の保全と保護の現状」と題する石原先生の論文で、
守山区におけるマメナシの発見経緯を次のように要約されてみえます。

-----ここより引用-----

 名古屋市守山区では,マメナシが現四日市市の東阿倉
川で発見されてから71年後の1973年(昭和48年)9月に,
県立千種高校英語教諭大岡幸雄が守山大森八竜でマメナ
シを発見され,1974年(昭和49年)2月には,大森御膳
洞の蛭池(弥吉池)でマメナシの自生地の大群落を発見
された(大岡,私信).

----ここまで引用----

 ここだけの引用では、守山区におけるマメナシの発見は1973年ということかと
早合点しそうになりますが、この文章は「大岡幸雄が守山大森八竜でマメナシを
発見」したのが1973年(昭和48年)9月と解釈するのが適当なのです。
つまり、守山区で発見されたのはいつかはわからないけど、1973年が最初では
ないかも知れないと・・・。
なに?みんなそう思っている、余計なお節介だって?

 では知らなかったのは私だけということにしてお話をすすめさせていただきます。

 もちろん植物ですから、大昔からそこに自生していたと考えるのが自然ですので、
大岡先生がご報告をされたのが最初であって、近くの人にとっては春になると
桜のようなキレイな花の咲く樹がたくさんあることは周知のことであったろうことは
容易に想像がつきます。

 ではそういう屁理屈は横に置いておき、植物学的に守山のマメナシが認知
されていたのはいったいいつ頃からなのかと調べてみました。
ただし重要な前提条件として、マメナシ=イヌナシとして話を進めます。

愛知県史跡名勝天然記念物調査報告 第一 天然記念物其一表紙

愛知県史蹟名勝天然紀念物調査報告. 第1

 これは国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる資料です。
この中に「東春日井郡守山町內ニ於ケル犬梨ノ分布」という項目があり、
次のように解説されています。

3.東春日井郡守山町內ニ於ケル犬梨ノ分布
犬梨(以下、イヌナシ)の名称
 イヌナシは明治41年牧野富太郎氏によりて始めて植物学会に発表せられたる
新種にして学名を pirus dimorphophylla Mak と言う。その当時採集せられたる
ものは実に三重県海蔵村の産にして方言を「いんなし」と言い、守山附近にては
山梨、澤梨あるいは往々「がんたち」の名を呼ばるるもの即ちこれなり。

中略

分布区割
 今、守山町付近にあるイヌナシ散布の状態を便利のため7区に分かちて
ここに記録すべし。

甲 大字小幡字南島3248番 愛宕社内のもの3株
乙 小幡原東端城山の西北に接する地
丙 守山町大字大森垣外字城山1631番の20 林
丁 大字小幡字稲荷南4457番地 林
戊 大字小幡字大屋敷第3800番
己 大字小幡字西浦市場にあるもの
庚 小幡原中に散見するもの

イヌナシの価値
 前陳のごとくイヌナシはわが邦の特産なるのみならず、実にわが県に誇るべき
樹種なるをもって植物学上において尊重すべきものなるのみならず、果実栽培家は
ナシ、リンゴを接ぎ木するときその母樹となしてすこぶる有益にかつ古来黄色の
染料に供したりしところの有益の品種
たり。

 愛知県によってこの報告書ができたのは大正12年3月のことで、文中にもあった
ように牧野富太郎によって学会で新種発表されたのが明治41年となっています。
したがって発表からわずか10年内で愛知県の天然記念物に指定されていたことに
なるわけです。

 そして驚くべきは、イヌナシが接ぎ木を取る時の母樹として有益とか、黄色の
染料に利用されたりと認識されていたこと。いま、守山区では「なごや生物多様性」の
観点からマメナシの保全、環境改善を情報発信し、多くの共感が得られているところ
かと思いますが、もしかしたら明治、大正の昔には、接ぎ木の母樹や染料として
乱獲が進み、かっては守山のどこにでも雑木として分布していたマメナシが愛知県の
天然記念物に指定された上記の7区も含めて消滅し、研究者の間では守山区に
おいては絶滅したと思われていたところに、大岡先生が教会までの空き時間を
たまたま散策に費やしていて研究者には未知の群落を発見され、発表をされた。

 もしかしたらそんな構図だったのかなと、晩秋にしては暖かすぎる日和に
うつらうつらしながら、とりとめもないことを書き留めてみました。 
[ 2020/11/22 11:10 ] 自然観察 | TB(0) | コメント(0)

元補(5)空中写真

USA-M148-A-7-171補給廠20201121

【米軍空中写真 昭和21年】

 昨日の記事から・・・
> 中央に東西(左右)にのびる幅の広い道路と、左端の陸上競技場の
> トラックのようなエリアをご記憶ください。

 名古屋陸軍兵器補給廠守山分廠の全体はこんな感じでした。
中央に幅の広い道路と、左右(東西)に展開する周回道路のようなエリアです。
中央の広い道路の周辺は八剱神社と森孝新田の集落があって、軍部としても
その全部を接収というわけには行かなかったのかも知れませんね。

 この米軍による空中写真の撮影が昭和21年5月で、昨日の土地宝典が
昭和30年の出版でしたから、10年を足らずして西側の周回道路のようなエリアは
土地区画整理が進められ、地名が甲、乙、丙、・・・から元補に変わっていることに
なります。

 この空中写真からではちょっとわかりづらいかも知れませんが、
中央に幅の広い連絡道路があって、その南側を並行して出来町通が走り、
更にその南に香流川の蛇行が見られます。

出来町通りとは「愛知県道215号田籾名古屋線」のことで、いわゆる
ミッキーの愛称の基幹バスが走るバスレーンのある通りのことです。

 出来町通りと香流川の間に、田畑ではなく、集落のように見えるエリアが
写っていますがお分かりになりますか?
ほぼ南北に細い道が抜けているところですね。実はこの集落のような
部分に高射砲陣地が築かれていました。高射機関銃ではなくて、高射砲の
方です。おそらくこの兵器補給廠と、はるか後方の三菱発動機矢田・大幸
製作所を防衛任務としていたのだと思います。

 この辺りも守山探検隊のまちあるきイベントのコースで歩きましたが、
高射砲陣地の痕跡が現存している訳でもなく、説明ポイントとしては採用
しませんでした。冒頭の空中写真は守山探検隊が森孝コースを検討して
いたときに、私が月例の定例会でスタッフの方々に配布したものです。
[ 2020/11/21 17:07 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)

元補(4)甲乙丙から元補へ

元補土地宝典20201120

【土地宝典 昭和30年版】

 土地の地積を確認するには正確には法務局へ行って地籍図を閲覧するわけですが、
案件の内容によっては店(会社)でぱらぱらっと開けば用事が済む場合も多く、各地区
ごとに土地宝典という地籍図集が刊行されていました。

 上の画像は守山市の昭和30年版です。場所は元補給廠の西半分のあたりです。
中央に東西(左右)にのびる幅の広い道路と、左端の陸上競技のトラックのような
エリアをご記憶ください。

 そして地名は、縦横がキレイに区画されたあたりは「元補」で、何がなんだか複雑に
入り組んでいる場所は森孝新田の乙(おつ)とか丙(へい)の町名になっているのが
わかります。

 さてここでもう一度、先日ご紹介のわが恩師の著作を引用しましょう。
小林 元 著 「香流川物語」

-----------ここから引用-------------
戦後この兵器補給廠の跡地は払い下げられて開墾が進められ、今はその
ほとんどが住宅地になってしまいましたが、昔の「甲、乙、丙」の地籍
ここでは混乱してわからなくなってしまい、とうとう新しい地籍を作って、「元補」と
呼ぶことになりました。すなわち「元補」とは「元補給廠跡」のことで、あまり
ロマンチックな由来ではありません。
-----------ここまで引用-------------

 小林先生がお書きになられていたのは、この土地宝典のような状態の
ことだったのです。どうして中央のあたりが乙とか丙のままだったのかって?
それは端的にいえば人家がほとんどなくて、戦後すぐに区画整理ができた
ところが元補になって、集落を抱えてなかなか区画整理の話がまとまらず、
とうとうこの昭和30年の段階で区画整理をしなかったところはそのまま
残ったことを意味しています。森孝には2020年の現代でも、なんとなく懐かしい
守山区の原風景を感じる場所が残されていますが、そんな場所ですね。

 ちなみに守山探検隊の森孝コースのときには畑や野菜の無人販売所が
あってとても癒されたという感想をいただきました。
[ 2020/11/20 21:54 ] 戦跡 | TB(0) | コメント(0)
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管理人:加藤
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